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vol.4 中学1年生、勝ちまくる|青春駆ける ~馬術に情熱の全てを捧げた10年間の成長の足跡~

前回までのあらすじ

スーパーホース・デルタと出会って障害飛越の楽しさに気付く。地面からフワッと浮き上がる感じ、馬をうまく誘導できた時の飛越の勢いなどが快感になった。9月から1月までは中学受験のため乗馬をお休み。『絶対にまた馬に乗るぞ!』とと心に誓って猛烈な勉強で追い上げを披露。結果、第一志望校への合格を果たす。中学からのウマ漬けの日々に心躍らせる小6の春休み……

vol.3 小学6年生、乗馬と向き合う|青春駆ける ~馬術に情熱の全てを捧げた10年間の成長の足跡~

2023-08-24

 

私が情熱の全てを捧げた10年間の乗馬生活について、『青春駆ける』と称して記事を執筆しております。

先日の第三巻で小学4~6年生の三年間の描写を終えました。本記事ではシリーズ第四巻・中学1年次における乗馬生活の一年間について書きます。

かめ
それでは早速始めましょう

 

3月〜6月:初めて出た大会で早くも優勝。たちまち連勝街道まっしぐら

中学入試に合格した直後から再びMRC通いが始まりました。これまで半年間我慢してきたとあって、久々に馬にまたがった時の嬉しさは非常に大きかったです。障害飛越のコツをだいぶ忘れてしまっていました。まずはカンを取り戻す所から始め、技術を思い出したのち、これまで挑戦した経験のない高難度の練習に取り掛かったのです。小6の3月からはデルタとは別の馬へ乗ることに。デルタがあまりに優秀なので、「このままずっとデルタに乗っていたら技術が向上しないぞ」とI先生がおっしゃるから。私、デルタが大好きだった。あまりに可愛くて夢にも見るほど。しかしI先生には逆らえません。「分かりました」と渋々応じ、MRCに居た別の馬を乗るこなす決意を固めたのです。

次に乗った馬の名前は『ディートリッヒ』と申します。ドイツ人歌手・マレーネ=ディートリッヒから取った優雅なお名前。ディートリッヒは女の子。私と同い年の12歳。あだ名は”ディーちゃん”。葦毛 (白)で元気なおてんば娘。


2011年02月の記事 | MRC乗馬日記 (jugem.jp)

ディーちゃん、ピチピチのギャルなんですね。体が弾けてしまいそうなほど筋肉が詰め込まれています。乗ると途端に暴れ出す。ディーちゃんにまたがり、(さぁ、頑張るか)と常歩した瞬間、後ろ足を跳ね上げ暴れ出して騎手をふるい落としにかかるのです。ディーちゃんに何度落とされたことか笑。小6~中1の1年間で中2~高3の5年間の落馬回数を上回っているほど。ディーちゃん、乗り手を試しています。「果たしてアタシをうまく扱えるかしら?」と。ディーちゃんに信用してもらうためには絶対に落ちてはいけません。 (何でこんな暴れるんや…)と途方に暮れつつ、 (絶対に負けないからな…)と闘志を燃やして必死にしがみついていました。

ひとたびディーちゃんから信頼されたら何も怖くはありません。たまに落葉の音にビックリさせられディーちゃんが暴れて落とされはしますが、それ以外では基本的に落馬を誘う因子はない。『1か月に20回』という超ハイペースで落馬したのち、ようやくディーちゃんを乗りこなすための要領を掴み始めます。おてんば娘をいなし、扱う術が徐々に分かり始めきたのです。ディーちゃん、障害飛越については文句なしにスーパーホース。障害物を落とさず飛越したり、障害物コースをショートカットして小回りしたりする能力が突出していた。ディーちゃんとコース走行練習をしたらめちゃくちゃ速くゴールできてビックリしました。デルタでは味わった経験のない圧倒的なスピード感に病みつきになった。

 

3月、小学校最後の春休み中に香川県の競技会へディーちゃんと出場。最初に出たのは60cmの小障害飛越競技。初めての競技会とあってめちゃくちゃ緊張しましたね。競技当日の朝はガチガチに緊張して顔が青ざめるも、I先生から「なに緊張してんねん笑」と脇腹をくすぐられようやく正気に戻れた。

障害飛越競技の場合、競技当日に走行コースの順番を覚えねばなりません。”下見 (したみ)”と称して競技開始15分前から競技場内のコースを歩き、下見終了の時刻までに経路を全て覚え切る必要があります。コースの全長は300m以上。障害の個数は10個以上。フカフカの砂場を歩くだけでも結構体力を削られるのに、同時に経路をも覚えねばならないとあって結構過酷。初めての下見ではまだ慣れていなかったからか、15分で経路を覚え切られませんでした。15分が経ち、I先生から「戻って来い!」と促され、 (ヤバいヤバいヤバい…)と焦りを募らせ経路の最終盤はカンで走ることに。

ちなみに2年後に出場した国体のダービー競技では、コース上に障害物が18個も設置されていました。全長も500m超と大変長く、コースを覚えるだけで精一杯になったのをよく覚えています

練習馬場でディーちゃんに乗り、何度か障害を飛ぶ練習をしてすぐ競技の出番。I先生から「行って来い!」とカツを入れられた際はあわや漏らしてしまいそうに。緊張で心臓が張り裂けそうな時に激を飛ばさないで欲しいんですよ。消え入りそうな声で「はい」と応じて競技場内に入りました。ヘルメットのつばに右手を沿えて審判団にまずは敬礼。それから助走をつけ第一障害へ向かおうとした途端に記憶が飛んだ。 (アレ?最初どれ飛ぶんだっけ…)とたちまち頭が真っ白に。10秒ほど深呼吸して心を落ち着かせ、 (思い出した!)と記憶を取り戻してからスタートラインを切った。

競技中の走っている記憶は全く残っておりません。気付いたらいつの間にかゴールしていて皆が歓声を上げていました。練習馬場へ戻ってディートリッヒから降りると、I先生から「すごいやん。やればできる」と珍しく褒めて (??)もらいました。誰よりもコースをショートカットし、かつ爆速で走行していたようです。競技が終わり、集計の結果、私が一位だったことが明らかに。周囲からの祝福の嵐は本当に心地良いものがあり、(競技って楽しいなぁ…)と心から想った瞬間でした。翌日出場した2つの競技でも優勝を掻っ攫いました。競技会初出場で3つも優勝だなんてあまりに出来すぎた話です。ココで有頂天にならず、謙虚さを保っていられたのは、伸びきった鼻をI先生から事あるごとに折られていたから。I先生には乗馬のテクニックは言わずもがな、生きる上で重要となる人間性を養わせていただきました。

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