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#21 『最善』を尽くさず過ごす人生なんてあり得ない。最早考えられない

#20 『旅行』の魔力。どうしてハマる?なぜ私はハマらなかった?

2024-03-10

2012岐阜国体にて表彰台の頂で見た絶景

中学三年生として迎えた12年前の10月、岐阜国体の馬術競技で全国優勝を達成しました。小学四年生から乗馬を初めて六年目に成し遂げた優勝。優勝が決まった瞬間、周りから一斉に『おめでとう^ ^!』『よくやった!』『可愛い女の子を紹介してやろうか?』といった猛烈な祝福攻め。会場からは知らない人からも通りすがりに「おめでとう。すごいな」と声をかけられました。優勝を機にちょっとした有名人になれて嬉しくなったのをよく覚えています。最初は自身の優勝をまるで他人事のように感じていました。もみくちゃにされ、お祝いに応えていくにつれ、自身が優勝を成し遂げた実感が少しずつ湧き上がってきたのです。「本当に優勝しちゃったんだな…」と驚き半分/喜び半分。

優勝から一時間ほど経った後、馬術競技場の前で表彰式が。同日、優勝した競技の一つ前に出場した競技の表彰が先に行われました。その競技では3位。最終走行。ノーミスで帰ってくれば優勝という所、最後に飛越する障害物を落としてしまい、優勝を取りこぼしてしまったレース。表彰台の3番目に高い景色から見た風景は何だか靄がかかり、灰色に映って見えます。頭上は一点の曇りもない日本晴れにもかかわらず、どうにもスッキリとしない、まるで焼け野原のような薄暗い風景に感じられた。1位になった宮崎県の選手の喜び様を見て悔しかったのでしょう。「勝ちたかったなぁ…」と肩を落とし、ガックリとうなだれながら式を終えました。

その直後、優勝した競技の表彰が行われました。8位入賞の選手から名前が呼び上げられて表彰台の上に立つ形式。優勝者は最後の呼び上げ。司会者に名前を呼ばれ、一番高い台に足を引っかけて”よいしょ”と登ります。まばたきで閉じた目を開けた瞬間、全身に鳥肌が立つほどの興奮と歓びが体の奥底から湧き上がってきたのです。感極まって思わず涙がこぼれ落ちてしまいそうになるほど嬉しった。あぁ、なんて美しい光景なんだ。自分の周りに自分より高い位置に立っている人が居ない。つまり自分は日本一。地に足付かず、突き抜けるような晴れ渡る蒼穹の空に頭から吸い込まれてしまいそうに。倒れず、正気を保つのがやっと。表彰式後、首にかけられた金メダルの重みにようやく気が付き、その重さにどことなく恍惚とした心地良さを味わいました。

 

またあの景色を観に行きたい。もうどうなっても構わない

優勝した者の性(さが)なのでしょうか、岐阜国体の翌月には早くも(来年も勝ちてぇなぁ…)と思い始めてきました。優勝したい。国体で勝ちたい。表彰台の頂点に立ちたい。日本一になれば岐阜で見たあの絶景をもう一度、この目に入れられるでしょう。あの興奮をもう一度味わうには再び優勝するしかありません。

中三で成し遂げた優勝が実力に依るものなのか、それとも運に依るものなのかは分かりません。おそらく運の要素が大きかったのではないかと思います。馬術競技は人間と馬による高度な連係プレー。馬がミスをしなくても人がミスをすれば上手く行かないし、その逆もまた然りといった難しい競技。岐阜国体では偶々全てが上手く嚙み合ったときに限って優勝できました。何らかの不具合が生じたから優勝を逃して3位で終わってしまったのです。

来年の国体でも優勝したい。今度は運に左右されず、他を圧倒的する実力でもって堂々と優勝を掻っ攫いたい。そのためには猛烈な練習が不可欠。馬にたくさん乗って技を鍛え、走行中、どんな状況に陥っても対処できる臨機応変力を鍛えねばなりません。乗馬の練習は本当にハード。一回20~30分程度馬に乗るだけで腹筋や背筋、腕や前腿など、全身がグッタリと疲れます。それを一日10回程度、しかも毎日やらねばなりません。早晩、体がおかしくなってしまいます。だけれど絶対優勝したい。いくら体がおかしくなろうとも優勝したい。”体がどうなってしまおうとも構わない”といました。2012年の岐阜で見た表彰台の一番上からの光景は「青春を賭けてもう一度観に行くに相応しい場所だ」との確信があったから。受験?そんなの知りません。乗馬の方が大事。受験は何度でも再チャレンジできるけれども、乗馬で国体に出ようと思えば中学・高校時代の4年間しかないのだから。

 

最善を尽くすことこそ人生を誠実に生き切る唯一の道

高1~高3までの3年間において、結局、再度優勝を果たすことは叶いませんでした。練習の積み重ねによって自分の技術や自分と馬との連携熟度は向上したものの、それをライバルのレベルが遥かに上回り、到底敵わなかったのです。最高順位は高1・東京国体の5位。それ以外は6位、7位、8位、着外と、中3で成し遂げた結果を越えられませんでした。【練習で頑張り切れなかった】というのが成績低迷の主要因。乗馬クラブに入ってきた可愛い女の子に目移りしてつい練習が疎かになったり、大学受験勉強をやるため乗馬へ力を100%振り切られなかったりしたため。要は自分が悪いのです。最善を尽くさず、練習を十分積み切れないまま本番に臨み、喉から手が出るほど欲しかったあの場所の景色を見る権利を永久に失ってしまいました。おまけに受験にも失敗して浪人。物事に取り組む中途半端さが招いた人生最大の悲劇(喜劇?)です。

高校時代の自身の不徹底を北大入学後、心の底から悔恨しました。「何であのとき頑張り切れなかったのか?あれは最善の行為だったのか?」と幾度も反省。掲げた理想だけは立派。それを掴み取るための努力は怠ったまま。そんなので優勝できるわけがない。そんなので京大に受かるわけが無い。自分のアホさ加減に唖然。何やってんだ。どうしてあのような千載一遇の大チャンスをみすみす逃してしまったんだ… 目標に対してあまりに不誠実だった。目標を叶えるに相応しい努力を積み重ねなくちゃ、目標に到底届かないどころか、同じ目標を目指している人間に対しても失礼極まりありません。

内省に気を取られ過ぎたせいか、せっかく大学へ入ったにも関わらず、部活へもサークルにも入るチャンスを逸しました。気が付いた時には新歓期間の4月が過ぎ、5月のゴールデンウィーク (GW) に入っていたのです。大学生活、一人ぼっちが確定。一人なら一人で何か企てて挑戦するしかない。有り余る時間と体力を使ってGW最終日からランニングを開始。乗馬や受験で眼前に叩きつけられた自身の不徹底ぶりを克服すべく、毎日サバ缶か鶏むね肉を食べる半・精進料理生活に耐えました。苦しい練習にも耐えた。努力が実ったのか、大学三年次の11月、富士山マラソンにてサブスリー (2:59:23) を達成。「やっと何かをやり切れたんだ…!」と最善を尽くせた歓びを味わえました。

ランニングを通じて得られた教訓があります。【自身の発揮可能な最高出力で日々体当たりするのが自身に与えられた唯一の選択肢】だと。最善を尽くしてダメなら仕方がない。最善を尽くさぬまま体当たりし、それではね返されてしまって「もう無理じゃないか…」とこぼすのは大間違い。人生はたったの一度きり。誠実に生き切らねばなりません。、最善を尽くさず過ごす人生なんて全くもって有り得ないのです。どんな場面でも「もっと強く、もっとハードに」と余念なく自己研鑽を行うべき。自身を焼き尽くすほどの誠実さをエネルギーに、自分の最善を極めて突き詰め続けていかねばなりません。そんな生き方が10代の頃、頑張り切れなかった自分に対する贖罪になると信じて。

 

2024年の今年は学生として挑む最終シーズン。12月の沖縄100Kでサブ500できるよう日々最善を尽くします。

 

今週の練習

久々に体重計に乗ってみた所、鍛錬期より3kgも体重が増えていてビックリ。少し体重を落としてからでないと走行練習を積むのは危険。膝や裏腿を壊してしまうかも。ケガで練習が振り出しに戻ってしまうのだけは何としても避けたい。火曜に30分ほど走った所、早くも左足裏に違和感を覚えました。こういう時は走行を控えて体のメンテナンスを行うのが無難。

今週は一日40分程度のウォーキング、および地上階から大学の研究室までの階段昇降を行いました。練習の結果、1kgほど落とせました。あと1週間で500gほどそぎ落としたい所。再来週の火曜から練習を再開予定です。

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