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【インタビュー】乗馬体験記・青春駆ける特別編|記事群作成に至った経緯や見どころ、オススメシーンなど

質問その2:10年間乗馬をやってきて良かったこと・辛かったことは?

リポーター
では次の質問!乗馬を10年間やってきて良かったこと辛かったことを教えて下さい
かめ
まず良かったことから行きましょう。挙げ始めればキリがないのですが、大きく分けると3つあります
  1. 頑張ることの素晴らしさを知られた
  2. 全国の頂からの景色を見られた
  3. 周囲の人間による支えの有難みを知った

この3つになります

リポーター
まずは①について教えて下さい
かめ
はい。

乗馬を始めたのは小学校でのいじめがキッカケです。太り気味の体型を周りから揶揄され、塞ぎこみがち、家に閉じこもりがちだった私を母が乗馬クラブへ連れて行ってくれました。私は生まれつき太っていました。持って生まれたモノをからかわれたので、 (自分なんて頑張っても何をやってもダメなんだ…)とネガティヴな思考パターンをとる事が大変多かった。けれども乗馬を始めてみて、どんどん上達していく自分がいました。センスは多少はあったのだろうと思います。(馬にもっと上手に乗れるようになりたい!!!)と乗馬だけはなぜか頑張れました。小学生の頃って吸収力が凄く高い。何事からも貪欲に吸収し、昨日よりも今日、今日よりも明日の自分は退化することなく進歩している

リポーター
上達すると嬉しいですよねっ♪
かめ
そうなんです。 ”よし、もっと頑張るぞ!”とますます情熱を注げたのです。しまいには乗馬クラブの会員の中で一番上手になれました。クラブ内の競技会で優勝できたし、国体でも勝つことができました。”自分、やればできるじゃん!!!”と大きな自己肯定感が育まれたのです。頑張ることの素晴らしさを身をもって実感できたのが乗馬の一つ目の収穫になります。もしも乗馬をやっていなかったら、昔からの根暗な性格は今でも変わっていなかったでしょう
リポーター
なるほど。次に②について教えて下さい
かめ
中3の時に出場した岐阜国体にて、少年二段階障害飛越競技という種目で全国優勝を達成しました。優勝後、乗馬の師匠を始め、色々な方から「おめでとう!」と声をかけて貰えました[青春駆ける 中3編]。優勝は当然嬉しかったですが、優勝後の表彰式で表彰台から見た風景がコレまた格別でした。一番高い所から見えた景色は青空に映えて神々しかった。この優勝後、(またあの景色を見に行きたい!!!)と命懸けで練習するように。『青春を賭ける価値がある』と心を奪われてしまったのです
リポーター
かめさん、二段階障害飛越競技の直前に出たダービー競技でたしか3位だったんですよね。次の二段階で優勝し、ダービーと二段階の表彰式が続けて催されました。表彰台の頂と少し低い場所からの景色はどう違って見えましたか?やはり、頂からの景色の方が良いものなのでしょうか?
かめ
1位と3位とでは順位は2つしか変わりません。しかし、見える景色には天と地ほどの差があります。

私の場合、3位の表彰を受けた後に1位の表彰を受けました。3位の台に立った時は、隣に立つ宮崎の1位の選手を見て (なんか僕、低い所に立っているな…)と全く気分が上がらなかった。1位の場所に立ってみたら心持ちが全然違いました。”うわー。自分、すごい所に立っちゃったなー!!!”と思わず鳥肌が立ったほどです。あの場所での味を占めたら他の順位では全く物足らなくなります。勝ちにこだわる強い気持ちが自然と芽生えてくるのです

リポーター
…2位じゃダメなんですか笑?
かめ
2位でいいワケがありません。ていうか、何でそんなボソッと言うんですか笑
リポーター
冗談です(*≧∀≦*)

最後に③の解説、よろしくお願いします

かめ
乗馬は華やかなスポーツです。馬と一緒に大きな障害物を飛んでバーッと駆け抜けていく。表に見えるのは選手と馬のみ。しかし裏には馬の先生、厩務員さん、獣医さん、装蹄師さん、そして両親など、数々の人が支えて下さっています。この人たちの誰が欠けても私の乗馬人生は成り立たなかった。国体優勝など言うに及ばず、そもそも10年間乗馬をやるなどおそらくできなかったでしょう。乗馬は周囲の人間の支えの有難みを強く実感するスポーツです。競技の観客からは個人戦のようにもしかしたら映るかもしれませんが、実際には数多の人間が緊密に携わった超絶連係プレーなのです
リポーター
そうなんですね…
かめ
他のどんなスポーツでも周囲の支えなしでは行えません。私の場合、いまはランナーとして全国のマラソン大会を走り回っているのですが、マラソンでも給水所のボランティアの方 (←ボランティアですからね!!)、タイム記録係の方、コース設営の方などたくさんの人にお世話になっています。そうした方々に「ありがとうございます」と言えるようになったのはまさしく乗馬のおかげです。乗馬は私にとって、感謝の意味を教えてくれたかけがえのないスポーツです
リポーター
では逆に、辛かったことについて教えて下さい
かめ
辛かったことも沢山あります。中でも
  1. 頑張れども頑張れども成果が出ない日々が続いた
  2. ”勝ち”にこだわりすぎて乗馬を楽しむのを忘れたことも

この2つが特に辛かったですね

リポーター
では、一つずつ教えて下さい
かめ
はい。まず①について。

乗馬の練習は体力的にすごく辛かったです。朝から晩まで馬に乗って毎日ヘトヘトになりました。指の間にタコができる、お尻の皮が剥げるなど、乗馬の猛練習による体へのダメージは尋常ではないものがありました

リポーター
何となく想像がつきます…
かめ
しかし、体のダメージは寝たら癒える。中学・高校生のときは回復力が高いので3日も経てばヘッチャラになります。

それよりもっと重症なのがメンタル方向へのダメージです。 (頑張れども頑張れども上手くいかない。どうやったらいいんだ?) と悩む時間が本当に辛かったですね。例えば私が中2のころ、一つの大会で6走行中5回も失権 (走行途中に走行の権利を失うこと)してしまったことがありました。自分の走りを見失ってドツボにハマっていたのです[青春駆ける 中2編]。その大会以降も失敗続き。競技へ出れば出るほど失敗の量が積み重なっていく。長いトンネルを潜り抜けるのに1年近く要しました。試行錯誤の末に上手くいく方法を見つけてようやく成功への道が開けてきたのです

リポーター
どのようなことを試行錯誤したのですか?
かめ
馬のペース、歩幅、走りの弾力、姿勢。人間だと目線、重心の位置、合図の出し方、手綱の使い方など様々ですね。

乗馬は馬との力勝負ではありません。力だと相手は一馬力ですからあっさり負けてしまいます。馬のパワーを使いこなすには高度な技術が求められます。それは大変感覚的なもので、人から言われて”あぁ、こうすれば良いんだな♪”とすんなり会得できるモノじゃありません。人それぞれ体格が違うので人それぞれに合った技術が必要となります。上手くいく方法を自分で一つずつ泥臭く試していくのが唯一の道です

リポーター
まるで研究者みたいですね
かめ
そうですね。いまの大学院での研究活動でも、実験をしながらふと (乗馬と似たようなことやっているなぁ)と思う時があります。正解のない問いに対して最適解を探し求めるのは乗馬と研究とで何ら変わる所がありません。対象がまるで異なるだけでやっているのは同じこと。乗馬をやってきたおかげなのか、研究の際、試行錯誤することに対しほとんど抵抗感がありません。辛いのにはもう慣れっこですし、長いトンネルを抜けた先に栄光が待っていると知っているからかもしれませんね
リポーター
次に②について教えて下さい
かめ
はい。

中2までは”もっと、もっと上手くなりたい!”と無邪気に練習していられました。ところが中3にて国体で勝ち、勝利の味を知ってしまった。すると考えがガラッと変わる。”また勝ちたい。あの場所に立ちたい…!!!”と執念深くなったのです。乗馬を楽しむ余裕が少しずつなくなっていくのが分かりました。”楽しんでいる場合じゃない。このままじゃ優勝できない”と常に切迫感があったのです

リポーター
それはさぞ辛かったでしょうね…
かめ
サルのように乗馬へハマり、楽しみまくった延長線上に勝利がある。中3にて国体で勝った時は楽しくて仕方がありませんでした。しかし私、勝てた要因を『追い込んで練習したから勝てたんだ』と誤って解釈してしまったのです。年次を経るにつれライバルのレベルがどんどん向上していくのを見、”もっと練習しなきゃ、まだまだ足らない!”と悲壮感いっぱいで練習しました。そんなので馬に楽しく乗れるわけがありません。どんどんどんどん辛くなり、最後の方は歯を食いしばって「乗るしかないんだ」と自らに言い聞かせて騎乗していたほどです
リポーター
もう少し肩の力を抜いて練習できれば……ということですか?
かめ
そうですね。結果ばかり追い求めすぎ、結果に至るまでのプロセスを味わう余裕が無かったのが反省点です。もしタイムスリップができるなら「もっと楽しめよ^^」と昔の自分に言い聞かせてやりたいです。まぁ、聞く耳を持ってくれるか定かではありませんが笑

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