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最終話 大学生、青春駆ける|青春駆ける ~馬術に情熱の全てを捧げた10年間の成長の足跡~

大学一年生

4~5月:北大馬術部への入部を決めるも取り下げ

北大に入学後、馬術部へ入ろうと思っていました。というより、馬術部へ入るために北大を志望したのです。北大馬術部は国立大の中では屈指の規模。馬が何頭も在籍していてだだっ広い馬場で練習できます。大学でガンガン競技へ出てやろうとは正直思っていませんでした。むしろ、大学では選手の裏方としてサポートする側に回りたかった。選手側と裏方側の両方を知ることで乗馬業界の理解を深めたかったのです。優勝や入賞といった高い目標を掲げ続けて疲れてしまったのも理由の一つ。ただし、競技へ出る選手たちのいる環境へ行って得られる刺激的な興奮も必要。(両方を同時に叶えられる大学、学力的にちょうどいい大学はないかな) と調べて最終的には北大志望に。

4月初旬、馬術部の新歓へ。先輩部員の話を聞いて”馬術部に入りたい”と思いました。新歓の翌日、馬場に部活の見学へ。馬場中を馬が走り回っているのを見て (やっぱコレだよ。コレをやりたい)と心が騒いだ。練習後、先輩部員らと一緒に部室へ。A4用紙の入部届を1枚いただきその場でサインし入部が決定。家に帰り、 (コレで自分も馬術部員か!!!)と胸が高まってきました。ウマ漬けの毎日を想像すると躍り出したくなるような心地に。

気が変わったのはその1か月後。 (あれっ?自分、もしかして入部したらまずいんじゃないか?)と思い始めた。というのも私、北大へは”総合入試理系枠 (総理)”というもので入学しております。総理は学部一年次にはどこの学部にも所属しておらず、一年次の成績上位者から順に二年次以降、行きたい学部へと移行できる仕組みなのです。人気学部へ移行するには良い成績が必要不可欠。良い成績を獲得するには潤沢な勉強時間が不可欠です。馬術部へ入ると勉強時間が他の人より少なくなります。要領良く勉強すれば短時間で好成績を叩き出せるのでしょうが、私のような不器用人間にそうした器用な所業は不可能。勉強時間を確保するため馬術部へ入ることはできません。「ちゃんと勉強してきます」と親へ宣言して札幌へ来た手前、乗馬にうつつを抜かして勉強を怠るなど論外、不誠実な行為です。馬術部の部室へ「このあいだ出した入部届、一旦返して下さい」と伝えに行きました。先輩ら、キョトンとした顔で私を見つめてきましたが、事情を説明すると「そりゃ仕方がないな」と納得して下さりました。「もしまた入りたくなったらいつでもおいで」とまで仰って下さった。馬術部の方の優しさが胸に染み「ありがとうございます…」と返すのがやっと。

 

5~9月:自室で一人、暇を持て余す日々。夜道をパジャマで全力疾走

大学のテストを受け体感したのは『勉強時間など全然必要ないじゃないか笑』というもの。思っていたものの1/5程度の負担でアッサリ潜り抜けられたのです。先輩らから聞いた膨大な試験範囲に怯え、 (ヤバい。これは真剣に勉強しなくちゃ…) と必死に対策しようと思っていました。でも友人から「コレやっておけば大丈夫らしいよ♪」と過去問を渡され、本番でもその通りの問題が出題されて「マジかよ……」と驚愕することに。高校までのテストとは違う。実力を測る試験ではない。大学のテストは情報戦どれだけ広く情報網を張り巡らせ過去問を入手できるかが勝負を分かつ。何年分か過去問を得られれば、教科書を放り投げ過去問だけをやりこみアッサリA+をいただける。逆に過去問を手に入れられず、己の実力だけで試験に挑み撃沈したらBやCになる世界。私の場合、部活に入っている友達を作れたおかげで多くの過去問をもらえました。彼からは過去問をありがたく頂戴し、私からは過去問の模範解答を作って渡すというwin-winの関係。結果、前期の成績はGPA3.72/4.3 (平均A以上)というまずまずの好成績。さほど労力を割いたわけでもないのに成績が良くて驚きました。

”成績を簡単に取れる”というのは勉強時間の少なさを示しています。良く言えば「コスパよく」/悪く言えば「ずる賢く」テストを突破したのです。ココで大きな問題になったのは【空いた時間、何をしようか…】といったもの。膨大な時間をどう使ったらいいかが分からず途方にくれました。勉強時間がいっぱい必要だと思っていたから馬術部に入らなかった。本来馬術部へ費やすはずの時間を全て勉強に充てるつもりでした。馬術部には入らない、勉強も大してやることがないとなれば私は果たして何をすれば??暇やエネルギーを大いに持て余し、自室を一日何百回も右往左往したり家の回りをブラブラしたり。

5月のある日、感情が爆発。「やってられるかーっ!」とエネルギーのやり場を探し求めた。部屋に籠ってばかりなんて辛い。こんなの浪人時代と変わらないじゃないか。下駄箱を見ると、広島から持ってきていたボロボロのランニングシューズが。それを3秒で履き、パジャマで夜道を全力で駆ける。「コレだよ、コレ!自分、生きてる!」 生の実感を覚えました。馬と走るのが無理なんだったら自分の足で走ればいい。手段は違えど目的は同じ。生きるために駆けなきゃ、駆け続けなきゃ。以降、週3~5回、定期的にランニングを行うことに。9月にはその成果を試すべく東京・赤羽でハーフマラソンに出場。初めてのハーフマラソンながら1時間44分 (平均キロ5分程度)でゴール。

 

9月:馬術部へ入部。どーしても馬と関わりたい…!

赤羽のハーフから札幌へ帰り、久々にスッキリとした気分で家のベッドで横になりました。”ランニング、楽しいやないか^ ^”と走ることに快感を覚えたのです。それと同時、(このまま乗馬から離れて本当にいいのかな…)とも思い始めた。これまで9年間もやってきた乗馬。縁を完全に断ち切ってしまって本当に良いものなのだろうか、と。翌朝、”1週間後に千歳で全日本大会がある”との知らせが。国体には4回出たけどシニアの全日本には未出場。どんな雰囲気なのだろうかと少し気になってきました。そこで翌週末、電車とバスを乗り継ぎ千歳・ノーザンファームへ行くことに。

さすが全日本。雰囲気がピリッとしています。選手たちの顔は真剣そのもの。傍で雑音でも立てようものならキッ!と睨みつけられそう。競技場へ行ってみたらちょうど120cmの競技中。出番表には知っている名前がチラホラ見られ、(自分も受験しなかったらこの中に名前があったんだろうな…)と胸が強くギューッと締めつけられました。日差しを避けるべく木陰に行くと、北大馬術部の先輩方が二人立っておられました。「こんにちは!」「おぉ、久しぶり!どしたん?」「馬が見たくなってきちゃいました」本音でそのようにお返事しました。先輩、本当に優しいですね。「馬に乗りたくなったらウチにおいで」と私に言ってくれたんです。それを聞いた私、次の瞬間スイッチが入り、気が付いたら「やっぱ馬に乗りたいです。馬術部に入れて下さい」と二人に懇願していました。のちに二人が部長へ話を通し、部長のOKをいただきます。全日本から一週間後、馬術部への電撃入部を果たしました。

これまでの期間、”馬と関わりたい”という自分の本音をランニングでかき消し・ごまかしてきました。呼吸が乱れるほど我武者羅に走れば余計なことを考えずに済み、やがて表面的には”乗馬なんてもういいや”とまで思うようになったのです。大学で仲良くなった友達に「もう馬には乗らないの?」とよく聞かれました。”国体優勝までしたのにもったいないね”と。それに対して私はいつも「うん、もういいかな」と無表情で返答。乗りたくても叶わない。ならば自分からウマと距離を置き、ウマへの気持ちをひと思いに断ち切ってやるつもりでした。

本音にフタをし続けていたら必ずどこかで大爆発します。とどのつまり、理性は感情を押さえつけ続ける持久力を有していないのだから。ノーザンファームで馬を見たとき、本音を押さえつけていた心のフタが木っ端みじんに砕け散った。「もうこれ以上は我慢できん。馬に乗らせろ!!」と本音が叫ぶ。馬術部へ入部し馬に騎乗しようやく本音くんが穏やかに。胸の隅々まで幸福で満たされた非常に気持ちの良い時間でした。

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