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vol.7 高校1年生、連覇はならずも|青春駆ける ~馬術に情熱の全てを捧げた10年間の成長の足跡~

10月:東京国体


国体 | MRC乗馬日記 (jugem.jp)

東京への移動・国体開幕まで

国体本戦の出場に向け9/30夜にMRCを出発。目的地は東京都・あきる野市の国体会場。広島県からあきる野市までは馬運車で片道12時間以上。暑さを避けるため深夜に出発、昼過ぎに到着するスケジュール。昨年と違い、今回は愛媛には寄らず、逆に愛媛から広島に来ていた人馬を載せての大移動。I先生からの「オモロいこと言え」との無茶ぶりが無くて本当に良かった。前年と同様なのが『絶対に寝てはいけない馬運車移動24時』。I先生が運転中に寝落ちしちゃったらOUT、こっ酷いお仕置きを食らうルール。今回は昨年の反省を活かし、馬運車で移動する前に学校でたっぷりと寝ておいたんです。おかげで全く寝落ちすることなくI先生の横に座っていられた。I先生も驚いていました。「お前、全然寝ないやん」と。寝て痛い目に遭うのが嫌だったから最大限対策しておいたんですよ。「お前、やればできるやん。代わりに運転もしてくれんか?」と言われた時はちょっとよく分からなかったけれども。

東京・日の出ICで圏央道を下りて下道に出、ソコから車で10分程度の特設会場へ行きました。馬運車の荷台を開けスプラッシュを見るとかなりお疲れのご様子です。そりゃそうだ。12時間以上も横になれず、立ちっぱなしで移動していたのだから。「頑張ってくれてありがとうね」と再三感謝の言葉をかけ、足を休めてもらうためフカフカのおが屑がパンパンに詰まった厩舎に連れて行きました。着くとすぐ、スプラッシュさんは「あー、疲れたわぁ~」と横になってしまいました。このまま起き上がらなかったら結構心配だったのですが、すぐ元気に跳ね起きてくれたので”あぁ、良かった^^;”と顔がほころんだ。会場のすぐ裏手にはイオンモール日の出がございます。食べ物や飲み物を大量に調達して広島ぶりの飲食を摂りました。

国体恒例・選手村散策。滞在2日目に行いました。国体用の特設会場とはいえ敷地面積がめちゃくちゃ広い。会場全体を歩き回るだけで正味1時間ほどかかりました。東京国体の7年後、2020年には東京オリンピックを控えています。東京国体はそのリハーサルとして、気合を入れ会場を作ったようです。厩舎の周辺を遠慮がちにコソコソ歩くと、あまりの女子選手のキラキラ度合いに思わず立ち眩みしてしまいました。今回はヤバい。関東圏の人がたくさんいらして昨年とは段違いのキラキラ具合。穴の開いたポロシャツやジーパンで国体へ来たのを後悔したほど。 (なんか、出歩くの恥ずかしくなってきたな…)と厩舎へ引きこもりがちな国体でした。

 

国体期間中 (10/3~10/7)

【大会出場予定】

1日目) 10/3:少年ダービー競技
2日目) 10/4:成年女子ダービー競技 (スプラッシュのみ出場)
3日目) 10/5:少年二段階障害飛越競技&リレー競技

 

東京国体は初日から3日連続で出番が。初日には昨年、あと一歩のところで優勝を逃したダービー。二日目は私はお休みでしたが、スプラッシュだけは他の人に乗られてまたもやダービーにご出場。三日目は午前中に連覇を懸けた二段階、午後には団体戦のリレー競技 (ルールは後述)。四日目の休みを挟んで五日目に広島へ戻る形。

 

まずは一日目のダービー競技。昨年の悔しさがあっただけに”今年こそは”と強い思いで臨みました。私の出番までに一頭が無落下でコースを完走。優勝するには私もまず無落下でゴールし、優勝決定戦ジャンプオフへと駒を進めねばなりません。I先生に「落とさず帰ってこい!」と檄を入れられ「頑張ります!」と応えていざ出走。序盤はリズムを作れず飛越にもたついてしまっていたものの、馬に再三助けられてどうにか無落下で回っていました。水濠を越え、右に曲がって3歩先のオクサー障害へ向かった時。カーブで少しリズムを崩して前脚で障害を落としました。いくらコースの走行中といえども『コロン…』と横木の落下する音は聞こえる。観客席から「あ~…」とため息が漏れて (落としちゃったのか…) と肩を落とす。しかし、競技はまだ終わっていない。翌日、翌々日の競技のために良い形でフィニッシュしなくちゃいけない。落ちる気力をどうにか持ち上げ最後まで走り切りました。減点4、二度目のダービーは5位での幕切れ。

少年ダービー競技 5位走行映像

あまりの悔しさに表彰式では前を向けませんでした。昨年は不注意で落とし、今年もまた似たような不注意で障害を一つ落としてしまった。練習にかまけてAちゃんばかり目で追っているからこうなるんです。”ちゃんと練習しておけばよかったなぁ…”と日本海溝よりも深く後悔。いつも助けてくれるスプラッシュさんにブルーリボン (註:一位になると貰える馬リボン) をプレゼントできなかったのも無念。5位のピンクリボンも可愛いけれども、クールビューティーなスプラッシュにはピンクよりもブルーのリボンの方がお似合い。ちなみにこのダービーで4位に入ったのが山口県の同級生の女子選手。この子もすごくお顔が可愛い。「国体って美人しか居らんなぁ…」と5位表彰時、悔しさを噛みしめながらも目を瞑り一人で呟いていました (←こんな事ばっかり言っているから私、肝心な時に障害をポロポロ落としてしまうんですよ笑)。


東京国体・馬術競技最新情報 | Facebook

 

二日目はスプラッシュだけが成年女子のダービーへ出場。よその乗馬クラブに所属している女性ライダーが騎乗しました。スプラッシュに乗るのが初めてとは思えぬほどスムーズに走って (すげぇなぁぁ……)と感動。ジャンプオフに残り、最終的には見事、4位入賞を果たされました。I先生から「お前もあの人みたいに乗らなアカンよ」と脇をくすぐられながら言われます。「くすぐったい、くすぐったい!死ぬ!!ギャハハハ!!!」と笑いながらも (そうだよな、見本にしなきゃな)と真面目に思いました。

 

三日目の午前、二段階障害飛越競技に出場。二連覇が懸かっているとあってか、I先生、朝から「勝てよ、気合入れて行けよ…」と相当なプレッシャーをかけてきました。連覇、連覇と意識しない方が絶対に良い結果が出ます。結果とはあくまで最善を尽くした末に”ご褒美”としていただけるものであって、ご褒美に執着したらそこまでのプロセスがおざなりになり結果すら付いてこないのです。でも私、そんなことI先生に言えるわけがありません。だってI先生、怖いんですもの笑。もし口ごたえしたらどんな目に遭うやら分かりません。「ハイ、頑張ります」と口だけで応じて (あぁ、緊張させないでくれよなぁ…)と顔が真っ青に。

午前中は関東地方を盛んな低気圧が襲来しました。強い雨、ぬかるんだ馬場、雷が鳴るなど劣悪な状況。それでも競技は行われます。しかも私、トップバッターだった。他人の走行を見てイメトレする間もなく競技場で走らねばなりません。二段階障害飛越は一段階目と二段階目に分かれて行われる競技。一段階目を時間内に無落下で回れた人馬だけが続けて二段階目を走行可能。残念ながら一段階目の途中で一つ、障害物を後ろの脚で落下してしまいました。踏切位置が微妙に合わずに完飛できなかったのです。一段階目の最終障害を飛越後、無情にもブザーが鳴りました。二段階目で落とすならまだともかくとして、二段階目にすら進出できずに落ち込む結果で終わりました

少年二段階障害飛越競技の走行映像

連覇の夢があえなく潰え、大雨に打たれながらボロボロ悔し泣き。練習ってこうしたバッドコンディションでも成果を出すためにやるものなのですが、練習を怠った自分がこのコンディション下で結果を出せるわけがありません。「ちゃんと練習しとけや、過去の自分!」とまたもや自分を責める始末。泣いてばかりもいられないので、スプラッシュの濡れた体を拭き取り午後の競技に備えた。

東京国体最後の出番は団体戦のリレー競技。一つのコースを二人馬で走って走行タイムを競うもの。前の選手が第六障害を飛越して地面に着いたその瞬間、第七障害を飛越する権利が次の選手に委譲されます。このバトンタッチをどれだけ円滑にできるかがチームの命運を分かつ。相方のYちゃんは前半、私は後半パートの障害を担当。Yちゃんは第六障害まで一落下にとどめて完走しました。バトンタッチされ私の番。助走をつけ始めるタイミングを見損なって4秒ほど痛恨のタイムロス。加えて私の走行中にも障害を落下。一落下につき4秒が加算。よって、フィニッシュタイムへYちゃんの分と合わせて8秒が加算されました。最終的に、広島県チームと入賞ラインまでは4秒以内の差という結果に。私がタイムロスさえしなかったなら二人で入賞できたワケです。「ごめん」とYちゃんに全力で謝罪。Yちゃんさんも「私も落としちゃったからおあいこだね」と優しく慰めてくれました。

少年リレー競技の走行映像

 

四日目、五日目午前中と放心状態で過ごします。県の他の選手の手伝いをした他は競技場で競技を観戦。”自分は一年間、何をやってきたのだろう”と静かに内省する時間。一度チャンピオンになったからといって調子に乗ってやしなかったか?と。調子に乗るなど100年早い。せめて国体で3連覇するほど圧倒的な成績を残してからじゃなきゃ。マグレで一回勝てて油断し、当然の如く翌年に失敗。”自分は決して乗馬の天才じゃない”と嫌というほど知っているのだから、泥臭く我武者羅に練習しまくり経験値を積まねばいけません。五日目の午後、最終競技の六段障害飛越競技を観戦。日本記録の197cmを完飛する人馬を目の当たりにし、「カッコいい。自分もこれぐらいカッコよく乗れるようになりたい!」とやる気をいただいて帰りました。

 

終わってから

国体で5位になったぐらいじゃ特に何の反響もない。学校の正面玄関に『亀水くん 東京国体5位入賞』と垂れ幕をかけてもらった程度。学校ではむしろ、国体の2週間後に受けた定期テストの対策で手一杯。12科目もの膨大な試験範囲を迅速にカバーすべく勉強に邁進。結果、総合成績学年7位/280人と過去最高の成績でした。1200点満点で1078点と9割近い総得点。特に数学は満点で学年1位、英語では3位と会心の出来栄え。 (国体より良い順位じゃないか笑) と一人でニンマリしていましたね(*≧∀≦*)。長期間ダラダラと勉強するより短期集中型の方が良いのかもしれない。これ以降、テスト直前に猛勉強するスタイルへ切り替えました。

順番は前後しますが、国体から一週間後、MRC内の競技会に出場しました。スプラッシュとは別の馬に乗って80cm競技へ出場した後、なぜかI先生から「お前も出ろ」と言われてスタッフ対抗レースにも参加。このレース、体力の消耗がえげつないんです。馬で走るような障害の経路を前半パートは人の足で走り、呼吸を整える間もなく馬に騎乗し後半部分のコースを回る。形は違えど【二段階障害飛越競技】。国体と違って必ず二段階目へ行けるからちょっと安心です♪。レース直前、私の乗る馬にI先生が近づき何やらゴソゴソしています。「何をしているんですか?」と回り込んで様子を見ると、I先生、私の鞍から鐙を抜き取っていたんです。

「ちょっと、何するんですか笑!」と鐙を取り返すべく手を伸ばす。でもI先生、譲りません。「お前、体力あるけぇ走るん速いやろ。鐙無しぐらいのハンデは付けなアカン」と謎理論を展開。いやいや、鐙無しで経路を回るの危ないしちょっと怖いんですよ。ソレにだいたい、鐙無しでいったいどうやって馬にまたがれというんだ…。

I先生に鐙を取られて (も~、仕方がないなぁ…)と観念します。前半にできるだけタイムを稼ぎ、馬にまたがるトランジションの所でのタイムをひねり出す作戦。前半部分を予定通りこなし、”さぁ、馬にまたがるぞ”と覚悟を決める。でも鐙無しでは足を掛ける場所が無いから頑張っても馬に乗られません。そこでAちゃんに「お願い!」と馬を前から持っておいてもらい、近くにあった脚立を取りに馬場の外へ猛ダッシュ。I先生、コレを妨害すべく猛然と走って追いかけてくる (←なんでやねん笑)。私の方が速かった。脚立を得、馬の所まで戻り脚立を使って馬にまたがる。後はその勢いに乗って後半の障害を飛越しました。スタッフ対抗競技では一位。I先生から「来年は”鞍無し”で参加してな」と理解不能なことを言われて終幕。

 

2013年11月の記事 | MRC乗馬日記 (jugem.jp)/ウイニングランをする時だけ鐙を返してもらいました (*そのすぐ後、また没収されました)

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