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vol.6 中学3年生、国体で勝つ|青春駆ける ~馬術に情熱の全てを捧げた10年間の成長の足跡~

国体

7月:国体予選・中国地区ブロック大会へ。本戦出場権を無事にGET

 

出るからには頑張るしかない

国体への挑戦が突然決まって最初はめちゃくちゃ当惑しました。一年前、全日本ジュニアで失敗した雪辱を晴らす絶好の機会なのですが、(自分にはまだ全国の舞台は早い、早すぎる)と思っていたのです。まずは120cmのコースを何度も走って経験値を積みたかった。満を持して全日本に出てリベンジを果たす, という完璧な筋書き。現実はそうはいきません。態勢が整っていない時に千載一遇のチャンスがきて、万全の態勢を整えた時に思わぬことで足をすくわれます。我々選手に出来ることは最善を尽くし続けるのみ巡ってきたチャンスを意地でも離さず一発でモノにしなくちゃならない

『出るからには頑張るしかない』と、それからの3か月は目の色を変えて練習に打ち込みました。これまでに培ってきた良いスピード感を維持しつつ、障害物の前で馬を踏み切らせる位置を合わせる特訓もしました。新しい技術へ挑戦するには少なからず痛みを伴います。何度も何度も馬から落とされ全身真っ青、青アザだらけ。痛めば痛むほど”負けていられない”と心がグワーっと燃え上がってきました。『これだけケガして練習するなら絶対に成果を得なくちゃ損だ』と。国体予選 (通称・ブロック)の1か月前、ブロックと同じ会場の蒜山 (ひるぜん, 岡山県)で中四国馬術大会へ参加します。初日の120cmでは2落下するも、翌日の110cmでは無落下で優勝。どうやったら失敗するか/上手く行くかを両方経験できたのが凄く大きいこれらを体感的に会得しちゃえば失敗する要素がもう見当たらないから

M-D (公認) 優勝走行映像

 

中国ブロック大会出場

1か月後、7月初旬、蒜山でブロックに出場しました。金・土・日と3日開催のため、金曜日は学校をサボり特別欠席しました。厩舎は各県の競技連盟の方が応援に駆け付けるなど異様な雰囲気。広島県のチームメイトの方から「頑張ってね!」「楽しんでね!」と有難くもエールを頂きます。ただ、言われれば言われるほど益々大きなプレッシャーに。10分ごとにトイレへ行くなど出番が近づくにつれ緊張が増した。

ブロックでは3つの競技に出場し、その全てで1位になって本戦への出場枠を確保。特に標準障害飛越競技では120cmを減点ゼロ、優勝決定戦 (ジャンプオフ)でも一落下に留めて無事に帰って来られました。

標準障害飛越競技の走行映像

コレ、もしブロックの競技で落馬でもして失権したら、本戦への出場枠を他県に奪われ自分は出場できなくなります。迷惑の及ぶ範囲が自分ひとりだけで済むならまだ良いんです。枠の都合で他の選手に迷惑をかけるから超恐ろしい。

ブロックの最終日、『団体障害飛越競技』という団体戦に出場。この団体戦、”他県”の用意した馬 (貸用馬)にまたがり110cmコースを走るんです。広島県の監督のくじ運が強くてシード権を得ていきなり決勝。相手は岡山県チーム。

  1. 広島県の選手が広島県の馬にまたがって走る
  2. 岡山県の一人目の選手が岡山県の馬にまたがって走る
  3. 岡山県の二人目の選手が広島県の馬にまたがって走る
  4. 広島県の二人目の選手 ()が岡山県の馬にまたがって走る

といった順に走行。広島県の相方 (Yちゃん)は問題なく完走して帰ってきます。しかし2人目、岡山県の選手が障害前で馬の拒止により落馬。2番後、私はこの馬に乗って110cmコースを走るワケです。 (いやマジかよ、ちゃんと帰ってこられるかな…)と不安しかありませんでした。3人目、岡山の選手は無事にゴールし帰ってきました。自分がちゃんと完走して帰って来られたら本戦へコマを進められます。ココで広島県の悪いおじさんたちが四方からヤジを飛ばしてきました。

「失権したら坊主やぞ!」
「失権したら蒜山に置いて帰るぞ!」
「失権したら好きな子の名前言うぞ!」

と、私が緊張して言い返せないのを良いことに言いたい放題。”私の好きな子”なんていったい誰の話なんですか笑。あの人たち、放っておいたら他県の女の子に『アイツ (私)、お前のこと「好き」って言うとったよ』と真顔で平気でウソをつくから、 (次は誰の口から何が飛び出すだろうか…)とヒヤヒヤしてたまりませんでした。競技自体の記憶は緊張でほとんど残っておりません。気が付いたらフィニッシュラインを切って周りから「よくやった」と褒められていました。

 

夏休み:お尻の皮が剥げるほど練習。朝から晩まで乗馬漬け

ブロックで自分の出場枠を得て10月の本戦出場が決定。 (”デブ”といじめられていた自分が国体選手か…)と少し感慨に耽りつつ、迫りくる決戦を迎え撃つべく練習を積み重ねました

I先生との強制相談の結果、

  1. ダービー競技
  2. 二段階障害飛越競技
  3. 団体障害飛越競技

これの3競種目への出場が内定。ダービー、ダービーとうるさく言われたあのダービーへ出ることに。これらの3競技のうち、とりわけ念入りな対策が必要なのがダービー競技。丸太や水濠など天然物を飛び越える競技なのですが、普通の障害物とは異なる形状の障害を飛ぶことになるから、飛越するためのコツや技術や経験値を事前に会得しておく必要があります。加えて、競技でどんな障害物が設置されるのか当日になるまで知らされません。どんなモノが置いてあっても飛べるような練習が不可欠。そこで、MRCのインストラクターさんや会員さんらと一緒に坂へ障害を作りました。障害物の下に深くて長い穴を掘って迫力を2倍増しに。また、クラブの敷地内から土を運んできて重機で固め、丸太と組み合わせ『バンケット障害』なるものも作りました。ダービー対策のため日焼けで真っ黒になりながら作って下さった皆様に感謝しています。

バンケットバンケットのイメージ図

2012年09月の記事 | MRC乗馬日記 (jugem.jp)/バンケットの上にいるのが私です

坂道障害やバンケットを使って狂ったように毎日練習。(応援してくれる人たちのためにも練習しなくちゃ)と一心不乱に。ただ国体へ出るだけだったらこんなに練習しなくてもいい。『どうせなら優勝したい。頂に立ちたい』とテッペンを取るための猛練習。MRCへ朝7時半に行ってスタッフさんと一緒に厩舎掃除。”掃除してくれたお礼に”と、その日まだ運動していないMRCの馬に乗せてもらった。最も多い時で一日最多で10頭乗ったことも (⇔普通の会員さん1~2頭程度)。朝から晩まで食べる暇も惜しんでウマ漬けな日々を過ごしました。コレだけ馬に乗っていたならお尻の皮が剥がれてきます。どうしても痛い日はお尻にシップや絆創膏を貼って痛みを誤魔化していました。

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