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vol.6 中学3年生、国体で勝つ|青春駆ける ~馬術に情熱の全てを捧げた10年間の成長の足跡~

国体

9/30~10/4:岐阜国体出場。二段階障害飛越競技優勝!

国体

国体会場まで (9/26~9/28昼)

9/26、岐阜国体へ出場するため馬運車に乗ってMRCを出発。途中、愛媛県チームの人馬を載せて岐阜の競技場まで行く旅程。広島から愛媛まではI先生・私・スプラッシュの三人旅。I先生と何を話していいやら分からず途方に暮れる時間でした。ずーっと黙っているとI先生、突然、「お前、なんか面白いこと喋れや」と注文を付けてきたんです。苦し紛れにネタをひねり出した所、「全然おもんない。もう喋るな」と一蹴されてしまいました泣 (”喋れ”って言うから喋ったのに…) 。

愛媛で愛媛県チームの方と合流して車内は賑やかに。私、話をするより耳を傾けている方が好きだから、 (やっと聞く側に廻れるんだ…)と胸をなでおろしてホッと一息。愛媛から岐阜国体の会場まではおよそ半日。愛媛を深夜に出発するから翌日昼ごろ着く感じ。出発した最初の頃はまだ起きていられました。しかし私、出発まで一睡もしていなかったので、途中から強烈な睡魔に襲われスーッと眠りこけてしまいました。すると右側からみぞおちの辺りへ強烈な一撃を食らいます。「ウェッ!」とえずいて右を見ると、運転席のI先生が鬼の形相で睨んでいます。I先生、「オレが運転しているんだからお前も起きてろ」とおっしゃった。”運転しないお前だけグースカグースカ寝ていられるのはズルいだろ”と。「はい、分かりました」と背筋を正し、何とか寝落ちせぬよう必死にこらえた。でも眠いものは眠いです。耐えられず寝てしまってはI先生に鼻をつままれ呼吸困難になって起きる絶対に眠ってはいけない馬運車移動24時。何回お仕置きを食らったか、千手観音のお手を拝借しても数えきれないほど。後部座席では愛媛県チームの選手が気持ち良さそうに寝ていました。(いいなぁ、自分も寝たいなぁ…)と羨ましく思っていた次第。

 

国体開幕まで (~9/29夜)

眠気と12時間戦い続け、9/28昼、ようやく岐阜県に到着。会場で馬運車からスプラッシュを下ろして馬と一緒に広島県チームの厩舎へ。既に厩舎には広島から来た別のクラブの選手が何名か。「いらっしゃい!国体頑張ろうね👍」と迎え入れて頂きました。

馬に水とエサをやり、夕方のエサやりまでの時間は選手村全体を散策。まず他県の厩舎をうろつくと、めちゃくちゃツヤツヤで頭の良さそうな馬でいっぱいだったのに目を見張りました。選手も見るからに腕が良さそう。 (こんな人たちと戦わなきゃいけないのか…)とスッカリ意気消沈しました。確かに私は広島県のジュニア世代の中なら一番上手い。しかし全国に目を転じてみれば、私より遥かに上手な選手などごまんと存在するわけです。井の中の蛙、大海を知る。大海の激しい荒波を呑みこみゲホゲホむせてしまいました。そんな私の心を慰めたのが女性の圧倒的な可愛さです。360度どこを見てもクールビューティーな美人がいて、「すげぇな。何じゃこりゃ…」と気分が上がって少し気分を盛り返しました。ボ―としていると私の後ろから、広島県の悪いおじさんが「かわいい子見つけたの?」と図星を指していじってきます。「いやいやいや、そんなことないですよ!」と冷や汗をかきながら必死に打ち消すも、「隠さんでえぇて。オレだけに言ってみ?本人に伝えといたるから♪」と秘密を守るのだか守らないのか。国体会場ではどうやら全く気を落ち着けられない日々になりそう。洗礼を受け、「コレが国体か…」と全国の厳しさを思い知った。

気分転換に馬場へ行くと、ダービー競技用と思われる大きな障害が奥の方に設置されていました。丸太に水濠、それに急坂など、「あっ、進研ゼミMRCで見たヤツだ!」と言いたくなるようなものばかり。コレらを飛ぶのが初めてだったら面食らって上手く飛べなかったはず。 (ちゃんと練習しておいて良かったわぁ…) と少しだけ何とかなりそうな気がしてきた。馬場と観客席が非常に近いのも国体会場の大きな特徴。馬が後ろ足で蹴り上げた土をお客さんが浴びてしまうんじゃないかというほど。観客席にお客さんがたくさん入ると競技中、馬がそちらに気を取られます。注意力が散漫になり、障害物の不用意な落下に繋がってしまいかねません。走行中は普段以上に馬を丁寧に誘導しなくちゃいけない。我武者羅なだけでは結果は出ないし、かといって安牌を狙うと安牌にさえならない可能性も。

国体のスタートは9/30。大会前日は練習馬場で軽めの調整。私の出番は初日から。スプラッシュと一緒に出場します。馬の調子はすこぶる良さそう。岐阜に着いた9/28はさすがに疲労の色が見えたけれども、翌朝、29日になったらスッカリ元気になっていました。私自身の調子も上向き。これまで上手く走行できた競技のビデオを何度も繰り返し見て、 (この通りやれば大丈夫だぞ!) と自己洗脳して精神を管理。国体開催期間中、I先生や広島県の他の選手たちが毎晩外食に連れて行って下さりました。毎日ワイワイ騒いだおかげでネガティヴな気持ちを抱かずに済みました。

 

国体開催期間中 (9/30~10/4)

【私とスプラッシュの予定】

1日目) 9/30:少年ダービー競技
2日目) 10/1:少年団体障害飛越競技 (私のみ出場), 成年女子ダービー競技 (スプラッシュのみ出場)
3日目) 10/2:少年二段階障害飛越競技

 

一日目 (9/30)、いよいよ出番です。初日はダービーの予定でした。ここで折悪しく台風が直撃。一日目に予定されていた競技の大半が二日目以降へ順延に。ダービーは三日目 (10/2)早朝の開催が決定。二段階障害飛越競技の直前にスライドされました。私の国体初走行は翌日まで延期。正直言ってホッとしました。心の準備がまだ出来ていなかったからです。また、二日目には広島県の女子選手がダービー競技へスプラッシュと出ます。そこで丸太や水濠に慣れてくれたら三日目、私のダービーであまり苦労せず走れるでしょう^ ^

 

二日目、団体障害飛越競技へ出場しました。広島県の監督のくじ運の強さが光ってまたもやシード権を獲得。2回戦からの出場となり、お相手は兵庫県のチーム。兵庫の馬が非常に優秀で、かつ遠巻きに(乗ってみたいなぁ)と思っていた馬だったので嬉しかった。

団体障害飛越競技 走行映像

不運があって広島県チームは2回戦敗退。ただ、シード権があったおかげで棚ぼたでの8位入賞。

午後には成年女子のダービー競技。スプラッシュが出場するから私が馬装 (馬へ鞍や頭絡などのヒトが乗る道具をつけること)を整えました。スプラッシュ、快調に飛ばしてジャンプオフまで残ります。ジャンプオフでなんと優勝しちゃってチームは大盛り上がりです[《ぎふ清流国体》第2日速報 公益社団法人 日本馬術連盟 《Japan Equestrian Federation》 (equitation-japan.com)]。I先生もご満悦。私まで隣で喜んでいました。I先生、私へ「明日はお前が勝てよ^ ^」とガンガンハイプレスをかけてきます。もう、そういうの要らないんですよ笑。前日から緊張してくるじゃないですか。

 

三日目、朝7時からダービー競技へ出場しました。スプラッシュとの初の国体出場とあって気分がめちゃくちゃ盛り上がりました。長い長いコースを走り切り減点ゼロでクリアラウンド。上位7頭で一位を争うジャンプオフへとコマを進めます。国体の決まりでは8位までが入賞。ジャンプオフに残ることができた時点で入賞は確定。”最低限入賞だけは”と強く願っていただけに、入賞が決まって胸のつかえがスーッと取れてきましたね。『7位じゃつまらん。どうせならもっと上を』と改めて気合が入りました。

ダービー競技 本走行の映像

ジャンプオフの出番は最終走行。私の走行結果次第で誰が勝つかが決まるワケです。前の人馬の走行を見届けゆっくりと競技場内に入ります。深呼吸し落ち着いてスタートし、一つずつ障害物を飛び越えました。”あと2つ、障害物を落とさず飛び越えれば優勝”という所まで来た。”最後は丁寧にいこうかな”と少しだけ大回りしてアプローチ。最終障害はダブル障害。障害物と障害物の間に数mほどの間隔があり、障害物Aを飛んだ一歩後にすぐ障害物Bを飛ぶといった形式。ダブル障害のAは飛べた。着地後、B障害を落とさず飛べたら国体優勝が決まります。しかし一瞬、気が緩んだのか、なんと手綱まで緩めてしまいました。その結果、障害物を飛び越える踏切位置がわずかに狂い、前脚でB障害をポロっと落としてしまいました。

ダービー競技 ジャンプオフ走行映像

障害物の落ちる音が後ろから「コロン」と聞こえたとき、 (何で手綱を緩めてしまったのかな…)と深く後悔しました。ガッツポーズしウイニングランする気満々で用意を整えていたら、思わぬところで足をすくわれ勝ちが手元から滑り落ちた。実の所、障害物を一つ落としてもまだ優勝の可能性はあったのです。優勝を逃したのはタイムが原因。最終障害前で大回りして数秒遅れたのがたたった形。

ダービー競技で3位に終わり、厩舎に帰って大泣きしました。自分が一瞬、気を緩めたせいでスプラッシュを勝たせてあげられなかった。何のために練習してきたのかコレじゃ分からないじゃありませんか。馬鹿すぎる。どうして一番肝心な所で一番やっちゃいけないことをしたのか。泣いてばかりもいられません。2時間後、すぐ次の競技へ出場しなくちゃいけませんから。スプラッシュに「さっきはごめん」と言って馬用クッキーをプレゼント。スプラッシュ、”なんじゃこりゃ?!”と鼻を近づけブヒブヒ匂い、安全だと分かってからは口に含んでご満悦。美味しかったのか、「もっとくれ、もっとくれ!」と前脚をかいてクッキーをおねだり。持っていた分の半分をあげてスプラッシュのご機嫌取りをしました。汚れたスプラッシュの口元を拭き、馬装し練習馬場へ連れていきます。先にI先生へ乗っていただき、のち私へ乗り替わって感覚の最終調整を。

次に出る二段階障害競技は文字通り、二段階の競技です。第一段階を制限時間内に無落下で完走した人馬が二段階目へ進める。もし一段階目に障害を落とせば、第一段階終了直後にブザーで「ココで終わりでーす」と無慈悲な通告が。コレを聴くのが悲しいんですよね。(あぁ、もう終わりかぁ…)と虚しくなっちゃう。入賞は例年、第二段階へ行けた人馬の中で競われている傾向が。”まずは第一段階をゼロで回ろう”と決意し出走いたしました。I先生の調整のおかげでスプラッシュが障害を高く飛びます。一段階目は障害物を落とす気配もなくクリアしました。第二段階に入った途端、遠くからI先生が「行け!」と叫ぶ。”ペースを上げて勝ちに行け”との指示。スプラッシュにも「行こう!」と合図で伝えて徐々にペースアップしました。いきなりガツンとペースを上げると私の感覚がついて行けずに障害を落としてしまうだろうし、急カーブを曲がり切れずに障害へアプローチできない恐れがあったからです。一つずつ着実に障害を飛び越え、最終障害の10歩手前で直前で270度の急旋回。ペースを殺さず、良い勢いのまま最後のダブル障害を完飛しました…

岐阜国体・少年二段階障害飛越競技 優勝走行映像

 

優勝してから

国体優勝の反響には凄まじいものが。自分の人生を一変させるほどの大きな大きな出来事でした。

 

競技が終わり、優勝が決まったとき、I先生が泣きながら私を迎えてくれました。「Good。馬を褒めてやれよ…」と声を詰まらせながら仰いました。「I先生のおかげで勝てました」と伝えると「泣かせるなよ」と言って行方をくらます。これまでI先生には沢山お世話になってきたから、(これでようやく一つ、恩返しができたかな)と心が温かくなりました。広島県のチームメイトからは祝福の大々々嵐。

「すごーい!おめでとー!」
「やるやん。来年も頑張れよ!」
「好きな子の名前言ってみ?連れて行ってやるから。彼女作る大チャンスやで!」

とのお褒め (??) の言葉。こんなに人から褒めてもらった事など無くて当惑してしまったほど。「ありがとうございます^ ^」と笑って会釈を返すので精一杯。

一息つき、賞状を受け取りに表彰式へ。この表彰式、直前のダービー競技との合同表彰式でした。ダービーでは3位。二段階では1位。表彰台の一番上からの景色は青空に映え神々しかったし、頂とそれ以外との違いを知った濃密な時間でもありました。表彰式の真っ最中、MRCでお世話になっていた所長さんから「おい、何かオモロいことやれ」とどこかで聞いたような無茶振りをされます。「さすがに無理ですよ~」と相好を崩して所長も周囲も大笑い。式が終わり、厩舎へ戻る途中、待っていた中国新聞の記者の方から色々とインタビューして貰えました。翌日、地元・広島の大本営、中国新聞のスポーツ欄にてデカデカと報じて頂きました↓

2012.10.3 中国新聞朝刊 スポーツ欄

国体を終えて学校に戻るとクラスメイトからスター扱い。これまで乗馬をやっていると言っても”趣味程度でしかやっていないのだろう”と思われていたらしく、「まさか国体に出て優勝するほどだとは知らなかったわ」と言われました。チヤホヤされて嬉しかったものの、これまで私を散々いじめてきた奴らが苦虫を嚙み潰したような顔だったのが快感。 (ざまあ見ろ!陰湿ないじめをする奴らとはカクが違うんだよ)と一人でニヤニヤ。10月末、学校の文化祭直前に全校集会がありました。そこでは文化祭の注意事項が修道生全員に伝えられたほか、部活動や課外活動にて優秀な成績を修めた人々を紹介するコーナーがあったのです。スクールバンド部 (吹奏楽部)やワンダーフォーゲル部 (山岳部)の部員たちと一緒に壇上で校長からインタビュー。「お前、何しとるん?」「馬術ってなんや?」「障害を飛び越えるの怖くないんか?」などと矢継ぎ早に質問されました。どうやら私、珍回答をしたらしく、「何を言うとるんや笑」と校長からいじり倒されました。全校生徒にも大笑いされて壇上で一人、気まずい感じ。以降、私の顔は校内のどこへ行っても知られるように。年上の高校生からのあだ名は”馬術氏 (ばじゅつし)” 。もう少しヒネッて良いあだ名を付けてくれたら良かったのですが…笑。

その他、県知事からの表彰、親戚からのお祝い、中学卒業式での校長賞受賞、広島県体育協会からの指定強化選手A認定など数々の出来事が起こりました。 (全国優勝ってこんなにすごい事なんだなぁ…)と10月まではまるで他人事のように傍観。実感が湧き始めたのは国体から1か月が経ってから。学校からの帰り道、自転車に乗って「あぁ、勝ったんだなぁ」とつぶやき、それからふと「え、マジで?勝ったの?ホンマに?!」と一か月遅れで喜びが来ました。

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