馬術に情熱の全てを捧げた小4~大2までの10年間を『青春駆ける』と称して10記事 (約10万字)に分けて書き綴りました。この記事ではシリーズのクランクアップを記念し、体験記作成に至った経緯やオススメシーンなどについて、製作者自らが自らにインタビューする形で皆さんにご紹介していきます。
質問その1:『青春駆ける』とは?いま書き綴ろうと思った動機とは?
4時間半しか寝られないほどかめさんを記事群執筆に駆り立てたものは何なのでしょう?
人間誰しも、幼いころ経験した物事に己の言動が大きく支配されます。私の場合、10年間やっていた乗馬の影響をおそらく大きく受けている。では、果たしてどんな出来事にどのような影響を受けてきたのだろうか?自分の胸に手を当てじーっと考えてみたのですが、最初は「サッパリわからん…」と何ら見当すらつきませんでした。そこで私は閃きました。10年間の出来事を全て言語化してみれば何か浮かび上がってくるんじゃないだろうか?と。頭の中で考えていては一生かけても分からない。ならば全て言葉にしてみて出来事に一つずつ向き合っていってみようじゃないか、と
かめさんの思考や性格、行動などのルーツは見つかりましたか?
例えば私、困ったときによく「頑張るしかないな」と言うんです。コレ実は小6の9月、通っていた乗馬クラブの先生にかけてもらった言葉でした[青春駆けるvol.3 小6編]。「中学受験頑張れよ。お前、頑張るしかないからな」と。理屈抜きで何が何でも頑張らなくてはならない時、”頑張るしかない”というシンプルなメッセージが自分を強く駆り立ててくれるんです。いま、大学院博士課程にて蓄電池材料の研究活動を行っています。研究を進めるにあたりどれだけ辛いことがあったとしても、「頑張るしかないぞ」と自分に何度も言い聞かせてその都度奮起しています
ちなみにかめさん、今年でブログ執筆歴が5年目になりますね?ここまでの5年間、乗馬の体験記をどうして書いてこなかったのでしょう?なぜ今お書きになられたのか教えてもらえますか?
ブログを開設しようと思った動機の根源には実は乗馬がありました。”この10年間の経験を何とかして言葉にできないかなぁ”と模索する過程で「ブログ」という媒体との出会いを迎えたんですね。最初は私、乗馬体験記を書く気で満ち溢れていました。目次を作り、「さぁ、書くぞ!」と執筆直前の段階にまでは至りました。しかしどうしても書けなかった。書こうと思っても筆力がなく、自分が思ったことや考えたことを言葉で再現できなかったのです。そこで、この出来事を言葉にできるだけの力がつくまで体験記を書かないことに。万全の態勢が整うまでは5年でも10年でも待つつもりでした
当サイト・マラソンソラマではランニング関係中心の話題を、姉妹ブログの札幌デンドライトでは研究関連の内容でお送りしてきました。両者ともに乗馬とはかけ離れた内容ですが、執筆にあたり、乗馬体験記をなるべく良い形で記すための筆力を着々と養えました。既に消去した記事も合わせ、これまで5年間で1000個以上の記事を書いてきたと思います。それだけやれば、たとえどれだけ凡人であっても文章を書く力が高まるでしょう。十分な経験を積んできた。今なら体験記を駆けそうな気がする。自分のルーツを突き止めたい。よし、書くぞ!とGOサインが点灯したわけです
5年間のブログ執筆歴の集大成ともいえる作品。大学院博士課程1年生の”いま”書き終えたことに意味をお感じですか?
私はつい最近まで、高3でも国体に出ると決めた自分自身を許してあげられていませんでした[青春駆けるvol.9 高3編]。高3といえば受験生。脇目も振らずに勉学を重ねて志望校合格を勝ち取らねばならない。なのに私は受験直前の10月まで乗馬をやりました。国体が終わり、4か月間必死に追い込むも京大に落ちた。まだ国体が上手く行っていたなら”受験に失敗したのも仕方がないな”とどうにか諦めをつけられます。しかし実際の所、国体では大失敗し、京大にも6点差で落ちてしまった。「何もかも上手く行っていない。なぜ二兎を追う者になっちゃったんだ?!」と。もう終わったことに対して延々と自身を責め続ける日々が7年以上続きました。正直言って苦しかった。 (いつになったらこの地獄から解放されるんだ…!!!)と
大学院博士課程の修了者にはPh.D. (Doctor of Philosophy, 哲学博士)という称号が授与されます。理系でも文系でもいただけるのはPh.D.。Ph. D.という言葉の裏には「研究者たるもの、人生哲学を持っていなきゃならん」という強い考えがあります。研究で成果を出せる/出せない以前に、”どうやって生きるかしっかり決めろ”と人格の根幹を錬磨することが要求されているのです。博士課程在学中に『青春駆ける』が完成したのは、自らの人生哲学を築き上げる過程が順調に進んでいる何よりの証。ルーツを固め、これから未来へ歩むことで我が哲学がより強固なものになっていくに相違ありません