前回までのあらすじ
これまでの数々の失敗のおかげでようやく障害飛越の技術が確立。4月、5月と120cm競技で減点ゼロと会心の走行。国体予選を無難に突破。”失敗するわけがない”との無双モードで強気の走行。夏休み、好きだった女の子と乗馬クラブのパーティーから一緒に帰る。翌晩、メールと電話でアプローチをかけマッチング成立、交際に至る。”最後の国体”と心に決めて夏休みは連日の猛練習。成果を発揮するため迎えた長崎では6位・7位・7位と優勝には至らず。受験勉強へシフトしたかったが、何だか気持ち悪くてシフトできない。勉強か、それとももう一年か。悩んで下した決断や如何に…?
私が情熱の全てを捧げた10年間の乗馬生活について、『青春駆ける』と称して記事を執筆しております。
先日の第八巻では国体で3種目入賞を果たした高校2年生の一年間について記しました。本記事ではシリーズ第9巻・高校3年次における乗馬生活の一年間について書きます。
激動の1月
所属乗馬クラブを転属。国体にもう1年だけ挑戦する決意を固める
小4から8年近くお世話になってきたMRC。高2の1月をもって退会して別の乗馬クラブへ籍を移すことに。理由は『もう一度国体に出たかったから』。ご年配のスプラッシュさんでは来年度の国体に出場できず、別の馬で国体を目指すべく乗馬クラブを転属したのです。
どうして高3でも国体に出たいと思ったのか。受験勉強ができないリスクを承知で国体に出る動機は何か。要約すれば『未練』の2文字。年齢上はまだ少年カテゴリーに出て上位を狙う権利があるのに、それを放り捨てて受験勉強をするなど到底できなかったのです。受験勉強中に国体のライブ配信で同世代の選手の活躍を見るなど辛い。 「自分はまだ出来る。挑戦したい。あの場で走って上位になりたい!」と心が叫んでいたのです。また、”3年連続、他の乗馬クラブの方に国体でスプラッシュに乗られた”という事実もあります。3年ともスプラッシュでダービーを優勝・入賞して下さったのは嬉しかったのですが、走行した分スプラッシュが疲れ、私の本命競技の際にほとんど余力が残っていませんでした。馬が万全のコンディションで臨めたわけではなかったのです。高2・長崎国体の4日目に出たダービーのジャンプオフではスプラッシュの疲労を如実に感じ、私に疲労をカバーできるだけの技術力も無かったために障害をポロポロ落としてしまった。ハッキリ言って悔しかった。せめて国体中、一日でも馬に休養日があればもうちょっとやれていたんじゃないかと。もちろん自分の力不足でもある。休みがあってもダメだったかもしれない。しかし、国体への未練を捨てられるほど想いは小さくなかったわけです。「あぁ、悔しい。ホントに悔しい!」と学校帰り、河川敷でよく叫んでいました。
高2の秋、主基杯へオーロラと出場。110cmや120cmを完走して「ありがとう、オーロラ^ ^」と肩を撫でた。競技終了後、近くにいたSさん (広島県の別の乗馬クラブの先生)に「お前、そういえば坊主になっとるやないか笑」と髪形をからかわれました。「リレー (註:長崎国体の団体戦) で失敗したので…」と原因を説明。Sさん、大笑いしたあと「もう競技、辞めるんか?」と聞いてきました。「はい、そのつもりです」と答えました。
その言葉を発するまでは上記の未練への自覚はなかったのです。”もう後悔はない、やり切った!”と何もかもスッキリ終わったつもり。ただ、返答した直後から少し【違和感】を覚え始めました。
- 本当に終わったのか?
- 本当にやり切ったのか?
- 本当に、本当にもういいのか?
と自身への問いかけが始まったのです。Sさん、有難くも「そうかー、お疲れさん^ ^」とねぎらって下さりました。いつもの調子で明るく楽しく「かわいい子おった?」など色々話して終わりました。最後に「もしもう1年やりたかったらオレら、応援するで^ ^」と仰った。「ありがとうございます笑」と話半分で流して別れるも、「もう一年、か…」と高3での国体出場の火種がくすぶり始めたのです。
12月、ひたすら自問自答しました。『出るべきか、それとも出ないべきか』と。
国体は10月。受験勉強に追い込みを掛けなアカン大切な時期。もし勉強が疎かになったら大学受験で滑ってまうで。自分、えぇんかそれで?
京大へ入ろ思うたら今年でも来年でも受験できるし、何なら大学院受験をするとき京大へ出願したらえぇ。でも国体へ出られるのは実質、高3が最後やねん。成年男子のカテゴリーは障害が高すぎて飛ばれへんやろし。かつ今は有難いことに、親が乗馬のおカネを全額支払って下さっとる。障害のレベル、それに金銭的な面を鑑みれば高3がラストなんや
どっちかなんか選ばれへん。どっちも欲しい。国体にも出たいし京大にも行きたい
何言うとるんか分かっとんのか?どっちつかずになって痛い目に遭うかもしれへんねんで?
大学受験なんかどうとでもなるわ。国体が終わってから京大の二次試験まで4か月、120日もあるんやろ?4か月もあれば何とかなる。国体に出て京大にも受かる。絶対両方手に入れて見せる
感情が理性を上回りました。『国体へ出たい』という気持ちをどうしても抑えつけられなかったのです。理性は情熱の敵ではない。受験に落ちるリスクがたとえどれだけ高まろうともお構いなし。1月下旬、Sさんの乗馬クラブへ母と二人で行きました。Sさんに「もう一年、やらせて下さい」と頭を下げに伺ったのです。Sさん、力強く「よし、頑張ろう!」と言って下さった。夢を見られる心地良い時間があと9か月だけ伸びた瞬間です。
彼女と別れる
二人の間の些細なすれ違いを契機に関係を解消しました。告白したのは自分なのに、別れを切り出したのも自分。Aちゃんには本当に申し訳ないことをしてしまいました。いまでも後悔しています、『なぜ”時間をかけて仲直りする道”ではなく”安易に手を切る道”を選んだのか』、と。
勉強が思い通りに進まない。”国体にもう一年出ようか出まいか”悩んでストレスをためていた。そんな時に彼女へ「ちょっと聞いてよ~」と甘えてみたかった。長崎国体のダービーで失敗した夜、彼女に励まして貰えたおかげで元気を貰えた過去があるから。ただ、彼女は乗馬クラブで他のちびっ子と楽しく遊んでいました。”楽しそうな時にシリアスな話題を持ちかけるのもおかしいよなぁ…”と、和やかな雰囲気を壊すと興醒めだから結局は遠慮して話さずじまいに。彼女に自分の胸の内をさらけ出したくてたまらない。でも話しかけるタイミングが見つからないから二人だけの時間を作れない。 (どうしたらいいんだどうしたらいいんだ…) とウジウジ悩みまくった末、感情が大爆発して”彼女と手を切る”という最も安易で悪い選択をとった。しかも直接言葉で伝えるのではなく、メールを使って簡単な文面で大切なご縁を断ってしまった。
別れた直後はスッキリしました。 (悩み事が一つ減ったわ) とほんの少しだけ楽になった気がした。でもその数時間後には「何やってんだ自分?!」と正気に戻った。一番やっちゃいけないことをアッサリやった自分に恐怖。「バカなことしちゃったなぁ…」と、その日から今日まで後悔の断末魔が叫ぶ。過去に下した自らの選択は決して二度と取り消されない。Aちゃんに直接謝りたくてもクラブを移るからもう謝れない。 ”Aちゃん、ごめん…”と心のうちで必死に想うしかありません。
高3での苦節と挫折の日々を暗示するような出来事でした。乗馬と勉強、その両立は大変困難なモノだったのです。