前回までのあらすじ
5月の競技では壊滅的な出来。馬の良さを全く活かせず出場しても完走できない。8月の全日本ジュニアでも失敗。全国のハイレベルな同世代の走行を見て (凄いなぁ、負けていられないな!)とようやく心に火が付いた。その2か月後、福岡で120cmのコースを完走。長い長い不調を抜けてようやく調子が上がってきた。学校でのいじめも12月に終了。その途端、学業成績まで上がり始めて猛烈な勢いで中3へ突入……
私が情熱の全てを捧げた10年間の乗馬生活について、『青春駆ける』と称して記事を執筆しております。
先日の第五巻では中学2年生の一年間について記しました。本記事ではシリーズ第六巻・中学3年次における乗馬生活の一年間について書きます。
中2・3月~中3・4月:快走。近畿の大規模大会で2位に。直後、師匠から国体出場の誘いを受ける
中2での一年間の伸び悩みを経て中学3年次に大きく飛躍。悔しさをバネに練習を重ねてとうとう花が咲いたのです。
まずは3月、香川で110cmと120cmの二競技へ出場。110cmではケアレスミスで一つ障害を落としてしまうも、120cmではなんと無落下!減点ゼロにてゴールしました。会心の走行。3年ぶりの優勝。中障害に挑戦し始めてから一番上手く走れました。中2の春休みは室内馬場で”スピード感”にフォーカスを当てて練習。少し怖くなるほどスピードを出して馬を操る術を学んだのです。努力が早くも成果に顕れ達成感でいっぱいでした。 (自分、やればできるじゃないか^ ^)と嬉しくなったのをよく覚えています。
次に4月、兵庫は三木にて3日連続120cmへ出場。初日のレースでは減点ゼロ。なんと2位でゴールしました。この大会、西日本でも屈指の規模の大会なんです。出場人馬のレベルは高いしコースの難度も地方とは段違い。ハイレベルな人たちの中で成果を残せて大きな自信に。二日目・三日目はそれぞれ2落下したのでマグレでの2位だったものの、”ひょっとしたら運さえ巡れば全国で勝てるんじゃないか?”と思えてきました。
みっきぃホースフェスティバル みっきぃジャンプM-C PartI 2位入賞 走行映像
三木での大会を終えた翌週、いつものようにスプラッシュや他の馬に乗って練習していました。そしてMRCから帰ろうとした瞬間、後ろからI先生に呼び止められました。
I先生、いつもと様子が違います。普段はオラオラとすごい勢いで怒鳴ってくるのに、今回は変にかしこまって神妙な面持ちで話しかけてきました。
唐突に何を言い出すかと思えば国体へのお誘いだったのです。しかも私が国体へ”出る”前提で何やら話し始めました。
と国体挑戦が決まりました。
I先生から何か言われて拒否することなどほぼほぼ不可能。「出てみないか」=「出ろ」ですから、声を掛けられた時点で出るか/出ないか選択する権利は私にはない。MRCから家へ帰る車の中で母親に「さっきI先生から国体へ出ろって言われたんだけど…」と告げました。母親、既にその話をI先生からされていたらしく、「出んさい」と秒速で私の国体挑戦を前向きにプッシュしてきました。後日、スプラッシュの馬主・Mさんにも「国体へ出ろと言われたのですが…」と相談します。すると、コチラからも「うん、知ってたよ。頑張ってね♪」とアッサリ言われてしまいました。母親、Mさんと外堀を埋められた私に選択の余地は最初からなかった。ほぼ強制的な形で国体への挑戦が決まるも、コレがその後の人生を大きく変えようとは当時、まだ夢にも思わず。