こんにちは。馬術競技からマラソンに転向した北大工学系大学院生ブロガーのかめ (M2)です。
2016年3月に京大農学部に不合格となり、その翌年に北大総合理系へと入学しました。
この記事では、就活の一環として、私が京都大学に不合格となった理由について自己分析してみようと思います。
成功体験を振り返るのはもちろん大切ですが、どん底に叩き落されるほどの失敗にこそ私の行動の本質が隠されていると考えているので、
- 今後同じ失敗をしないためにも
- 京大不合格という結果を心の底から受け入れるためにも
この記事の作成が不可欠だと感じた次第であります。




Contents
私が京大農学部に不合格となった5つの理由
基礎力養成を怠っていたから



私は中学時代から京大を志望しており、学校の授業の進行が遅くて中学3年生から独学で勉強を進めていました。
高1の春には京大二次試験レベルの英文解釈に取り組み、高2の夏休み前には数IIIを、高2の終わりには物理や化学も独学で頭に叩き込みました。
その甲斐あってか、高3の夏に受けた京大実戦模試では農学部でB判定、秋の京大実戦ではA判定をいただきました。
このまま順当に合格ロードを突き進むかに思われました。ですが、現実はそう甘くありませんでした。
私が京大に落ちた最初の理由は、先へ先へと進むのに焦りすぎて基礎力養成を怠ったからです。
特に数学では難しい問題ばかりに挑戦し、小手先のテクニックだけを覚えて根本原理の理解を疎かにしてしまっておりました。
これでは見たことのある問題なら解けるかもしれませんが、本番でひねられた問題を出題されたら手も足も出ないでしょう。
事実、私は京大25か年という分厚い数学の問題集を暗記してしまうほどやり込んだのに、試験本番では応用問題に手も足も出ませんでした。
実は、”基礎が大切だ”というのは高校時代からきちんと認識しておりました。
しかし、




と大きな思い違いをしてしまっていて、勉強すればするほど基礎がおろそかになるという超悪循環に陥っていました。
もし高校時代、青チャートや教科書付属の問題集を徹底的にやり込んでいれば、京大本試の数学で基礎力不足が祟って痛い目に遭う事などなかっただろうと思います。
基礎的な問題からきちんと積み上げていた理科は京大本試でも6割得点できましたし、(理科と同じように勉強していればな…)とめちゃくちゃ悔いの残る結果となりました。
センター試験を軽視していたから



私は京大だけを志望しており、受験生時代は京大レベルの問題へと日常的にアタックしておりました。
そのせいか、京大入試前哨戦のセンター試験(現在の共通テスト)をどこかでなめていた節があります。
- 京大対策をやっていればセンターなんて余裕で取れるでしょ笑
- こんなの簡単すぎてやっていられないぜ
などと考え、社会科で選択する日本史の対策しか行わなかったのであります。
『高3の11月に京大農学部A判定を取れた』という事実がセンター軽視の姿勢を一層強化したものの、まさか京大との決戦を前に足を掬われようとは全く予想していませんでした。
センター当日、十分に対策した日本史では92点という好成績を収められました。
しかし、その他の文系科目は壊滅的に出来ませんでした。
- 模試では9割を超えていた国語で144点しか得点できず
- 模試で170点を一度も切った事のない英語(筆記)でも同じく7割ぐらいしか獲得できず
総得点も743/900(82.5%)と、予想していたより50点近く低い総得点となりました。
採点しながらボロ泣きしました。全教科の採点を終えた時、「嘘やろ…」と全身の力が抜けたほどです。
京大に落ちた2つ目の理由は、センター試験をなめくさっていたからです。
確かに京大とセンターの問題とではセンターの方が格段に易しいのですが、
- 緊張感で問題文が頭に入ってこない可能性
- 解き慣れていない問題に本番でいきなり対処するリスク
これらを考慮すると、本番でセンターが京大二次並みの難易度に感じる可能性も決してゼロではなく、実際に本番では緊張のあまり、英語の読解問題で次々とミスを重ねてしまいました。
高校時代、もっと入念にセンタ―対策を施しておくべきでありました。
いくら京大A判定でも関係ないです。試験は本番で高い点を取った人から勝ち抜けていく仕組みなのですから。
ケアレスミスが多すぎたから



私は昔から細かいミスを頻発するそそっかしい人間でした。
- 国語では問題文を読み間違えて誤った論理でもって解答を導き出してしまっていたし
- 数学や化学では模試や定期テストでよく計算間違えをして満点を取り逃してしまっていたし
- 物理では本文中に載っていない記号を用いて大問丸々吹き飛ばしていたし
- 英語はスペルミスのオンパレードによって英作文で細々と点数を引かれていたし
次々と点を取りこぼして成績をあまり高められずにおりました。
ケアレスミスをするたび(次こそは気を付けよう)と決心はしますが、その次の機会でもまた同じようなミスを繰り返してしまっておりました。
(さすがに本番は大丈夫だろう…)と高をくくっておりますと、数学や物理でまたやらかしてドミノ倒しのミスをしました。
受験生時代の私に足らなかったのは”ケアレスミスを防ぐための仕組み作り”でした。
(もう二度とミスしないぞ!)といくら思っていようと、ミスを発見する仕組みがなければ過失に気付きようがありません。
せっかく時間を使って答えまで出しても、どこかでミスすればこれまでの努力が全て水泡に帰すのであります。
もう少しミスを重く受け止めておけばよかったです。ミスさえなければもしかしたら京大生になれたかもしれませんのに…
心のどこかに隙があったから



私の心にはどこか隙があったように思えてならないのであります。
元々センター試験をなめていた所へ京大A判定がヒラヒラと舞い込んできたから、私はもしかすると試験直前で調子に乗って緊張の糸を緩めちゃった可能性があります。
小さい頃から私はお調子者で、人からちょっとおだてられるとすぐに調子に乗ってしまう悪癖がありました。
『京大不合格』という最悪の結果は、こうした悪癖が遺憾なく効果を発揮した形と言えるだろう。
模試での判定はあくまで”その当時での”合格可能性という意味であります。
所詮は模試を受験した時の受験生内での相対評価だし、たった一度良い判定をとったからと言って調子に乗るわけが分かりません。
だからこんなものを本気で信じてはなりませんでしたし、まして慢心するなどもってのほかでありました。
ヘタにA判定なんて取ってしまったから隙ができてしまったのです。せめてC判定ならば尻に火がつき、試験直前まで学力を猛チャージできていたかもしれませんね。
孫子の格言の中に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」というものがあります。
私の場合、
- 彼を知らず(基礎力養成を怠りセンター対策をせず)
- 己を知らず(ケアレスミスをケアせず)
百戦して百敗する必敗体制を整えてしまっておりました。
こんな私を孫子が見たら、さすがの孫子でも(コイツほんとにどうしようもねーな)と匙を投げてしまうに決まっています。
これでも合格発表の直前までは(受かっているだろう)と思い込んでいたのですから、私が如何に甚だしい勘違いに陥っていたかがお判りいただけるかと思います。
京大生になりたかっただけなので、神様から(もう一度考え直せ)と振り落とされたから



私は京大生になりたかったのであって、京大に入って何をしたいかなどと全く考えていませんでした。
つまり京大入学がゴールであり、手段を目的化してしまっていたのです。
- 学部なんてどこでも良かったし
- そもそも農業なんてあまり興味がなかったし
- むしろ生物は大の苦手なので
たとえ合格できたとしても入学後に途方に暮れていたのは想像するに難くありません。
私が京大農学部を志望したのは、一番合格しやすそうだったからというただそれだけの理由でした。
私のような変な動機でも、東大や北大など進路振分けのある大学を目指していたならまだ救いようがあったでしょう。
たとえどんな理由でその大学を目指そうとも、入学後に進路を選べるため将来へのダメージが少ないのです。
しかし、京大は受験の段階で志望学部・学科まで選ばねばならず、京大生になりたかっただけの私は何かしらの所属先を選ばなくてはなりませんでした。
こうした軽薄な志望動機を神様が見咎め、



と再考のチャンスを与えて下さったと考えています。
最後に
私が京大に落ちた理由の自己分析に関してはコレで以上となります。
本記事を作成する過程で
- 基礎力養成を怠っていたから
- センター試験をなめていたから
- ケアレスミスが多すぎたから
- 心のどこかに隙があったから
- 神様に(もう一遍考え直せ!)とふるい落とされたから
という5つの不合格理由が発覚しました。
今振り返ると”落ちて当然だ”と分かるのですが、当時の私は自分を客観視できておらず、(落ちる要素が見当たらないぜっ!)とイノシシの如く突き進んでしまっておりました。
私には周りが見えなくなるほど物事に没頭できるという長所がある反面、思わぬところで足を救われるという重大な欠点がありますから、今後の人生では長所を活かしつつ欠点をケアする器用な立ち回り方が必要だと再認識することができました。
以上です。