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【自己分析】10年間の乗馬経験が私に教えてくれたこと

私は現役北大院生(修士)である。

小学4年生のゴールデンウィークから乗馬を習い始め、受験浪人して北大に合格するまで10年間乗馬をやっていた経験がある。

この記事では、10年間の乗馬経験が私に教えてくれたことについて深掘りしていく。

前置きは早々に切り上げて、早速記事を始めていく。

10年間の乗馬体験が私に教えてくれたこと

袋小路に追い込まれる前に精神的&物理的な逃げ場を確保しておくべし。

イントロで「小学4年生の時に乗馬を始めた」と述べたが、乗馬を始めたのは小学校でのいじめがキッカケだ。

当時、私は非常に太っており、それを見たガリガリの同級生から毎日のように「デブ」「ミートボール」というふうに私の嫌がる言葉を投げかけられ続けていたのである。

もともと外で遊ぶタイプではなかった私は己の引っ込み思案を更にこじらせてしまい、それを見かねた母が大型連休に私を車へとぶち込み乗馬へ連れて行ってくれた。

後に母へ聞いてみると、乗馬には

  • 馬とふれ合うと精神が癒される(ホースセラピー
  • 馬に乗れば運動になるし痩せるかもしれない(ダイエット

こうした効能があり、(今の私にとって乗馬が最も良い気晴らしになるのではないか)と思って体験乗馬に申し込んでくれたみたいである。

 

体験乗馬ですっかり乗馬の虜になった私はこのまま継続的に乗馬へ行かせてもらうことにした。

すると学校で受けた精神的な傷がみるみるうちに回復し、おまけに成長期も相まって体重がどんどん減少したのである。

学校では相変わらず「デブ」とか「バランスボール」とか様々な呼び名で呼ばれていたが、その声の数は私のスリム化と相関して減少していった。

小6の時には私をデブ扱いする人間は粘着質な同級生3人を除いていなくなったし、心も体も軽くなった私の毎日は少しずつ明るさを取り戻したようであった。

乗馬は精神的な逃げ場となってくれたと同時に、小学校以外の居場所を私に提供してくれた。

どういうことかというと、

  • 乗馬を始める前は家以外には学校にしかこの世に居る所がなかったので、小学校で辛い目に遭っても一息つける場所が無くて苦しんでいたけれども、
  • 乗馬を始めてからは乗馬クラブで馬や他の会員さんたちと話せるために、(学校が嫌になったら乗馬クラブへ逃げ込めばいいや笑!)というぐらいの余裕を持てるようになった

こういうことである。

10年間の乗馬経験で身をもって学んだ1つ目の教訓は、どこか一箇所へ依存するのは危険であるから、そこで居場所がなくなっても生きていける手段を必ず確保しておかねばならない、というものである。

袋小路に追い込まれてからでは遅いので、最悪の事態に見舞われる前に何らかの手を打っておかねばならない。

 

努力が必ず報われるとは限らないが、成功したいなら必死で努力せねばならない。

中学3年生の時、私はひょんなことから国民体育大会(通称・国体)の出場を目指す事になった。

そして、幸運にも予選を通過し本戦への出場権をゲットできた。

不思議なもので、予選に出場する前までは(国体に出られたらそれで十分だ)と思っていたのに、予選を突破した瞬間から(せっかく国体に出るのだから勝ちてぇなぁ)と欲が出てきたのである。

当時の私は「入賞を目指します」などとは口が裂けても言えないレベルだったが、”せっかくのチャンスだしもう少し練習頑張ってみようかな”とやる気がふつふつと湧き上がってきたのであった。

表彰台のてっぺんに立てるのはたった一人。

競技の性質的に少しのミスが命取りになるし、競技の前や最中にどんなハプニングがあるか分からないからどれほど頑張って練習しても報われるとは限らない

しかし、成功したいなら必ず努力しなければならない。

練習無しに結果を残せる人間は誰一人として存在せず、最終的に勝利の女神を微笑ませられるのは誰よりも努力を重ねてきた人馬だけなのである。

 

かめ
絶対に優勝する

こう決めてからは、起きている間中ずっと乗馬の事を考えていた。

乗馬へ行く日は日焼けで真っ黒になる&お尻の皮がむけるぐらい馬に乗りまくったし、乗馬ではなく中学へ行く日でも授業そっちのけで(どうやったらもっと上手になるかな…)と思考に耽っていた。

自分に才能がないことぐらい百も承知だったから、全国大会で勝つためには生活のバランスを著しく崩して持てるエネルギーを乗馬へ一点集中させる必要があったのである。

中学時代の授業ノートを見ても乗馬に関して思いついたアイディアばかりがメモされているし、学校の授業の成績が悪かったのは言うまでもない笑。

エネルギー一点集中の結果、乗馬の勘みたいなものを会得できた。

自分の思った通りに数cm単位で馬の動作をコントロールできるようになり、おまけにどんどん自信がみなぎり優勝できそうな予感がしてきたのである。

国体会場へ行っても雰囲気に呑まれる事はなかったし、競技当日もいい緊張感だった。

直前の競技で3位だったのが本当に悔しくて、その敗戦も力になって私は国体優勝を掴み取った。

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中3から高3まで4年連続国体に出場したが、優勝したのはこの1回ぽっきりである。

本当に実力があるなら連覇や3連覇できると思うし、それができなかったのは私の力不足としか言いようがない。

私の国体優勝は運の要素が大いに関係しているが、その運を引き寄せたのは誰よりも積み重ねてきた努力のおかげのはず。

現代社会ではこの考えを”根性論”と呼ぶのかもしれない。しかし、一つの分野で成功したいなら最低限の根性は持ち合わせておくべきだろうと自身の体験から思わずにはいられない。

なお、”努力は必ず報われる”は大嘘である。

①報われるフィールドで②報われる方向に③報われるだけの努力を④報われるまで行った者が本当に報われるのである。

 

どうしても何かが欲しければ、なりふり構わず執念で掴み取れ。

中3で国体優勝したところまでは順調だった。

しかし、予期せぬアクシデントや気の緩みのせいで翌年の国体は全く振るわなかった。

国体会場に着いた瞬間から(今回はヤバいかも)という予感がしており、事実その通りになってしまった。

二連覇を期待された種目では入賞すらできなかったし、中3では3種目で入賞できたのに高1では1種目でしか表彰台に立てなかった。

失敗の原因は明らかだった。

練習量が完全に不足していた。

乗馬は少しでも気を抜いたらすぐにカンが衰えてしまうスポーツなのに、気を抜くどころか乗馬クラブにいる可愛い女の子の事が気になって仕方がなくなって優勝できた年の半分程度しか練習を積めていなかったのである。

勝利の女神からフンッ!と捨てられてしまうのも当然であり、カッコばかりつけていた私はまともに勝負できるレベルに達しないまま国体に行ってしまったのである。

 

高1での大惨敗を深省して、国体から帰ってきてからはなりふり構わず練習を積み重ねた。

表彰台の頂を譲り渡したのがたまらなく悔しかったし、沈み込んでいる私の後ろで大喜びしている新チャンピオンの存在に心の底から嫉妬したのだ。

私はまた優勝の喜びを噛みしめたかった。

体中から勝利への渇望感が溢れてきて、覚悟やら執念やら色々なものが滲み出てきたのである。

高2の夏は過去イチ練習に励んだ。

せっかく彼女ができたのに、彼女より馬と向き合っていた時間の方が長かったように思う。

どうしても国体優勝したかったから、受験勉強そっちのけで馬に乗りまくった。

受験は最悪浪人ができるけれども、国体(少年の部)は高3までしか出られないので、のちのち後悔する事のないよう、文字通り人生を棒に振る覚悟で本気で優勝を掴みに行った。

本当に一年棒に振ったのはご愛敬である。

 

残念ながら、国体優勝は叶わなかった。

しかし、出場3種目全てで入賞でき(6位, 7位, 7位)、

かめ
全部出し切った…!

という爽やかな思いで国体会場を後にできた。

もし「もっと一生懸命練習していれば優勝できていたか?」と聞かれたら、「おそらくできていなかった」と答えるだろう。

毎日最善を尽くしてこの結果なのだし、優勝を逃したとしても後悔など残りうるはずがない。

現在は努力するフィールドを変え、大学院の研究に自分の全情熱を捧げている。

世界一の研究者になるべく、日々研鑽を重ねている次第である。

 

練習では勝利への欲を前面に出し、本番には無欲で無我夢中に挑む。

本当は高2で国体への挑戦を終えて受験勉強に専念するつもりだった。

だが、どうしても優勝を諦めきれなかったので、高3でも国体に出て優勝を掴み取るラストチャンスに賭けることにした。

そして、高3の国体では、4年間出場してきた中で最もひどい失敗を犯してしまった(思い出すのも嫌なぐらいだ)。

個人種目では一つも入賞できなかったし、団体競技で7位入賞するだけで終わってしまった。

 

受験勉強の合間を縫って練習していたぐらいだから、練習量が不足している自覚はちゃんとあった。

とはいえ、練習不足だけではこの惨状を説明できない。

国体を終えて少し落ち着いて考えてみると、勝ちたい)(勝ちたい)と欲を出し過ぎていたのが原因じゃないか?という考えに至った。

振り返ってみると、優勝できた中3時代やそこそこ好成績だった高2時代は無我夢中でレースに出場していたし高3での大失敗は勝利欲が邪念となって本番での集中力をかき乱したのが原因かもしれないなと思い立ったのである

練習ではいくら失敗してもいいので欲や闘争心を前面に出してもOKだ。

ハードな練習を乗り切るためにはこうした心の支えがなければならないので、むしろ欲は必要不可欠なアイテムだと言えるだろう。

ただ、本番では競技以外の事に思考力を使うと走行へのパフォーマンスに影響するためいくら(勝ちたいっ!!)と思っていても、闘争心をそっと静めて忘我の境地でレースに挑まなければならなかった

もう少し早くこのことに気付いていれば結果は変わっていただろうと思うけれども、いまさら後悔したってとっくに手遅れである。

現在私はフルマラソンをやっているが、マラソンにおいても”いいタイムを出したい”という欲が強ければ強いほど失敗してしまう傾向にある。

やれることを全部やり、晴れやかな気分でスタートラインに立って無心で走り出せる時に限って好走できているから、やはり国体には無我夢中で挑むべきだったなぁと思った次第である。

 

自分一人では何も成し遂げられない。周囲への感謝を忘れずに。

  • 私が乗馬を始められたのは、母親に連れて行ってもらったおかげ。
  • 私が乗馬を続けられたのは、父親が一生懸命働いてお金を稼いでくれていたおかげ。
  • 私の乗馬スキルが上がったのは、乗馬の師匠が時間を割いて熱心にコーチングしてくれたおかげ。
  • そして、毎週馬に乗れたのは、厩務員さんが肉体労働をして馬のお世話をしてくれていたおかげ。

このように、私一人が乗馬をするためには多くの人の支援が必要だった。

いくら表で派手な活躍をしたとしても周囲への感謝を忘れてはならないし、”自分一人では何も成し遂げられないのだ”と嫌でも痛感する10年間だった。

乗馬に限ったことではなく、我々は日々支え合いながら生活している。

ゴミを回収してくれるおっちゃんがいなければ今頃どこを見渡してもゴミだらけだったろうし、トイレをピカピカにしてくれるおばちゃんのおかげでいつも気持ち良くおしっこができる笑。

これから企業で就職するにしても起業して大金を稼ぐにしても、周りへの「ありがとう」を忘れては絶対にダメだと思う

人間として一番大切な事を乗馬から教わり、今では生涯の宝物として胸に刻み込んでいる。

かめ
みなさん、いつもホンマにありがとうございます!

【肉体労働】大学時代の夏休みに競馬場でごみ清掃バイトをして得られた3つの教訓

2022-09-03

 

最後に

10年間の乗馬経験から得た学びは以上である。

非常に密度の濃い日々であったし、少年時代に乗馬と出会えたおかげでかけがえのない財産を手に入れられた。

もちろんいい事ばかりじゃなくて辛い事の方が圧倒的に多かったのだが、全てひっくるめて良き思い出として鮮やかに頭の中へ記憶されている。

両親を始め、私の10年間の乗馬生活に関わって下さった全ての方へ感謝して、この記事を締めくくる事に致します。

 

以上です。

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