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【サブスリー達成】富士山マラソン2019 体験記

レース展開

0~10km

ジメっとした空気を切り裂くようにゆったりとスタートいたしました。

体の動きは良く、どこにも異常はない。ものすごくいい感じでした。

最初の1kmは4分8秒。

(このペースで落ち着いて行こう)と落ち着いて考えられる余裕がありました。

かめ
そういえばサブスリーのペーサーはどこへ行った?

私はサブスリーペースで走っていたのですが、肝心のペーサーが見当たらなくて少々気落ちしました。

ペースを落としてリズムを崩したくはなかったので、ペーサー探しはやめて自分の力でペースを作っていくことにしました。

 

アップダウンは中間点を過ぎたあたりだけだと思っていましたが、序盤からかなり大きなアップダウンがあって驚くこととなりました。

勾配は2~3%ぐらいでしたが坂の距離がいちいち長く、上っては下り、上っては下って足が削られまくりました。

とはいえ、序盤なのでスピードダウンすることもなく、最初の10kmを41分58秒 (4’12″/km)で通過しました。

サブスリーペースから32秒のリードを得ました。

 

10km~ハーフ

13kmを過ぎたあたりでサブスリーを目指す集団に吸収され、その流れに乗ってついていくことにしました。

集団走は超楽でした。風よけのおかげで空気抵抗を受けずに走ることができ、人についていくことでペースメイクするエネルギーを使わず進めました。

とはいえ、集団の中にいたため給水には苦労しました。

なかなか集団の外側に出られず、給水するためちょっと引き返さねばならなかった場面も1度だけありました。

そのデメリットを差し引いても有り余るメリットを享受したかったので、私は集団の中に隠れてレースを進めて行きました。

アップダウンの影響で多少ペースが乱れたものの、おおむねサブスリーペースをキープできておりました。

心拍数も全然上がっておらず。足も問題ありません。

かめ
サブスリー、行けるんちゃう?

と少しずつ勝利の予感を感じ始めました。

 

20km通過は1時間24分28秒、中間地点通過は1時間29分3秒。

サブスリーに対して57秒のリードを得て後半戦に突入しました。

 

ハーフ~30km

道路の横に立っていた瀬古さんへ手を振り、激坂の手前でガツンと気合いを入れてもらいました。

そこでやる気スイッチが入ってエンジン全開。1kmの超激坂区間に突入しました。

サブスリーを目指す集団は坂に慣れていなかったと思われます。気が付いたら私の周りには誰もおらず、みるみるうちに私から後れを取っておりました。

そりゃそうか、私は勾配7%の坂をキロ5分切って上ったんだから誰もついてこれるはずがありません。

今まで札幌で激坂トレーニングを積んできたものの、勾配20%やそれ以上の坂を全力で走ってきておりました。

なので7%など坂のうちに入らず、ここにおいて訓練の成果が発揮されることとなりました。

 

坂を駆け上がった後、トンネルをくぐってすぐ下り坂を走りました。

ここでサブスリーペースへと復帰して、リズムを整えて今まで通り走りました。

集団は坂で崩れてしまったので単独走となりました。

集団で走れないのは残念ですが、もうどうしようもないので一人で淡々とペースメイクしていきました。

キロ4分15秒で走っていると、25kmを過ぎたあたりで右ふくらはぎに痙攣が生じました。

止まりたくはなかったのでミッドフット着地をリアフット着地に変え、ふくらはぎをちょこっとずつ伸ばしながら痛みをどうにか誤魔かしました。

すると、300mほど走った所で痙攣が無事おさまりました。

しかし、これより後、1kmごとに右ふくらはぎが痙攣する事となりました。

 

30km通過、2時間7分15秒。

サブスリーペースとのリードはわずか15秒!

 

30km~40km

足の痙攣が治まったかと思ったらまた痙攣。治ったと思ったらまた痙攣。

つい心がポキっと折れて歩きそうになりました。

(もう無理、辞めたい…!)と100回以上思いました。

しかし、それでも踏ん張って粘れたのは、この日のために今まで積み重ねてきた練習やレースを思い出したからでした。

  • 1時間10㎜の豪雨の中インターバル走をしたこと
  • 獲得標高850m以上の坂道練習をこなしたこと
  • キロ4分15秒で35km走をしたこと
  • 白山白川郷ウルトラマラソンを60km棄権で終わってしまったこと

他にも様々な苦難を乗り越えてきたのを思い出したからなのです。

今までたくさん苦しい思いをし、走力を上げる練習を積み重ねてきました。

しかも、今日は30kmを過ぎてもなお、サブスリーペースで来ております。

それなのに、今この瞬間、弱い心に負けてペースを落とすと、今までの努力が全て水の泡となってしまいます。

それが恐ろしくもあり、また悲しくもあり、1kmごとに悶絶するような痙攣を起こしてもペースを緩められませんでした。

むしろ、30kmからは思い切ってペースを上げました。

30~35kmはこの日最速の20分45秒。35~40kmでは21分40秒と失速したものの、開き直ったことで何がなんでもサブスリーを達成してやろうという覚悟が一層大きくなりました。

40km通過、2時間49分40秒。サブスリーからの貯金はわずか20秒!!!

ペースアップにより多くのランナーを抜き去った。

かめ
あとちょっと!!

 

40km~42.195km

40kmを過ぎた時、”あとゴールまでどれだけのペースで行けばサブスリーできるのか”を頭の中で計算しました。

すると、2.2kmを10分だから、1km4分半ペースで行ってもサブスリーできると分かりました。

かめ
4分半なら余裕。行けるっ!

そう思った瞬間、左ハムストリングに痙攣が生じて倒れそうになりました。

気持ちを緩めてしまうからこういうことになるのです。気を付けなくちゃいけないなと思いました。

こうなるとキロ4分半ですらちょっときつくなってきましたよ。

足の蹴り出しが上手くできず、推進力を効率的に生み出せなくなったのです。

ゆえに、まだ元気だった腕をぶんぶん振り回して推進力を生みだすことに決めました。

腕だけはまだエネルギーが有り余っていたから、なりふり構わず腕を振り回して我武者羅に前へと進みました。

 

何が何でもサブスリーしてやるんだ。

”3時間1秒でゴールしました”とか絶対イヤやもん。

意地でも2時間台でゴールしたる。

帰宅部ランナーの意地とプライドを見せたるわ…!”

 

遠くの方でゴール会場が小さく見えてきました。

するとここで、見物のお客さんが

見物人
お兄ちゃん、3時間のペーサーが後ろに来とるよ!

と叫んで教えてくれました。

マジか、ヤバイ思って少しペースを上げました。

加速もむなしくペーサーが私に追いついたのですが、

ペーサー
最後、出し切りましょう!

と言ってくれて(めっちゃええこと言うやん)と冷静に感動しました。

300mほどの渾身のラストスパートを決め、ゴールになだれ込みました。

ゴールタイムは2時間59分23秒。目標のサブスリーを達成しました!

 

フィニッシュした瞬間、頭が真っ白になりました。そののち大粒の涙があふれてきました。

サブスリーできた喜びと苦しいレースからの解放感が渦潮のように入り混ざった何とも形容しがたい気持ちでした。

完走メダルを小学生に首にかけてもらい、天然水とバナナとコッペパンを受け取りました。

かめ
あぁ、終わったんだ、良かった…

サブスリーを達成した実感はなく、サブスリーしたのはまるで他人事のようでした。

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馬術競技からマラソンに転向した北大工学院のD2|国体馬術競技優勝&8回入賞|10000m36’33”|マラソン2°47’50”|100kmレース9°01’17”|FP3級/日商簿記2級|英検準一級|ラン歴7年|乗馬歴10年|学術論文5報(電気化学)|コメントやご相談、大歓迎です(*≧▽≦*)