こんにちは!馬術競技から陸上競技に転向した100km自己ベスト9時間1分の北大工学系大学院生ランナーかめです。2024年12月スタートの沖縄100Kウルトラマラソンに向けた練習内容や日々の妄想内容について書き綴っています。
先週は休息について記しました。今週のコラムは『過去の栄光の使い方』についてです。
いきなり使い道を説明する前に少しだけ前置きさせて下さい。
私には過去に一度だけ、とある分野で頂点に登りつめた経験があります。それが【馬術競技での国体優勝】。2012年の10月2日に行われた岐阜国体で成し遂げた出来事。小学4年生から乗馬を始めて中学3年生にして快挙を達成。高1、高2、高3といずれも国体で勝てませんでした。よって、中3で果たした国体優勝は運に依る要素が強かったのだろうと思います。しかし、優勝した事実に変わりはない。勝ちは勝ち。国体で貰った金メダルが今でも綺羅星の如く輝き続けています。
国体優勝から11年が経過。私にとって国体優勝はもはや過去の栄光と化しました。そもそも乗馬さえやっていません。馬で走っていたのがいつの間にやら自分で必死に走っていますから笑。では優勝した興奮はもう忘れてしまったのか?そうお考えになるかもしれませんが、忘却の彼方へ置き去りにしてきたわけではないのもコレまた事実であります。過去の栄光にはそれ相応の活かし方や使い道があるのです。今日はその方法論についてお話したいと思います。
過去の栄光を使うベクトルは自分:他者=99:1。基本的には自分に向けて使うものであり、ごく稀に他者に対して発動させるものであります。
自分に対して如何に用いるか?苦境やピンチで”しっかりしろよ!”と己を奮い立たせるために使います。自分は昔、アレだけのことをやってのけた。周りからは「絶対無理だ」とさんざん言われた。自分自身も (ひょっとしたら出来ないかもしれない…) と内心思っていた。でも最後にはああして成功を掴んだじゃないか。栄光を築けた過去の自分よりも今の方が強い、強いに違いない。いろんな経験を積んできたから心身ともにタフになったもの。だったら行ける。諦めちゃダメだ。ここで投げ出したら昔の自分に笑われてしまう。前へ進むしか道はない。出来るぞ自分!歯を食いしばれ…!!といった感じ。
過去の強烈な成功体験を現在や未来を生き抜く自信に換える。過去に培った己の矜持を腐らせることなく未来に引き継ぐ。成功体験のある人は普段から自信に持ち溢れています。つまり、成功体験を自信に換える作業を”無意識に”行えているわけです。より強烈なモチベーションを得るため意識下でも置換反応を進める。心の中で気持ちがまるでオセロのように、ネガティヴな感情からポジティヴなモノへと次々切り替わっていくのが感じられます。置換方法は様々です。私の場合、日本馬術連盟の会長から金メダルを首にかけてもらった場面を想起すると自信がみなぎってきます。また、置換反応は目標を叶えるまでの間、休むことなく弛まず実施。ネガティヴな気持ちの芽が出てきたとしても即座に燃やして成長させない。
過去の栄光を人に対して振りかざすのは果たしてどのような場面で、か?「自分の名前と存在を一発で相手に印象付けたいシーン」で、です。
人と対面で話すときなら自己紹介をする場面でサラッと用いる。ブログで読者さんに用いるときならプロフィール欄にコソッと記しておく。やたら滅多に振りかざしてしまえば相手に嫌な印象を持たれがち。「なんだよ、国体優勝国体優勝ってうるさいなぁ…」と不快感を持たれて損しちゃいます。”サラッと”や”コソッと”といったように何気なく使用するのが最大のポイント。昔の話をくどくど自慢されても聞いている側は嬉しくないですからね。自慢したくてたまらない逸る気持ちをグッと堪えて涼しい顔で。自慢するのはあくまで自分に対してのみで留めておくのが秘訣です♪
『過去の栄光』を使わずとも相手に名前を憶えてもらえるならその方が良い。他人に対する使い方って本当に難しくて悩まされますから。少しでも表現が強かったなら相手にとって嫌味に聞こえてしまう。何を言っても嫌味としか受け取れない人からすれば格好の標的になりかねません。自分に対しては積極的に用いていきたい『過去の栄光』。他の人へと行使するのは極めて慎重な判断が必要。
過去の栄光にも賞味期限があります。人によって様々かと思いますが、私の場合、賞味期限は長くて10年という考えです。つまり、私にとって国体優勝はもうほぼ利用価値の無い栄光。100%無い!とは言えないけれども、搾れるものはもう絞り取ったから果汁が一滴も残っていない状態なのです。乗馬体験記・青春駆けるシリーズを3か月前に一挙に記したのは、馬へ全ての情熱を捧げた青春の記憶がかなり色褪せているように感じたから。美しい記憶を自信への転換反応に利用しすぎたせいか、気が付いたら思い出がボロボロになって原型を失いかけていたのです。大切な記憶を後で見返せる形で記録しておくために記した。”賞味期限が切れてしまった”というのを自ずと悟った形になります。
しょぼい栄光なら5年ともたない。1年や2年で利用価値が目減りし、あっという間にゼロになる栄光も。私の場合、”北大次席合格”なんかがすぐ賞味期限切れになった栄光の代表例。2位だろうが最下位だろうが北大に入ってしまえば全員北大生ですから。そもそも、主席合格じゃないのに「2位だぞ!」と自慢したってカッコ悪いことこの上ない。蓮舫さんの如く青筋立てて「2位じゃ駄目なんですか?!」と逆ギレしなくちゃならなくなっちゃう笑。
ところで、『過去の栄光』にどうして賞味期限があるのでしょうか?思うに、年月を経るにつれ自分が少しずつ成長していくからです。自分が力を付けていくと、過去の成功体験が役立たぬほどの未知の局面に立たされる場面が増加。難局を迎え、適切な状況判断すらせず、(昔はあぁして乗り切ってきたから今回もこうしよう!) と無邪気に驀進したら悲劇を迎える可能性も。周りを見渡す冷静さが必要。過去の栄光が適切な選択の邪魔になる場合があるのです。私の造語ですが、役目を果たした『過去の栄光』は『太古の栄光』に代わります。ここまで来れば他人に行使してもOK👍 栄光に対する思い入れが薄れているから相手へ何の嫌味も与えることなくサラッと行使可能です。
『過去の栄光』は所詮、”過去の”栄光です。いつまでも過去の思い出に浸っていたら未来の成長はありません。
過去の栄光はぬるま湯です。浸かっていると超気持ちが良い。冬に地獄谷野猿公苑で見るお猿さんの如く、いつまでも、永遠に温泉の中に入っていられると思います。
辛くてしんどい現代社会の戦いに疲れたら湯治するのも一計。しかし、温泉に入っているままでは何の学びもありません。お湯に入ってきた他のお猿さんと世間話をするぐらいでしょう。しかもその温泉は残念ながらアルカリ性。浸かり続けると徐々に体が蝕まれ、やがて骨だけの体になってしまいます。毎日少しずつ歳を取っていく運命なのに、何もせず現状維持など出来る訳がありません。二つに一つ。寒いけれども温泉を飛び出し新たな栄光を掴みに行くか、蝕まれるのを承知で浴槽に浸かってひと時の快楽を味わうのか…
もしも輝きを放ち続けたいなら”栄光の湯”を出て頑張るしかない。(『過去の栄光』の賞味期限が切れたな)と思ったら潔く捨て、また新たな栄光を求めてまるで野武士のごとく我武者羅に駆け巡るのみ。活躍の場を移すのは経験上、非常に良い気分転換になります。乗馬の栄光を気にしたくなければ乗馬など一切関係ない所に移動すればいいだけですから♪ 積み上げてきた栄光が大きければ大きいほど移動のフットワークが重くなりがちに。残る未練をひと思いに「えいやっ!」と断ち切り、身も心も軽くして新たな分野に飛び移りましょう。
過去の栄光の使い方についてのコラムはコレで以上。来週は『反骨心の使い方』をテーマにブログをお送りします。
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