こんにちは!馬術競技から陸上競技に転向した、100km自己ベスト9時間1分の現役北大理系大学院生かめ (D1)です。 2024年12月スタートの沖縄100Kウルトラマラソンへ向けて練習しており、記事を書きながら日々の練習内容を振り返ることにしています。
さて、先週の記事では『カメラ』についてお送りしました。今回は『生き急ぎ (いきいそぎ)』について考えていきます。
私は非常にせっかちです。待つのが非常に苦手な生き物。行列を見ると吐き気がします。いくら人気店だろうが人気スポットだろうが、少しでも待たなきゃ利用できないのなら利用しようという気にもならない。テーマパークなんて無理。いったい何が楽しくてワンアトラクションに3時間も待たなきゃいけないのだろうか。遠い昔、私に彼女がいた頃、一度だけ彼女にディズニーデートへと誘われました。「ディズニー、行こうよ」とおねだりしてきた彼女の眼はまるで日に照らされた海面の如く煌々と輝いていました。ところが私、待つのが苦手ですから、「ごめん、無理」とにべもなく断ってしまいます。もうちょっと優しく断ってあげれば良かった。当時の私には女子の気持ちを慮る能力が著しく欠けていたのです。
せっかちなのは昔から。記憶が残っている小学校高学年の頃からかなり急ぎがちな性格。生まれつきの性分なのか?少なくとも両親はせっかちではないし、親から受け継いだ性格というワケでもなさそうだから不思議である。てことは後天的なモノ。何が私をせっかちにした?…分からない。全く分からない。少なくとも10/25までは全然分からなかった。
10/26の朝、オックスフォードの研究所へ行くバスの中で以下のツイートを見ました⇩
日本人は総じて生き急いでると思う。高校卒業の何か月も前にAOで進学先を決め、大学卒業の1年前に就職先を決めて卒業前から仕事を学んでいる。この「生き急ぎ体質」は研究みたいに腰を据える学業とは猛烈に相性が悪いと思う。むしろ日本の研究の苦戦の最大の理由の一つではとさえ思う。
— 1T🍵T (@1T0T) October 25, 2023
この手のツイート、いつもなら (またヒマな研究者が職場の愚痴をブツブツ吐いていて見苦しいなぁ)と直ちに読み飛ばしてしまいます。愚痴なんか見たって仕方がないし何ら自分を高めてくれないから。しかし、その日はなぜか自分の心にグサッと刺さって読み込んでしまったのです。確かに日本人は生き急いでいる。「早くしなきゃ!」「周りに遅れちゃいけない…!」と悲壮感全開で日々過ごしている。私にも自覚症状があります。常に何かに急き立てられているような感覚で毎日を生きているのです。特に研究室へ配属された学部四年次以降は酷い。手を止め休むのでさえも怖くなり年中無休で研究室へと向かっています。瞼が震えて身体がおかしくなっても休めないのだから怖い。修士二年次の夏に口から血を吐き一時はちゃんと休むようになったけれども、博士課程に入り将来に不安を感じてからはまた無休態勢に。
そうか、私は”せっかち”というより【生き急いでいる】だけだったのだな。性格云々より『人生に臨む”態度”』の問題。頭をぶん殴られたような衝撃。 (そういえば自分、なんで生き急いでいるんだ…?)と問うてみれども回答は出ません。それもそのはず、人間は本来、何ら生き急ぐ必要がないからです。社会の風潮や周りの声に煽られて生き急いできただけだった。
小学校高学年からせっかちになり始めたのは、高学年から学習塾で中学受験の勉強が本格化したからでしょう。周りより一点でも多く点を取らなきゃいけない受験に臨む都合上、 (もっとやらなきゃ、頑張らなくちゃ!)と生き急ぐ性格に変わるのは必然。そこで「別にゆっくり少しずつやればいいんじゃない…?」と構えていたら椅子取りゲームに負ける。負けて親や先生に怒られるのが怖いから勉強をやり、いつの間にか生き急ぎ体質が己に導入・拡張されたのです。中学に入って (ようやく一息つけるかな) と思えば学校ではテスト続き。勉強に忙殺されていくうち気が付けば大学受験。二年も大学受験をすれば生き急ぎ体質はほぼ完成します。特に一浪時なんてもう後がないから徹底的に自分を追い込む一方…
「社会が敷いたレールから外れよう」と大学院修士課程で決断しました。理系学生は修士まで行きその後就職するのが王道なものの、”ソレはつまらない”と大学院博士課程まで進学しようと決意したのです。めでたく博士課程への進学を果たし、国からお給料をいただきながら研究活動に励める身分。 (ようやくレールから外れられたかな?)と少し嬉しかったほどです。ただ、私は進学してから今日まで重大な見落としを放置していました。そう、己の生き急ぎ体質さえ社会が敷いたレールに乗って進んだ成果物なのだといった事実を。博士進学してレールから外れた気になっていました。外見や身分が他人と違うだけで満足していたのです。本当にレールから外れようと思えば生き急ぎ体質からも外れねばなりません。人生にどっしり腰を落ち着けて日々に安心感を持って生きる必要があります。
日本からイギリスへ渡航して一番強く感じるのが人生への態度の違い。イギリスに住んでいらっしゃる方、何から何まで本当に落ち着いているんです。あまりに色々と鷹揚すぎて私の大学の事務手続きさえ滞っているほど笑。それはちょっと困るんだけれども、日本で毎日せかせかと過ごす人しか見ていなかった自分にとっては新鮮。「こんなにゆっくりとしていて良いんだ…」と目を見開かれされた思いがしました。自分とは異なる全く新しいライフスタイルを見せられ心から感動したのです。オックスフォードには昼間からビールを飲んで酔っ払っていらっしゃる方も。とにかくみんな楽しそう。笑顔や高らかな笑い声が至る所から見えたり聞こえたりしてきます。余裕があるってこういうことですよ。余裕があれば急がなくても構わないもの。日本がどれだけ貧しくなったか痛感させられる出来事でした。せかせか生き急がねばならないほど社会から我々に与えられるパイが少なくなっていっているということ。
個人で社会を変えられるワケがないから私自身が変わるしかありません。今日で【生き急ぐ】のを卒業します。急がなくたって良い境遇なのだから鷹揚に構えて泰然としています。椅子取りゲームに負けようが何だろうがもう知らん笑。小学生から競争続きで疲れたからちょっと休ませて下さい。今このタイミングでイギリス留学へ行っているのはおそらく、神様から「生き急ぎ過ぎじゃないの?ちょっと休めば?」と人生を変えるチャンスを与えられたからだと思うのです。ならばそのチャンスを存分に活かして”生き急ぎ”から脱却してしまわなければ。この半年間、勉強や研究にちょっと手を抜いてみます。帰国後、「そろそろ研究でもやってみるか」と穏やかな気持ちで取り掛かれると信じて。
生き急ぎに関するコラムは以上。来週は『プラス思考』について考えてみます。
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