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#12 沖縄100Kウルトラマラソン2024への道 『宿命』についてのコラム

#11 沖縄100Kウルトラマラソン2024への道 留学へ行くまでの過程、および留学へ懸けた想い

2023-10-08

こんにちは!馬術競技から陸上競技に転向した、100km自己ベスト9時間1分の現役北大理系大学院生かめ (D1)です。 2024年12月スタートの沖縄100Kウルトラマラソンへ向けて練習しており、記事を書きながら日々の練習内容を振り返ることにしています。

 

宿命に関するコラム

前回の記事では『留学への想い』について綴りました。今回は『宿命』というキーワードを核に色々と書いていきます。

 

努力しても叶わぬことの大変多い人生だった。小学受験を皮切りに、中学受験、馬術競技、大学受験、陸上競技、そして大学での研究室生活など上手く行くケースが僅か。第一目標が不相応なせいなのだろうか?もっと身の丈に合った目標を掲げれば叶った目標も多かっただろう。しかし、”最初から安牌な目標へ挑んで何が楽しいんだ”と思ってしまう。多少の賭けなら喜んで挑む。そうでもしなくちゃ己の魂がグワーッと盛り上がってこないから。上手く行く確率が10%の勝負はあまり好まない。むしろ勝率0.01%ぐらいの方が気負わず挑めて全身がワクワクしてくる感じ。最終的に勝率40%ぐらいのところまで上げて力尽きてしまう。勝率10%の勝負に挑めばおそらく勝てると知っているけれどもやらない。

持ち前の運の強さで最悪のケースは何とか回避できてきた。ただ、目標へあと一歩のところで手が届かないまま涙を呑む場合が非常に多い。傍から見ればソコソコ順調な人生を歩んできているように映るらしい。生きている当の本人としては全くそのような感情を抱いたことはないのだけれども。目標を逃し続ける人生というのは辛くて辛くて仕方がない。 (また負けた。次も負けるのかな…)と負け癖がいつの間にか染みついてしまう可能性も。”もっと叶えやすい目標に変えたら楽になる”と知っているからなお辛い。自分の生き方を根本的に否定しなくちゃいけないがゆえになかなか幸せを掴めずにいる今日。

京大に落ちて北大に逃げたのは間違いだったとずっと思っていた。負けたままで終わりたくなくて仮面浪人をやってみたけれども失敗。研究室で自分のやりたかったテーマを貰えず (なんでこんな研究室を選んでしまったんだ…)と落ち込んだ。興味のないテーマをあてがわれても興味がないから全く打ち込めない。おまけに最近、留学先選びにも失敗してしまったのではないかと考え出した。渡航先の研究室の実態が事前情報とあまりに乖離しすぎており、(コレなら北大に居た方が実りある時間を過ごせたんじゃないか…??)と、やっとの思いで留学準備を整えただけに気落ちの度合いも半端じゃなかった。

己の運命を受け入れた途端に人生が好転し始めた

京大に行けなかった自分を責めるのでなく『コレも自分なんだ』と受け入れてみた。すると、北大で過ごす日々が徐々に輝き始めて北大で過ごすのが楽しくなってきた。”もしも京大へ行けていたら…”と夢想したって始まらない。北大が自分の行く大学なんだ。受け入れ、楽しむ努力をしなくちゃ。いまや唯一無二のホームグラウンドとして北大が好きでたまらない。もしも何かの間違いで京大生になる機会があっても断るんじゃないのかというほど。

研究室生活においてもテーマを好きになる努力をした。専門の勉強をすべく身銭を切って学術書を買って読んだり、専門に関心を抱いて好きになるべく技術書をたくさん買って読んだ。まるで彼女と過ごすが如くに研究テーマと一緒に過ごした。四六時中、そのテーマのことを考えて考えて考え続けた。そうしたらいつの間にか好きになった。愛着が湧き、与えられた研究テーマをもっと魅力溢れるテーマにしてやろうと意気込んだ。努力の過程で海外の一流雑誌に論文がアクセプトされた。テーマが嫌でも『宿命なんだ』と受け入れたおかげで運気が巡ってきた。

『宿命』、なんと厳しい言葉だろうか。神様から体に宿され生を設けたワケだから、己の努力じゃどうにもならない一生付きまとう運勢なのだ。宿命に無理して抗おうとすればキツいお仕置きを食らってしまう。時には貴重な一年を棒に振る (大学受験浪人)ほどの手痛いしっぺ返しを受けることも。宿命を受け入れるのは本当に難しいことである。受け入れれば人生がうまくいくと重々承知しているにもかかわらず。

宿命をすんなり受け入れるための処方箋は何かあるのか?これまで25年生きてきてようやく朧げながら少し分かってきた。【結果はすでに神様に決められているのだからジタバタしたって仕方がない】と肩の力を抜くことだ。自分の人生を当事者ではなく傍観者として静かに見つめるのが大事。もがけばもがくほどドツボにハマってそこから抜け出せなくなってしまう。ならば動かぬ方がいい。動かざること富士山の如し。「まぁ、いいか♪」とどれだけ言えるかが人生の幸福度を支配する。人間自体が不完全な以上は完全性を求めても仕方がなく、不完全な自分が背負った宿命を丸ごと受け入れるのが大事。

留学先でトラブルまみれなのも絶対に何か理由がある。サバイバル能力を伸ばす期間なのか、ストレス耐性を高める期間なのか、未だサッパリ分からないけれども理由は必ず存在する。だってコレも宿命だもの。そうなるべくしてなっているんだ。”留学なんてしなけりゃよかった”と片付けるのでなく真っ向から向き合い「まぁ、いいか♪」と片付ける。宿命の行く末を一人の傍観者として楽しく見届けるぐらいじゃなくちゃ。

持病のミソフォニア(音嫌悪症)だってそう。どんな音でも嫌いになりかねぬ理不尽極まりない病気。おそらく結婚は無理だと思う。大好きな人を音がきっかけで嫌いになるなんてあんまりだもの。持って生まれた病気だからコレは神から与えられた『宿命』。ミソフォニアの弱みを強みに変え、「音」にまつわる人類の課題を解決するために生かされていると勝手に思っている。人並みの幸せを掴もうとしてもおそらく不可能。”幸せ”とは何かを自分でゼロから再定義し、他者貢献しながら自分も幸福になれる道を探さなきゃいけない。

 

宿命は決して生きながらの罰ゲームではない。人間それぞれに生きる意味を与え、かつ懸命に生きるために神様がくれたささやかなプレゼントだと思う。これからも己の宿命に振り回されるに違いない。(何でこんな辛い思いをしなくちゃいけないんだ..!!)と地団駄を踏んで悔しがるはず。そんな時でもすぐ冷静になり、胸の内側で燦然と煌めく宿命を慈しむ寛容さを保ちたい。せっかくの贈り物だもの。(どうしたらコレを活かせるのかな)と考える方に頭を使いたい。

 

『宿命』に関するコラムは以上。来週は『カメラ』について記します。

かめ
いま行っているオックスフォード留学に関するコラムを別ブログにたくさん記しています。もしソチラに興味のある方はコチラのリンクからご覧ください

#13 沖縄100Kウルトラマラソン2024への道 『カメラ・写真』についてのコラム

2023-10-22

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