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#19 この3ヶ月間に起こったこと

#18 沖縄100Kウルトラマラソン2024への道 4月までブログ更新をお休みします

2023-11-26

こんにちは!馬術競技から陸上競技に転向した100km自己ベスト9時間1分の北大工学系大学院生ランナーかめです。2024年12月スタートの沖縄100Kウルトラマラソンに向けた練習内容や日々の妄想内容について書き綴っています。

昨年11月末にサイト更新をストップして以来3か月ぶりの投稿となりました。今回の記事では、この3か月間に何があったのか記していきます。

 

オックスフォード留学から帰国

昨年10月に始めた英国・オックスフォード大学への留学。訪問した研究室の実験設備があまりに酷く、自分でどうにかできる次元をはるかに上回っていました。当初、オックスフォードへは今年の3/29までの滞在予定。3月末までこの環境で過ごすのがどうしても耐えられそうになかったのです。いくらラボに通ったとしても実験を進められなければ何の意味もない。研究室の学生や教授とディスカッションしようにも、肝心の彼らが研究室へほとんど顔を見せないのだから議論は無理。そんな惨状でもオックスフォードへ毎月14.5万円相当の在籍料を支払わねばならない。「払い損やん。流石に我慢できんぞ」ということで留学を12/29にて打ち切り。

1月からトルコを起点に欧州旅行をし始めました。そのスケジュールは以下の通り⇩

  1. 12/29~1/4 トルコ・イスタンブール
  2. 1/4~1/5 ブルガリア・ソフィア
  3. 1/5~1/7 セルビア・ベオグラード
  4. 1/7~1/10 ハンガリー・ブダペスト
  5. 1/10~1/12 オーストリア・ウィーン
  6. 1/12~1/14 ドイツ・ミュンヘン
  7. 1/14~1/17 イギリス・ロンドン&ケンブリッジ

旅行自体は楽しかったのです。しかし、慣れないドミトリー生活が体に合わなかったのか、トルコ滞在最終日から発熱してしまいました。特に喉がすごく痛かった。声が出ず、食べ物を飲み込むのが辛いほど喉が痛くて痛くてたまりません。それに加え、「博士課程の間にこうして遊び回っていても良いのだろうか…」との罪悪感も芽生え、大きく育っていきました。死ぬ気で研究しなくちゃいけない時期なのに、何を暢気にヨーロッパをぶらぶら観光して遊んでいるのだろう…と。自分で言うのもアレなのですが、私はクソ真面目な性格。遊ぶ暇があるなら勉強や読書をして少しでも知見を広めていきたい人間。長期旅行でダラダラ過ごすのが最早不可能な人間なのです。遊ぶのが無理。遊ぶなら働きたい。せっかくの欧州周遊旅行は3週間足らずで頓挫してしまいました。

1/17の夕方にヒースロー空港を離陸。カタール・ドーハを経由し、1/19の夜、東京・羽田空港へ戻ってきました。昨年10月から今年1月中旬までの3か月半で自分は何を得たのだろうか? …何も無かったな。時間と100万円以上のお金を失い、海外へ抱いていた憧れを木っ端みじんに打ち砕かれ、腑抜けになって帰ってきただけ。留学なんてしなかった方が良かったんじゃないか?いや、しなかったらしなかったで後悔するだろうから、留学に踏み切った決断自体は決して悪いものではなかったのかな。

それよりも大きな問題は、【これから博士課程修了までの間、自分はいったい何を楽しみに過ごせばいいのだろうか】ということ。海外留学へ行きたいから博士課程へ進学したにもかかわらず、留学でこんなに嫌な思いをさせられ、帰国しちゃったらこの先の生き甲斐が無いじゃないか。大学院を辞めてしまおうか?博士号なんて必要なのか?いや、そもそも、生きている意味が分からない。いくら我武者羅に頑張っても光が見えず、暗闇の中、たった一人で悩み苦しんでいました。

 

研究者になる道を諦める

私自身、留学前に一つ決めていたことがありました。もしもオックスフォードで研究に少しでも手応えを感じたら将来は研究者になろう、と。たとえそれがどれだけ険しい道のりでも、両手を両膝につき、一歩ずつよじ登って正規職を掴み取ってみせる覚悟でした。何年非正規職に勤めなければならぬとしても、正規の研究者になるまで諦めない。反対に、研究へ全く手応えを掴めない場合、”研究者になりたい”との自身の宿願をスパッと断ち切るつもりだったのです。学問の都で自身の学問への可能性を感じられなければ、この先、自分が研究の世界に残っても大成する可能性は低いのではないかな、と。

留学前、「まさかオックスフォードまで行って研究に”全く”手応えを得られないだなんてことがあるものか」と考えていました。そんなこと、あるワケが無い。異常事態に陥るケースを想定せずに上記の決め事を定めたし、帰国後も帰国前に引き続き研究者を目指すものと当たり前のように思っていました。ご覧の通り、研究に全く手応えを掴めず肩を落として帰国する結果に。研究者になる道が絶たれた形。帰国後、2週間は論文を読んでも頭に入らぬほど落ち込みました。ショックが強すぎて涙さえ流れません。自らの運命に唖然、呆然とさせられたのです。

もしかしたらコレは宿命なのかもしれません。本当は技術者になる運命だったのに、自分が勝手に研究者に憧れ、その気持ちを増長させていただけなのかもしれない。いや、きっとそうなのでしょう。自分に研究者など無理だったのです。身の丈に合わない希望を抱き、それが叶わなかったからといって落ち込むなんてバカじゃないだろうか。こうなったら気持ちを切り替えるしかありません。研究者を諦め、技術者になる覚悟を固め、前を向いて頑張っていくしかない。

 

博士課程早期修了を決意。来年4月からの広島での就職が決定

研究者になるのを諦めた今、自分がなれなかった研究者の巣窟たる大学へ通うのが辛く感じられ始めました。キラキラと輝く研究者を見るのが辛い。自分の纏う漆黒のオーラがより一層黒く感じられて胸が締めつけられる。一年でも、いや、半年でも早くココから出て、自分が落ち着いて過ごせる場所で働きたい。大学へあまり長く身を置いていたら今度こそ心がバラバラになってしまいそうでした。博士課程の早期修了を決断。3年での修了が普通ですが、1年繰り上げ、2年での修了を目論もうという作戦。コレなら博士号を取れますし、不快な思いを味わわねばならない期間を1年減らせます。あと1年ならどうにか耐えられそう。体がおかしくなるのが先か、それとも大学院を修了するのが先か…

そうと決めた以上、博士課程修了後の進路を早急に決める必要があります。飛び級できたは良いものの、進路が決まっていなければフリーター、ないしホームレスとしてやっていかねばなりません。長期旅行さえ無理だった私が定職に就かず、安らかに暮らせるわけがない笑。さしあたり、どこかの民間企業へ就職するのが良さそうじゃないかなぁと考えました。どうせ働くのであれば、これまで取り組んできた電池研究の知見を活かせる企業へ行きたい。場所も大切。地元の広島で働きたい。縁もゆかりも無い場所にある企業へ奉職できるとは思えない。地元へ勤め、地元への恩返しとし、もう十分だと思ったらその時に次のステップを考えればいい。

欧州旅行中、広島の某大企業一社に狙いを定めて詳細な企業分析を始めました。その会社の成り立ち、主力事業と売り上げの分布、業績や財務状況、それに求める人物像などを深く研究。就職活動は本来、複数社へ同時に応募するのが普通。一社しか応募しなかったら落ちた時に「どうしようか…」と頭を抱え込んでしまうため。私の場合、同時に複数社を受けられるほど器用ではありません。A社の面接を受けている時に誤ってB社の志望動機を喋ってしまいそうだもの笑。一社ずつ受けていくのが自分の性格的に最も勝率が髙そう。 (その企業がいま最も人材を必要としている分野はどこか?) と徹底的に考え、『ぜひウチへ来てください!』と言って貰えるような履歴書を記しました。

メールで会社へ書類を送ると、思惑通り、すぐ面接に案内されました。しかも、いきなり最終面接です。「マジかよ…!」と面食らいました。人事面接やマッチング面談等をすっ飛ばしての一発勝負。会社の交通費節減のためか、オンライン上でのWeb面談。静かでネット環境の整った大学の研究室にて受けました。面接から4日後、メールにて内定の通知が。志望した領域の人材像にジャストフィットしそうとのことで、『ぜひウチへ来て下さい!』と熱烈なオファーを受けたのです。3/6、工場へ見学に行ってきます。何も問題が無ければそこでオファーを受諾し、進路を決定するつもりです。

 

来週以降、週一回ペースでコラムを投稿予定です

 

来年4月から広島での就職が決まりました。博士課程の早期修了に向け、これから一層研究に打ち込み、頑張って取り組まねばなりません。そろそろ雪解けの時期となりました。ランニングを再開しようと思います。

これから以前と同様、一週間の練習内容、およびランニングとは全く関係のないコラムを記し、当ブログ『マラソンソラマ』へ投稿していきます。更新ペースは週一の予定。執筆の調子が良ければ週二で投稿するかもしれません。

 

以上です。

#20 『旅行』の魔力。どうしてハマる?なぜ私はハマらなかった?

2024-03-10

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