こんにちは!馬術競技からマラソンに転向した北大工学系大学院生ランナーのかめ (M2)です。
2023年6月11日午前4時スタートのいわて銀河100kmマラソンでサブ9 (9時間切り)を狙っており、日々の練習内容を記事にまとめながら振り返ることにしています。
第五クールの練習内容
第五クールの4日間は以下のようなメニューをこなしました⇩
- 1/31(火):下半身強化|ジャンピングスクワット/ランジ
- 2/1(水):左右差と可動域の改善|動的ストレッチ
- 2/2(木):体幹トレーニング|腕立て伏せや腹筋ローラー
- 2/3(金):瞬発力強化|階段ダッシュ
静的なトレーニングに早くも飽きが生じてしまったため、筋トレの中にも動きを取り入れ新しい刺激を入れました。
新メニューに替えたおかげで筋トレに楽しさが戻ってきて、一層集中して練習に打ち込むことができるようになりました。
今まで使わなかった箇所を使った影響で少々筋肉痛にもなりました。
屋外練習開始まで1か月。あと4週間も我慢すれば外で思う存分走れます。
3/1の走り込みスタートに備えて着実にパワーアップを図りたい所です。
最近の札幌は昼間に晴天となる日がかなり多く、体感温度もプラス1~2度ぐらいで暖かく非常に過ごしやすいです。
こんな良いコンディションが続くならランニングしても問題なさそうがするのですが、ランニング中に吹雪かれるとめちゃめちゃ辛くて仕方がないので、冬季はおとなしく家の中で筋トレに励みたいと思っています。
西洋哲学と東洋哲学をめぐる紆余曲折について
前回の記事では『嫌われる勇気』を題材に人生論を少々語りました。
この記事では西洋哲学と東洋哲学をめぐる私の紆余曲折について少々記してみたいと思います。
大学に入ってまず出会ったのは【西洋哲学】と呼ばれる哲学でした。
ギリシャのプロタゴラスに源流を持ち、そこからソクラテス、プラトン、アリストテレス…と連綿と受け継がれて今日に至るというわけです。
西洋哲学の特徴は、過去の哲学者の思想哲学をアップグレードする形で発展していく所です。
最初の哲学者が『哲学1.0』なるものを創り、後の世の方がそれをマイナーアップデートして『哲学1.1』、さらに後の哲学者が『哲学1.2』、もしくはメジャーアップグレードして『哲学2.0』を創り出してきたのです[史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち参照]。
西洋哲学は
- 哲学者同士の対話で新たな思想が花開いたり、
- 何かの偶然で閃きを得て、何の前触れもなくメジャーアップグレードに至ったり、
様々な方法でこれまで発展してきております。
最大の特徴は『論理』に貫き通されている所です。たとえどれだけ難解であっても思想が言葉で全て記されているため、じっくり向かい合って解きほぐしていけばやがて咀嚼可能だということです。
私の場合、西洋哲学に対しては
といった印象を抱いていました。
確かに言葉で”○○だから△△だ”と記されているので (そういうものかなぁ)と受け入れるしかないのですが、人生の問題を解決するにあたって思考を挟まねばならないのが何とも煩わしく感じられたのです。
これまで私は乗馬や受験の志望校など、基本的に本能のおもむくがまま直感的に動作や進路を選んできました。
おそらく脳の無意識下では多少の思考活動が行われているものと思いますが、特に難しいことは考えず、これまでの人生経験を元に(こうやったら上手く行くんじゃないかなぁ)と思った通りに進んできたわけであります。
物事を考えるのはさして嫌いではありません。いま大学院でやっている研究のことなら24時間考えられます。
しかし、人生の問題を扱う哲学に対して、(考えたって仕方のないことをどうして考えなくちゃいけないんだ??)と疑問に思いながらこれまで向かい合ってきたのでした。
いつだったか忘れてしまいましたが、大学生時代に『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』という本と出合いました。
本書籍ではタイトルの通り【東洋哲学】を扱っており、哲学の各論へと入る前に”西洋-東洋哲学の違い”についてかなりのページ数を割いて解説してくれています。
西洋哲学は上述のように、思想のアップグレードでもって積み上げられていく哲学です。
一方で東洋哲学は、ある日突然誰かが悟りを開き、その人(教祖)の言動から教典が作られていくのです。
つまり、東洋哲学は西洋とは逆に、トップダウン式の哲学というわけです。
教祖様が言ったことには全て何かしらの意味を持ちます。「教祖様の言うことは…?」「ぜった~い!」というわけです。
後世の信仰者は教典を元に
- この言葉は○○という意味なんじゃないか?
- いやいや、△△という意味に違いない!
などと”解釈”をめぐって侃々諤々議論します。
それがヒートアップすると宗派に分かれ、派閥間の争いが過熱すれば宗教戦争が引き起こされます。
私の場合、小4から始めた乗馬において、この東洋哲学的な方法で技術を叩き込まれてきております。
乗馬クラブに馬の師匠がいて、師匠の言うことに疑問を差し挟むことなくいわば”信奉”してきたのです。
もし馬術が上達しなかったら少しは師匠の言動にも疑いを持ったに違いありませんが、このやり方でメキメキと腕を上げて国体優勝までしてしまったのだから疑うわけがありません。
思春期を東洋哲学的に過ごしたおかげで東洋哲学を受け入れる土台が築かれていました。
大学生時代に『史上最強の哲学入門 (註:東洋編の方)』を通読した際、
と脳に閃きが走りました。
西洋哲学で感じた違和感が東洋哲学には全くなく、(コレを実践できれば幸せになれる!!)と直感するに至りました。
鎌倉時代を生きた栄西さんの思想は特に良いなぁと思いました。
栄西さんは臨済宗のご開祖様。臨済宗が行う禅問答って今では噛み合わない会話を揶揄する意味で使われておりますけれども、アレって本当は思考を通さず物事を考える『無差別知 (無分別知)』を養う訓練なのです。
私は直感型の人間なので、うんうん唸りながら難しい哲学体系の理解に挑戦するのはあまり得意ではありません。
一方で、思考をほとんど挟まず、悟りが開けるのを待ってひたすら修行に励むのならばなんとかできそうな気がします。
無差別知、欲しいですね~。どうやったら手に入れられるのでしょうか?
おそらくですが、まずは”無差別知が欲しい”という欲求を捨て、脳を空にするところからスタートしなくちゃならない気がします。
東洋哲学、特に仏教の難しいところは、『何か』を欲しいと思ったらその『何か』から物理的/心理的に距離を置かねばならぬところです。
しかも、(距離を置こう)と思わず距離を置かねばならず、{(距離を置こう)と思わず距離を置かねばならず}とも思わず距離を置かねばならないのですよ。
何が何だかサッパリですよね。じゃあどうせいって言うんじゃ笑
無差別知獲得への道はまだまだ始まったばかりであります……
第六クールの練習予定
第六クールは以下のようなメニューで練習します⇩
- 2/4(土):下半身強化|ジャンピングスクワット/ランジ
- 2/5(日):左右差と可動域の改善|動的ストレッチ
- 2/6(月):体幹トレーニング|腕立て伏せや腹筋ローラー
- 2/7(火):瞬発力強化|階段ダッシュ
コラムは『方丈記について』を予定しています。
なお、次のクールの記事からは、筋トレメニューの振り返りを超簡単に終わります(書くことがないからです)。
2月末まではコラム中心でお送りするので、どうぞ楽しみにしておいて下さい(*≧∀≦*)