こんにちは。馬術競技からマラソンに転向した、マラソン自己ベスト2時間47分の現役理系大学院生のかめ (M2)です。
2022年12月18日スタートの沖縄100Kウルトラマラソンへ向けて練習しており、記事を書きながら日々の練習内容を振り返ることにしています。
今週の練習計画
- 12/5 (月) : オフ
- 12/6 (火) : 80分雪上ジョグ
- 12/7 (水) : 80分雪上ジョグ
- 12/8 (木) : 80分雪上ジョグ
- 12/9 (金・誕生日) : 献血のためオフ
- 12/10 (土) : 80分雪上ジョグ
- 12/11 (日) : 150分間雪上走
今日の練習
👟ウエーブライダー25
今日も路面はツルツルで、一歩前へ進むたびに軸足がズルッ、ズルッと滑りました。
着地の際はそっと地面に足を置けば案外滑らないものですが、離地の蹴る際は少なからずつま先に力を入れるから、グリップが効かないとほぼ確実に何かしらのズレが生じます。
どこを走っても滑りまくりで、嫌気が差して”いつ切り上げてやろうか”と練習を切り上げる理由を探すほどでした。
しかし、都合良く滑りにくいフカフカな路面を見つけまして、片道800m程度の往復コースを目標の80分経過まで行ったり来たりしていました。
流石に今日の練習は辛かったです。筋肉的にはしんどくないけど、思うように走れないのでメンタル的にタフでした。
まぁ、この状況を乗り越えた先にウルトラサブ9が待っていると思うと疲労なんて一瞬で吹っ飛びますし、直前でサボって後々後悔することだけは何としてでも避けたいんですから、できない理由を探すのではなく、”どうすればこの厳しい局面を打開できるか”とプラス思考に切り替えます。
明日は少し気温の上がる午後に練習をしたいと思います。
少しでもアスファルトが顔を出すことを祈り、練習の振り返りを締めくくります。
コラム:もし一度だけ時間を巻き戻せるとしたら?
映画、『君の名は。』の主人公・瀧くんは、命を懸けてヒロインの三葉ちゃんを救いに過去へとタイムスリップしたわけであります。
それを見てふと(自分も一度だけ時間を巻き戻せたらなぁ…)と感じたので、今日は”もし一度だけタイムスリップできるとしたらいつに戻りたいか?”というテーマでコラムを書きます。
私には「この時期に戻りたいっ!」と明確に言い切れる時期が1つだけあります。
もし今まで築き上げてきたものを全て捨て去ることになったとしても、高校二年生の1月にタイムスリップし、そこから全てやり直してみたいと考えています。
私、高二の1月に『自分はプロの馬術選手ではなく科学技術者として生きていく』という重大な決断をいたしました。
こう決めた背景には高二の国体で自身の才能に限界を感じた点が挙げられるのですが、そこでした決断が正しかったのか否か、今でも時々モヤモヤしています。
高校二年次に出場した長崎国体では、最初から最後まで馬を思惑通りに動かすことができ、自分的にはある程度納得のいく走行ができました。
しかし、その国体ではかろうじて入賞できる程度の成績 (たしか全国6位でした)しか残すことができず、中三で優勝してから遠ざかっていた栄冠を再び掴むのはもう無理だと諦めてしまったのです。
自身をどんどん追い越してジュニア世代トップにまで駆け上がるライバルの背中は大変まぶしく感じられました。
また、(せめて後輩には負けたくない)と思って頑張っても、恐れ知らずの後輩たちは思い切りの良い走行で私の成績をあっさりと抜き去ってしまいました。
こうして戦意を喪失して馬術の道から退いたのですが、(何も馬術そのものとの関わりまで捨てなくても良かったんじゃないかなぁ…) と心の底から悔いています。
馬術業界には選手以外にも厩務員として馬の調教をサポートする役回りがありますし、乗馬クラブのインストラクターとしてお客さんを指導して喜んでもらう道もあったのです。
実際の所、私は選手としてバリバリ競技に出るより、乗馬クラブで他のインストラクターさんと一緒にお客さんのレッスンをしていた時の方が遥かに楽しく感じていました。
お客さんから「コレってどうやったら上手く行くの?」と言われた際、自身の体験談をもとに返事をして、ソレがかなりの確率で上手く行っていましたから、高校時代は半ば本気で(乗馬クラブの先生が天職なんじゃないか?)と信じ込んでいたぐらいです。
これだけ気に入っていた馬の先生になる道を諦めたのは、インストラクターの給料が安すぎるという超現実的な理由からです。
ほぼ毎日休まず働いても初任給で月16万円 (額面)しか貰えないし、馬に蹴られるなどの大ケガを負っても治療費の捻出すら困難なのです。
私は広島の進学校に通っており、みんなと一緒にそこそこの大学へ行ってしまえば、インストラクターの数倍もの給料をGETできるチャンスが目の前に転がっていたのです。
だから(乗馬は企業人になった時に給料で楽しめればいいかな♪)と考えてしまい、馬術業界に身を置き続ける選択肢を安易に切り捨ててしまったわけでした。
『科学技術者になってガッツリ稼ぐ』
こう決めたのは良いものの、ガッツリ稼ぐためにはちゃんと勉強して難関大学に合格し、企業に求められる人材になる必要がありました。
残念なことに私はさほど頭がよくありませんから、乗馬と勉強を両立するなど到底できそうにも思えませんでした。
そこで、私は小学四年次から通っていた乗馬クラブを高二の1月に退会し、もっと家から近くて通いやすい乗馬クラブへと移籍し、勉強に集中できる態勢を整えました。
結局はもう一度国体優勝を目指して高三の10月まで文武両道を貫くのですが、乗馬クラブ移籍の過程で当時乗馬クラブでラブラブだった彼女 (一緒に宮島の花火を見に行ったH子ちゃんです)との交際まで断ち切ってしまったわけであります。
高二当時、H子ちゃんと私とは県境をまたいだ遠距離恋愛状態でした。
だから(H子ちゃんにめっちゃ負担かけてるよなぁ…)と、申し訳なさを感じながらそれまでどうにか交際関係を維持してきました。
私のクラブ移籍により更に距離が離れて会いにくくなり、一層会いにくくなる状況が確定してしまいました。
そんな状況を冷静に捉え、(私と付き合ったままでいるとH子ちゃんにもっと負担がかかるし、H子ちゃんがもっとすぐに会える相手と付き合うチャンスを奪っちゃうよなぁ)と申し訳なさに拍車が入った結果、最終的に私の方から「別れよう」と切り出すに至ったのです。
もし技術者ではなく乗馬クラブの先生になる道を選んでいたら高二の1月にH子ちゃんと別れなかったと思いますし、おそらく今ごろもH子ちゃんと仲良くやってて結婚していた可能性すら考えられます。
そう、私は人生のターニングポイントのあの時期に、一生涯の幸せを得る権利をドブに捨ててしまったのでございます。
もし一度だけ時間を巻き戻せるのなら、研究の道ではなく乗馬の道を選んだ世界線をこの目で見てみたいです。
ソレはソレで「給料安いー泣」とか「しんどい!休みたいぃ~!」とか泣き喚いている気もしなくはありませんが笑、馬やH子ちゃんらと一緒に進んだ先には今の暮らし以上の輝きが待っているのではないかと思えて仕方がないのです。
まぁ、どうあがいたって今のテクノロジーでは過去へのタイムスリップは不可能です。
だから目の前の仕事を全精力でもって完遂し続け、自分が昔選んだ道を正解にしていくしかないのでしょう。
馬術ではなく研究を選んだのも何かの運命、宿命だと私は思うんです。
神様に導かれて研究室に来た以上は必死に研究に没頭せねばならないでしょうし、天命を全うする私を見て神様もきっと喜ぶはずです。
それに、いつまでも (あの頃は良かったなぁ…) と回想に耽っている私を見て、果たしてH子ちゃんが「○○くん、カッコいいっ!」と言ってくれるか?って話です。
過去に未練タラタラな男より我武者羅に今を生きる男の方が絶対にカッコよく見える上、日々高みを目指して頑張っていれば、偶然H子ちゃんと出会った際にも堂々と対面できるに違いないと感じます。
私が研究業界で結果を残せば、その研究成果でもって間接的にH子ちゃんを幸せにできます。
私からフッておいて「また付き合って」などと口が裂けても言えませんから、研究の世界で頑張ることをH子ちゃんへのせめてもの罪滅ぼしと考えて研究に邁進する所存です。
明日の練習予定
明日も80分ジョグの予定です。
もし路面コンディションが著しく悪ければオフにするかもしれません。
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