私は北大生になってからランニングを始め、今ではフルマラソンを2時間59分で走れるようになった。
高校までは帰宅部で、課外活動として馬術競技をやって国体優勝した経験がある。
だが、馬術競技とは人ではなく馬が一生懸命駆けまわるスポーツなため、北大に入るまではランニングとはほとんど縁のない生活を送っていたのである。
そんな私がなぜランニングを始めようと思ったのか、この記事にて言葉にしてみたい。
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小学生時代、体育は大嫌いだった
小学生の頃、体育の授業は大嫌いだった。
体育では、50m走や鉄棒、マット運動や跳び箱といった瞬発力を要するものばかりやらされたため、(次は体育の時間か)と思うと本当に憂鬱だった。
運動では何をやってもクラス最下位だったし、太り気味の体型のせいで周囲からいじめられていたので、私の運動嫌いはさらに加速したのであった。
この世から体育がなくなればどれだけ幸せだろうか…
若かりし頃の私は、体育授業のある日に大嵐がやってくることをひたすら願い、家のてるてる坊主を真っ逆さまに吊るし、無力の坊主に対して
と呪詛の言葉を投げかけることによって、坊主をよく顔面蒼白にさせていたものであった。
運動会ではいつもお荷物、集団スポーツなど全くできなかった私だったが、最下位にならずに済んだイベントがたった一つだけあった。
それが、小学5年生になって始まったマラソン大会である。
これは学校近くの片道800mコースを1往復するイベントであり、運動嫌いの私にとっては地獄のような時間…になるはずだった。
しかし、持久走だけはなぜか得意だったらしく、いつもかけっこでボロ負けしていた奴らを尻目にイーブンペースで走り続け、学年の真ん中ぐらいの順番で2年連続ゴールしたことを記憶している。
かけっこが得意な連中は、かけっこの要領でうさぎのようにロケットスタートした。
しかし、当時の私は(そんなスピードで最後まで持つわけがない)と何となく分かっていたため、まるでかめのようにのっそりのっそりスタートしたのである。
中間地点まで、私は小5、小6と2年連続最下位だった。
しかし、後半から少しずつスピードを上げていき、ダッシュのせいで息切れしたガリガリクソ野郎どもをビュンビュン抜き去り、普段の体育では考えられない真ん中の順位でゴールできたのだった。
まさに、うさぎとかめである。
この成功体験によって(オレもやればできるじゃん!!)…となったわけではなく、マラソン大会が終わったら再び鉄棒やマット運動の時間が戻ってきてしまったので、結局は体育を好きになれないまま小学生時代を終えたのであった。
体育を好きになるのはもうちょい先の話。
中3までは学年の下位~真ん中ぐらいの走力だった
中学生になり、ようやく鉄棒とサヨナラすることができた。
しかし、小学生の時より数倍立派な体育館にて、晴れているにも関わらず、マット運動や集団行動をやらされ続ける事になった。
屋外でやるスポーツといっても野球やサッカーといった球技ばかりで、集団行動も球技も友達付き合いも何もかも苦手だった私には体育の時間が小学校の時以上に息苦しくなっていた。
早く冬にならないか…そんなことばかり考えていた。
念願の冬になり、1月からはグラウンドでマラソン練習が始まった。
中1まではまだ太り気味(150cm,52kg)だったため速くはなく、むしろ後ろから数えた方が良いぐらいだった。
体育では3kmを全力で走って18分かかっていたし、本番では6.4kmに54分もかかっていた。
小学生まで得意だと思っていたのはただの幻想だったのか…中1のマラソン大会を終えて家に帰るときは本当に落ち込んでいた。
しかし、中2になると待ちに待った成長期がやってきて、太り気味だった体型が(162cm,54kg)という標準体型に変貌した。
もともと人並みにあった持久力が一気に伸びていき、体育のマラソン練習でも3kmを15分弱でゴールできるようになった。
中2のマラソン大会では、クラスの上位(6.4kmを34分ぐらい)でゴールした。
一気に20分も更新できたおかげで走る事が本当に好きになった。
中3では中2よりもスリムになった(165cm,55kg)。
馬術競技のパフォーマンスアップのために始めた体幹トレーニングの効果もあり、体育では3kmを14分で走れるようになった。
また、大会本番では中2の時より1分タイムを縮められた。
自分の成長がここまで明確に分かると楽しくなるもので、中3のマラソン大会が終わった直後からもう来年のマラソン大会のことを真剣に考えていたほどである。
中3の終わりになると、”自分には周りよりも高い持久力がある”という事をハッキリと自覚するようになった。
確かに瞬発系のスポーツは相変わらずダメダメだが、ランニングができるのならそれはそれでいいんじゃないか。
全部できる必要はないし、そんなパーフェクトな人間はいない。
幸いなことに当時の私は勉強が得意であり、270人いる学年で上位20位に入る成績を持っていたので、運動ができない事はあまり気にせず、得意な勉強とマラソンを頑張ればいいじゃないかと開き直ることにした。
こうして高校時代に入った。
高1になり、勉強の成績が急激に上がり始め、(だったら体育の成績もあげてやろうじゃないか)と火がついた
高1になると、今度は勉強の方で成長期がやってきた。
一気に多く・広くなった試験科目・範囲に対応すべく、授業中に一生懸命内職していたところ、なんとクラス1位&学年4位にまで成績がジャンプアップしたのである。
特に、数学や英語で学年1位を複数回とれた(帰国子女にも勝った!!)のは非常に嬉しく、この時期はやればやるほど点数が伸びていく無双モードだった。
私としては今まで通り対策していただけだが、周囲が私以上に対策に苦しんだおかげで私の学力が相対的にアップしたというのが躍進の理由だろう。
こうなると、体育の成績も上げたくなってしまう。
国語や理科という苦手科目で10がとれたのだから、体育も努力すれば9や10がとれるんじゃないだろうか?
さすがに球技の続く秋では好成績は見込めないが、得意なランニングの季節になれば可能性は無きにしも非ず。
体育劣等生挽回のチャンス、こんな機会を逃してなるものか!!
ということで、私は高1の元旦から自主的にランニングを始めた。
学校から帰ってすぐ、ベッドにリュックを投げ捨てて、学校の体操服に着替え、家からちょっと離れた神社まで走ってお参りしに行くのが放課後の恒例行事となった。
そこの神社の境内には勾配25%の急坂があり、急坂をヨイショ、ヨイショとゼーハー駆け上がることで、マラソン大会で好成績を残すのに必須の心肺機能と脚筋力が着実に養成されていった。
体幹トレーニングや橋ダッシュも並行して行ったことで、走るのがどんどん速くなったことを記憶している。
体育の授業では4kmを15分40秒で走ることができ、なんと一番早い奴らを集めたグループで大会本番はスタートする事になった(小学生の私に見せてやりたいぜ)。
マラソン大会は高校になると距離が2倍の12.4kmになり、コースの勾配もタフさも中学の時から格段にアップした。
しかし、自主的に練習したおかげでそんな難コースでも走り抜くことができた。
タイムはなんと57分40秒、1km平均で4分36秒という好タイム(自画自賛笑)であり、体育でも10をとることができた会心のレース運びだった。
高2になり、負けず嫌いに火が付いた
好きになったランニングのおかげで馬術競技にも良い影響が出始めた。
ランニングで養った体力や集中力のおかげで落馬する回数が激減したのである。
馬は動物であり、馬にまたがっている時にどんな気まぐれな行動をとるか分からないため、騎手は常に緊張状態を保つことで馬の挙動に臨機応変に対応する必要がある。
そんな難しい馬術というスポーツだが、今までよりも集中力が増した事で私の落馬回数が半減して、あざができたり捻挫したりするといった故障事故においてもケガのレベルが段違いに低くなったのであった。
こうなると、冬だけランニングをやるのはもったいない気がした。
ということで、私は馬術競技の体力養成のため、通年でランニングに勤しむことになった。
毎日走ると勉強するための体力が削られていくので1日おきに走っていたが、それでも走り込みの成果は目覚ましいものがあった。
全く体調を崩すことがなく、肌荒れもどんどん改善されていったので、走るデメリットを感じないほどランニングに夢中だった。
また、高2になって初めてスポーツショップへ行ってランニングシューズを購入した。
それが、アディダスのソーラーグライド(違ったかも)である。
スポーツショップへ行き、いろいろシューズを見て回ったところ、なんだか一つだけソールがフワフワなシューズ(Boostフォーム)があったので、物珍しさに惹かれて購入を決意したのだ。
家に帰って走ってみると、今まで履いて走っていたボロボロのスニーカーより遥かに楽に走ることができ、(ガチのランシューってこんなにすごいの?!)と本当に驚いた事を今でも覚えている。
そのシューズを履いて、私は一年中坂道ばかりを走っていた。
そして、待ちに待った体育のランニングがやってきた。
一回目の練習では、かなり余力を残して4kmを15分30秒で完走できた。
そして、最後から2回目の授業まで安定してそれぐらいのタイムで走り続けられた。
いよいよマラソン大会前最後の練習。
私はいつも通り15分30秒ぐらいでゴールしようと思って走り始めたが、いきなりすごい勢いで走り始めたテニス部のヤツが一人いた(Y君とする)。
その姿を見た私は急に負けず嫌い気に火が付いた。
こう考え、私はY君のすぐ後ろを追走する決意をした。
Y君はめちゃめちゃ速かった。
後に話を聞くと、彼はクラスでトップになろうと思って突っ込んだのだそうだ。
そんなY君の背中を必死に追いかけてゼーハーした。
3km通過、11分。今までの私からは考えられないハイペースだった。
最後の直線に入る寸前まで、私はY君に食らいついていた。
そして、ホームストレートに入った瞬間にギアを切り替え、ずっと引っ張ってくれていたY君を抜き去らせて頂いた。
ゴールタイムは14分40秒(3’40″/km)。クラスで一番のタイムだった。
自分でも14分台が出せるなんて思っても見なかったが、これはY君のおかげである事を特記しておかねばならない。(マジありがとう)
私の学校は高2がマラソン大会ラストイヤーだった。
だから、最後の大会に向け、今まで以上に自主練習した。
今まで一日1回しか上らなかった神社の激坂を2回、時には3回駆け上がったこともあったし、盤石の体を作るべく、体幹補強に加えてスクワットやランジウォークにも手を出した。
絶対に自己ベストを出して終えてやる…当時の私は勉強など二の次で、マラソン大会で好走する事だけを考えていた。
そのおかげもあってか、大会では自己ベストを3分更新して、12.4kmを54分20秒(4’20″/km)で走ることができた。
しかも、前半28分、後半26分という完璧なネガティブスプリットだった。(←自分で言うな)
市民ランナーである父から(絶対前半突っ込むなよ)とお達しを受けていたので、前半は本当に慎重に入り、後半の激坂区間を抜けて平地に入った瞬間にエンジン全開で運動部を何十人も抜き去ってやった。
筋肉痛が心地よかったのはこの時が初めてである…ここに、マラソンバカが誕生した。
こうしてマラソンバカは養成された
以上が学校のマラソン大会をめぐる私の激闘である。
一般的に、ランニングが嫌いになるのは学校のマラソン大会で”走らされた”ことが原因らしいが、私のように主体的に取り組めば、マラソン大会とはマラソン嫌いどころかマラソン好きを生み出す可能性を秘めたイベントなのである。
もしこれを読んだ帰宅部学生がいれば、マラソン大会で苦痛を和らげるにはどうしたらよいかと考える所から始めてみるとよいだろう。
別に速く走らないと殺されちゃうわけじゃないし、あれこれ考えるうちに楽しくなってくることもたまにあるので、ハナから拒絶するのではなく、ちょこっとだけでもいいからランニングに向き合ってあげると良いんじゃないかな?
以上です。