こんにちは!馬術競技からマラソンに転向した北大工学系大学院生ランナーのかめ (M2)です。2023年6月11日午前4時スタートのいわて銀河100kmマラソンでサブ9 (9時間切り)を狙っており、日々の練習内容を記事にまとめながら振り返ることにしています。
Contents
今週の練習計画
- 3/13 (月):オフ
- 3/14 (火):オフ
- 3/15 (水):オフ
- 3/16 (木):75分ジョグ
- 3/17 (金):75分ジョグ
- 3/18 (土):オフ
- 3/19 (日):120分ジョグ
今日の練習
75分ジョグ 4’58”/km
👟ペガサス39昨日と同じ練習で筋肉をチェック。今日も問題なかったので、次週からベース練習を80分にのばします。
明日はオフ。
明後日は2時間以上走ります。 pic.twitter.com/Qi1ziqG8Md— かめ@6/11いわて銀河100km (@hokudaineguse) March 16, 2023
昨日と同じく75分間、じっくり走り込みました。昨日より余裕を持って走ることができ、昨年末作れていた上半身主体のランニングフォームを少し取り戻せた感覚があります。今日と同じことをあと85kmできれば華のサブ9達成です。体幹や筋持久力を一層強化し、着地衝撃に負けない体づくりをやっていきたいところであります。
ペースを上げたくても我慢、もっと長い時間走りたくてもまた我慢。常に何かしら堪えながらの練習でした。ココで焦って強度を上げると途端に積み上げが止まります。ケガや不調、原因不明の関節痛などがぶり返してしまってランニングどころじゃなくなるのです。今は我慢ばかりで辛いけれども、この苦しさは岩手で9時間を切った時に全て報われると考えています。いや、そう信じなくてはやっていられませんので笑、石橋を叩き割るぐらい慎重に練習レベルを上げて高みに達したいと思っています。
当初の予定では3月最後の週末にキロ5で3時間走するのが目標でした。ただ、それは少々厳しそうだし(註:無理すれば可能です)、目標を下方修正せねばなりません。新しい目標は
- 3/25(土, 来週末)に2時間半走
- 4/2(日、再来週末)に2時間45分走
これら2つといたします。3時間走は4月下旬にでも達成できればいいですね(*≧∀≦*)
『帰宅部』に関するコラム
これまでの6記事ではドッヂボール部(小4)、囲碁・将棋部(小5)、化学班(中1)、そして馬術部(大1~大2)に関して書いてきました。過去に4つの部活で活動してきた訳ですが、そのどれにおいても複数年やったことがありません。一方で、今日の記事で書く『帰宅部』はなんと10年以上も属しています。私の人生と切っても切れぬ関係にある『帰宅部』について記してみたいと思います。
帰宅部に入ったのは小学6年生の時。小学校の部活が小5でおしまいになったので強制加入という形でした。どうもこの当時から”帰宅部に入った”という自覚があったようです。学校で午後になると『如何にして早く学校から帰るか』ということしか考えていなかったのですから。同級生からいじめられるのが本当に嫌で、一刻も早くこの空間から逃れたいと思っていました。帰宅部としての適性は最初からあったわけであります。
最終時限のチャイムが鳴る5分前から帰宅部の活動は始まります。家へ持ち帰る荷物をランドセルへ詰め込み、机の上の荷物もすぐ片付けられるよう適切な位置に配しておきます。チャイムが鳴ったら帰宅部がスタート。掃除係が教室を掃除できるように机を後ろにズズズッと下げ、ランドセルをしょって全速力で階段を駆け下りるのです。学校では階段の一段抜かしが何故か禁止されておりました。「だったら二段抜かしならOKでしょ?」と、生活指導の先生に捕まらぬよう爆速で駆け抜けていったものです笑。当時の私は相変わらずデブでしたが、小6にもなると体が上に大きくなり始めてちょっとずつ動ける体に。私と私の他に階段抜かしの速い連中2人をひっくるめて【階段三人衆】と呼ばれていました^ ^
学校から家への約2kmほどの道のりだって難なく走破できました。学校の前から出ているバスより早く帰宅するのを目標とし、小6の一年間はひたすら帰宅タイム短縮を目論んでいました。ここでの走り込みの成果が冬の校内マラソン大会でいかんなく発揮されたのです。スタートからダッシュし息切れする同級生をしり目に、序盤から終盤にかけてビルドアップする戦略をとって学年中位でゴールしました。私をデブ扱いしていた連中はこの大会でシュンとしてしまいました。大会で抜き去ってやった時の連中の唖然とした顔は忘れられません♪
中高一貫の中学に入り、登下校手段が徒歩から自転車に代わりました。帰宅部に入った中2以降、学校から家への道のりの最短経路を模索する毎日でした。色々な川の河川敷を走ったり本通の中心街を走ったりと色々な道を試したものです。最終的にルートが定まったのは高校2年生の秋。最初は道に迷いながら40分もかけて家に帰っていたにもかかわらず、帰宅を極めた高2にもなると半分の20分で変えられるようになっていました。
高1の時は『帰宅部のエース』を称するクラスメートと激烈な戦いを繰り広げました。流石、エースを自称するだけあって、彼はチャイムから自転車置き場までダッシュする動作に全く無駄がなかったんです。どうしても彼に勝って帰宅部のエースになりたかった私は、現エースの帰宅技術を見て真似ることに決めました。トップスピードまで如何に加速するか、バッグはどうやって持ち、どのようなフォームで走るのか…などなど、目の前の生きた教材から技術を吸い取れるだけ吸い取りました。また、家でやっていた乗馬用の体幹補強を帰宅部仕様にガラッと切り替え。徹底した努力が功を奏し、高1の秋には帰宅部のエースに自転車乗り場まで先着するまでになったのです。
大学2年生の6月に馬術部を退部し、今日まで続く三度目の帰宅部生活が始まりました。大学では高校と違い、皆がそれぞれ違う講義を受けるため、帰宅の腕を競い合える仲間が周囲に見当たらぬ寂しい状態。そこで今度は『如何に寄り道せず一直線に家へ帰るか』を自身のアイデンティティーと位置付けたのです。部活やサークルに所属していない以上、もはや勤勉性・実直性を鍛えるしか道はないと考えました。また、大学生になって自転車保険に加入し、(事故したらこんなに相手に迷惑がかかるんだ…)と戦慄させられました。今までは帰宅のスピードただ一点にのみこだわりを見せていたものの、保険加入以降は『毎日無事故で帰ること』を至上命題と掲げたのです。すると爆速で自転車を漕いでいた高校時代が途端に恐ろしくなりました。(よくあんなことできたなぁ、恐ろしいわぁ…)と背筋が凍ったものであります。
大学4年生の3月にススキノで路上駐車中、悪い奴に自転車をパンクさせられて以来、今日に至るまで自転車に乗らず歩いて登下校しています。ランニングと同様、ウォーキングもなかなか奥が深い。接地の仕方や肩甲骨の動かし方で足の繰り出し方が激変するのです。今は理想のウォーキングフォームを探して一歩一歩微調整しながら大学までトコトコ歩いています。ランニング後の大学へのウォーキング登校は足のストレッチに最適です。筋膜リリースより遥かに足の柔軟性を上げてくれ、ケガの抑止にかなり貢献してくれているように思います。
帰宅部に関するコラムはコレで以上となります。次の記事からは自分の『好きなモノ』について書いていきます。トップバッターは好きな食べ物・カレーに関する内容です。
日曜の練習予定
明日はオフ。明後日は120分以上のランニング。どこまで走るかは未定です。走行開始から2時間経過した時の余裕度で判断するつもりです。
コメントを残す