こんにちは。馬術競技からマラソンに転向した、マラソン自己ベスト2時間47分の北大理系大学院生のかめ (M2)です。
2022年12月18日スタートの沖縄100Kウルトラマラソンへ向けて練習しており、記事を書きながら日々の練習内容を振り返ることにしています。
今週の練習計画
- 12/12 (月) : オフ
- 12/13 (火) : 起伏走
- 12/14 (水) : 50分雪上ジョグ
- 12/15 (木) : オフ
- 12/16 (金) : 移動日
- 12/17 (土) : 前日受付
- 12/18 (日) : 沖縄100Kウルトラマラソン
あと77秒に泣きました( ノД`)
第5回沖縄100Kウルトラマラソン100kmの部に参加し、ネットタイム9時間1分17秒でフィニッシュしました。
あと77秒及ばなかった……
ほんの僅かな差に敗れ、憧れのサブ9を達成することができませんでした。
フィニッシュ直後に出てきた言葉は「あ~、悔しい!」という叫び声でした。
(100kmの中で77秒ぐらい、どうにか短縮できなかったのか?) と嘆かわしく思いました。
タイムを短縮できた要素を挙げ出せば、マジでキリがなくなってしまいます。
- エイドステーションでダラダラせずパパっと走り出せば各エイドで10秒ぐらい削り出せたはずですし
- 下り坂でもう少しだけ抑えず走っていればキロ5~10秒ほど短縮できたはずですし
- 大量の信号待ちを食らわない運気を備えていれば2~3分は早くフィニッシュできたと思うし
これ等を累計すれば9時間1分より5~10分ぐらい早くゴールできたかもしれないのです。
一方で、上記①~③はレース中の自分には不可欠な要素でした。
①のエイドに関しては、スポーツドリンクをゆっくり飲んで腹に落ち着けるため、各エイドで20~30秒程度の滞在時間がどうしても必要だったわけです。
②の下り坂に関しては、もしもっと下り坂でぶっ飛ばしていれば着地衝撃によるダメージによってレース中盤辺りで走れなくなり、9時間1分どころか10時間すら切れたかどうか怪しいです。
また③の信号待ちに関しては、75km以降は両足を痙攣させながら走っていたので信号の待ち時間で足をもみほぐすことができ、おかげで終始走り続けられたことが今回サブ9に肉薄できた大きな要因となりました。
冷静にレースを振り返ってみると、今回の沖縄100Kにおいて私は終始自分の思い通りに走れていました。
それでもサブ9できなかったのは、純粋に練習不足、力不足だったということです。
レース中に北から10m/sの冷たい風が吹き続けていたのは何の言い訳にもなりません。
今日のコンディションでもサブ9できた人が参加者全体に16人いるのですし、私がその16名に勝るとも劣らない力を有していれば、今日「サブ9できました(*≧∀≦*)」と嬉し気に報告していたはずです。
これだけウダウダ反省の弁を述べているにも関わらず、レースから3時間以上たった今、納得感と爽快感に満ち溢れています。
「あれだけ練習して上手く行かなかったのだから仕方がないわ」と、自身の負けを言い訳なしに潔く認められているのです。
この半年間、研究ほぼそっちのけでランニングにうちこみ、今日沖縄で9時間を切るためだけに全てをささげて頑張ってきました。
これ以上頑張れと言われても頑張れない。頭も体も使いつくした。それだけやって9時間切れなかったのだから、もう「仕方がない」としか言えないわけです。
また、自分で一つの目標を立てて日々練習し、自身最高の状態で沖縄100Kにアタックし、それで力負けして見事に跳ね返されて、なんだか清々しくてたまらないんです。
負けて気持ち良くなるなんて人生初の経験です。自分で言うのもアレなのですが、それだけ強い思いでサブ9に恋焦がれていたことの証明なのかなと思います。
見て下さいよ、この笑顔。めちゃめちゃ嬉しそうじゃありませんか?⇩
私ってこんな笑顔を作れるんですね笑。あと77秒に泣いたものの、悲しさを何百倍も上回る充実感を味わえたレースでした。
沖縄100Kウルトラマラソン2022
9時間1分17秒でゴールしました。目標のサブ9まであと77秒届かず、悔しい幕切れとなりました。でも、最後まで足を止めず走れたし、ラスト10kmからサブ9目指してフルスパートしてこの結果なので、納得感と爽快感に溢れた記憶に残るレースとなりました。 pic.twitter.com/QxeaDLlmh4
— かめ@冬眠中 (@hokudaineguse) December 18, 2022
レースのフィナーレのダイジェスト
レースの詳細は長くなるので明日以降にまとめてしたためますが、どうしても書きたい場面があるので今から書きます。
私のレースのクライマックスは、90kmからのラスト10kmでした。
90kmの通過タイムは8時間6分。残り10kmを54分以内で上がればめでたくサブ9達成となります。
普段キロ5でジョグしている私にとっては本来余裕なタイムなはず。
しかし、これまで90km走ったことで両肢が1kmごとに攣って満足に動かず、その状態で10kmを54分 (平均5’24″/km)で走れというのは無理難題だったのです。
時計をチラッと垣間見たとき、すぐ(無理やろ)と思っちゃいました。
そりゃそうです。いつ足が攣るか分からないのにこれからもう一度ペースを上げ、しかも北からの10m/sの風に立ち向かわなくちゃいけなかったのですから。
ここで幸運だったのは、まるで神様が「諦めるな、行け!」と後押しするが如く、残り10km過ぎから風向きが変わって急に強烈な追い風になったことです。
戦意喪失しかけた私に神風が吹き、
行くぞ、痙攣なんか知るか!
と心が燃え滾ってきたのです。
そこからフィニッシュまでフルスパートし、数百mごとに悶絶地獄を味わいました。
これまで痛くなかった左の前腿までピリピリ痙攣し始めて、まともに動かせる体のパーツが首と腕だけになったのです。
それでもどうしても諦めたくなかった。勝負はまだ決していないし、1%でも可能性があるならそこに懸けるべきだと考えました。
だから悶絶してはペースを緩め、治ってはペースを上げて再び悶絶いたしました。
時間の過ぎ行くのが遅いこと遅いこと。
5回悶絶しても1kmすら過ぎてくれず、(フィニッシュまであと何回この思いを味わえばいいんだ…)と辛くて仕方がなかったです。
この10kmで信号を2回ほど待ちましたが、おかげで足をマッサージする時間が確保できて痙攣を多少和らげました。
結果的にこの信号待ちが77秒の悲劇につながるものの、もし信号待ちがなければ全身が痙攣して前へ進めなくなっていたはずです。
ゴールまであと2.5kmの最終エイドを通過し海沿いに出ると、なんと風向きが逆転して向かい風になっちゃいました。
サブ9を達成するにはペースを落とすわけにはいきませんから、悶絶頻度が高まるのを覚悟で出力を全開まで上げました。
それからゴールまでに30回ほど痙攣しましたが、それでもサブ9への思いが勝って足を止めませんでした。
死闘の末にフィニッシュし、ランニングウォッチを見て、
と残念に思った次第であります。
結果的にサブ9には77秒届きませんでした。
けれども、ラスト10kmでサブ9へ向かって自身の持てる力を絞りだし、おかげでレース後に大きな充実感を味わうことができました。
あそこで諦めず歯を食いしばって戦い抜いて本当に良かったと思います。
フルスパートで77秒短縮できればもっと良かったとは思うけれど、今回のウルトラで”目標のため全身全霊を捧げる爽快感”を味わえたのは非常に大きな収穫です。
私、最近、研究室生活やその他の活動などで少しずつ”手を抜くこと”を覚え始めたんです。
- どうせ頑張ったって誰も見ていないから頑張る意味なんてないじゃないか
- コスパ良くパパっと済ませた方が楽だしカッコいいじゃないか
などと、我武者羅に頑張っても意味がない、カッコ悪いと思い始めていたんです。
しかし、今日サブ9に向かって本気で頑張ってみた結果、信じられないほど清々しくて気持ちの良い気分になれました。
『頑張る』ってやっぱいいものですね。死ぬ気で頑張らなきゃ見えない景色があるって今日ウルトラから教えてもらいました。
今夜と明日の予定
今夜は国際通りで念願の外食。
沖縄っぽいものをたっぷりと食べ、自分にご褒美を与えるつもりです。
明日は那覇から札幌へのロングフライト。
札幌は-5℃と寒いですから、寒暖差で体調を崩さぬよう気を付けたいと思います。
コレで2023年は走り納め。今年もよく走りました。
来年はさらに良い一年になることを願い、本記事を締めくくることにします。
P.S. 賞状をよく見てみると、年代別で2位入賞していました。
何か景品がもらえるのかな?もし札幌の下宿に景品が送られてきたら、ブログで紹介するつもりです。
P.S.のP.S. そういえば本記事は、”沖縄100K 2022への道のり”シリーズのちょうど77回目の記事でした。
7が2つ並んだ超ラッキーナンバーにレース前は吉兆を感じていたものの、まさか本番で77秒足らず目標未達となるなど思ってもみませんでした…
100kmお疲れ様でした!
50km折り返しのところで、かめさんと思われる人物を発見し、遠目から見ていました。
通過タイムは計画通りなのか、あわよくば稼ぎたかったのか?と疑問に思っていましたが、プラン通りだったのですね^^
(これだけ申しておいて人違いかもしれません…笑)
とにかくお疲れ様でした。
ゆっくりとお休みください^^
あきさんも今日はお疲れさまでした。
あきさんがレースを思い通りに走れたことを祈っています。ゆっくりとお休みください。
上下とも黒いウェアでかつロングタイツも装着し、手にユニクロのウルトラライドダウンを持っていたら完全に私だったと思います。
スタート前の整列時、あまりに寒くてダウンを着ていたのですが、うっかり荷物預け所に預けそびれ、仕方なく50km地点までダウンを腰に巻いて走っていたのです。
誕生日祝いなどコメントをたくさん頂けてすごく嬉しかったので、レースでもしお会いできれば直接御礼を言おうと考えておりました (お会いできる段取りを整えておけばよかったです…)
せめてコメント欄で言わせて下さい。コメントをたくさんして下さってありがとうございました。本当に嬉しかったです。
全身ブラックで、ロングタイツを着用していた方だったので、おそらくかめさんだったのかなと思います。(かめさんのペースで走る方で、ロングタイツを着用する方って稀ですよね。)
50km走っているにも関わらず、余裕があるように見えたので、凄いなぁと思いました。
こちらこそ、毎回ご返信いただきありがとうございました。マラソンに対する熱量は違うにしても(わたしは呑気に走っているので 。笑)、歳の近いかめさんとメッセージのやりとりができ楽しかったです。ありがとうございました。
かめさん、100kmお疲れ様でした!
道中の前半でご一緒させて頂き、大学や仕事の話をしたヒデオです。赤のノースリーブに短パン履いてました。
目標達成に向けて真摯に取り組んできた姿をこのブログで拝見して、さすがだなーと感心しました。私は後半に2回ロストして6km多めに走り大撃沈でしたが、寒さも激坂も今となっては良い思い出です。
札幌には仕事で定期的に伺う機会があるので、またご一緒出来ると嬉しいです 今年はサロマ、道マラに出ようと考えています。
ひでおさん、コメントありがとうございます。
ひでおさんも100kmお疲れさまでした。
道中では色々とお話を聞かせて下さりありがとうございました。このたび外資系企業の方と初めてお話したのですが、ひでおさんとお話してみて(外資で働くのも面白いかもしれないなぁ)と考えるようになりました。
また、長い間同じペースで走らせていただいたおかげですごく良いリズムを作れました。
コースロストなさったのですね… でも無事ゴールなさったようで安心しました^^
またどこかでお会いしましょう!
来年、私もサロマへの出走を考えているので、その時にまた一緒に走れたら大変嬉しく思います。