私は札幌に住む現役理系大学院生である。
先日、博士課程へ進学する決意を固めた最初の理由を文章にした。
この記事ではその続編として、博士進学する2つ目の理由について書き綴っていこうと思う。
博士になる思いの丈を文章で最大限表現してみたので、博士課程進学を迷っている人、ならびに私のブログのファンの方はぜひ最後までご覧頂きたいと思っている。
それではさっそく始めよう。
Contents
競争に打ち勝とうとするのでなく、目の前の競争から逃げ続けてきた。自信がないだけでなく、自身の限界を垣間見るのが怖くて怖くて仕方がなかった



これまで恥ずかしい人生を送ってきた。
絶えず目の前の競争から逃げてきて、自分が勝てそうな時だけ戦ってきた。
私がこうなったのは高2の夏に孫氏の兵法を読んだ影響だと考えられるが、確かに大学受験 (北大総合理系次席合格)やブログ運営 (月間23,000PV)などでコスパ良くそれなりの成果を出せたと思う。
しかし、特に一浪時の大学受験では京大農学部A判定&冊子掲載ながら、不合格になるのが怖くて直前で京大から逃げてしまい、北大入学後に (自分はなんて情けない人間なんだ…)と散々後悔するハメになったのである。
正直に書く。私は(自分が競争に勝てる)とどうしても思えなかったのである。
学校で5年間 (小4~中2)、苛烈ないじめに遭っていた影響で劣等感が体に染みついており、”どうせ自分なんて何をやってもダメなんだ”と自身に自信が持てなかったのだ。
中三次に馬術競技で国体優勝し、その症状は幾分和らいだように思う。
しかし、根本の問題は未解決で、今日に至るまで根性を叩き直し切れていない。
なぜ競争から逃げ続けるのか?
しばらく考えてみた所、”自信がない”以外の理由がありそうに思えた。
だったらそれは何なのか?
もっと突っ込んで考えてみると、ひょっとして自分の限界を知るのが怖いのではないか?と自分へ問いかけるに至ったのである。
何かの競争に打ち勝とうと思えば限界まで能力を高めなくてはならないが、そこまで自分を追い込んだ時、自分に何ができて何ができないのかを知ってしまうに違いない。
その結果、”ボクは何者にでもなれるんだ!”という幼少期の夢想が完全に崩れてしまうため、「自分は本気を出したら何だってできる」と言い訳ができるよう、限界まで追い込むことからこれまで無意識に逃げてきたように思えて仕方がなくなったのである。
もし限界を知ってしまえば、今後、自分は限界という枠の中で窮屈に生きていかねばならないだろう。
- 限界を知って身の程に合った生活をしていくか?
- 限界を知らず自分の可能性を信じ続けて生きるか?
この2つの選択肢を前にして、過去の私は絶えず②の道を進み続けてきたわけである。
どこかで”逃げる自分”と対決しなきゃ、一生身の丈に合った幸せを掴めないはず



私は限界を知らずに生きる人生を否定しようなどとは全く考えてもいないのである。
ここで特記したいのは、②の選択肢を選び続けても一切幸せになれなかったことだ。
“ここで我慢すれば未来につながる!”と妥協に妥協を重ねた結果、幸せを未来へ先送りし続けて今日に至る惨状である。
(じゃあこのまま妥協し続ければ未来がバラ色なのか?)と考えてみても、そのような明るい未来が待っているとは到底考えられないのだ。
私が犯した最大のミスは、身の丈に合った幸せで満足せずに今日まで生きてきたことである。
逃げ続けてきたせいで(自分はこんなもんじゃないんだぞ…!)と心が反骨心で埋め尽くされ、身の丈に合った幸せを前にしても(自分はここで満足しちゃダメなんだ)と好機をパスしてきたのである。
私が幸せになろうと思ったら、自分の身の丈を知り、尚且つそこに落ち着いた自分を認めてあげなくてはならないと思う。
ただ、今の私は身の丈を知ることすら嫌がっている現状だから、どこかのタイミングで過去の自分と決着をつけなくてはならないのである。
博士課程へ行く理由その2:海外のトップスクールへ長期留学し、限界の境地で自分なりの幸せを見つけてみたいと思ったから



博士課程へ行く2つ目の理由は、海外のトップスクールに1年間留学し、自身の限界を見てみたいからだ。
最初は海外でなく、東大や京大のトップ研究室へ行くことを考えていたが、自身の専門と近い研究をしている研究室が日本にはないため、今より上の環境を求めて海外へ行こうと考えたのだ。
“海外の大学”とは具体的に、University of Oxfordを指している。
我が指導教員の指導教員がOxfordの先生と仲良しで、そのコネを使って世界一位の大学へ行けることになった。
周囲が自分より賢くて頭の切れる人ばかりならばたくさん痛い思いをするだろうし、特に言語面や議論の難度面で今までにない無力感を味わうだはずだ。
日本に留まっていた方が居心地が良いに決まっているが、それだと我が天狗の鼻が伸びていく一方だと思ったので、頭が柔らかいうちに海外に出て、限界の境地で自分なりの幸せを見つけてみたいと強烈に思ったわけである。
なお、海外留学の原資はDC1(研究奨励金月20万円+研究費年額100万円)を予定している。
もしDC1に落ちたらフェローシップ(月15万円+研究費年額40万円+海外渡航費補助)+JASSOの無利子奨学金(月12万円)+RAの給料(月5万円程度)で食いつなぐつもりであり、少なくともお金の面では困らない算段が既にできている状態である。
日本を遠く・長期間離れることで、日本の素晴らしさを再確認したい



これまで日本で生きてきて、“日本は本当に良い国だ”と感じてきた。
- 風光明媚な美しい自然
- 夜でも出歩ける安全な街
- 安くておいしいツヤツヤのごはん
など、私は日本が本当に大好きである。
旅行関係の国家資格取得に向け勉強をすると、私の知らなかった日本の魅力が次々と見つかり大変驚かされることとなった。
一方で、”日本の真の魅力は日本にいては分からない”とも直観的に分かっている。
私自身、地元・広島を遠く離れて札幌に住んでようやく広島の魅力に気付いた経験があるから、もっと日本を好きになるには一度日本から思い切り離れてみなくてはならないと思っている。
東京とロンドンは9600km近くの距離らしく、広島-札幌間の8倍離れているため、単純計算で8倍もの日本の魅力に気づかされる見込みである。
折角イギリスへ行くのだから、イギリスの良さも存分に味わいたい。
英文学を好む影響でイギリスの文化に憧れがあり、イギリスへ行ったらハリーポッターのロケ地巡りやシェイクスピアの舞台観賞をやってみたいと考えている。
最後に
私が博士課程へ進学する2つ目の理由は、イギリス留学をして限界に挑戦し、極限の境地で身の丈に合った幸せを見つけるためである。
三つ目の理由は”人生哲学を築き上げたいから”なのだが、それについては次の記事にて書き連ねていこうと思っている。
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