【人生論】Giver(与える人)とTaker (もらう人)について、TakerからGiverになった現役大学院生が話します

私は札幌に住む現役理系大学院生である。

大学の研究室メンバーとの雑談で、自分はGiver (与える人)/Taker (もらう人)どちらなのか、人生論を語り合う機会があった。

そこでの話をネタとして、この記事では、私のGiver-Taker変遷について書いていく。

前置きはこの程度にして、さっそく本編に入っていこう。

生誕~高2の8月:やってもらうことだけを考える生粋のTakerだった

私は大変わがままなお子ちゃまだった。

何か意にそぐわぬことがあればすぐ駄々をこねて親に当たってきたし、裕福な家庭に生まれたおかげで自分の望んだものはたいてい手に入れられた。

小学・中学受験共に第一志望校に滑って落ち込みはしたものの、それ以外の点ではほぼ自分の思い通りになってきた。

加えて、私は一人っ子だったため、親からの愛情を一身に受け、温室でぬくぬく・すくすくと育ってきた。

そう、私は生まれてこの方、生粋のTakerとして過ごしてきたのだ。

何か人のためにやってあげようなどとは一度たりとも考えはせず、”人からやってもらえて当たり前”と、受け身の気質が染みついていた。

 

では私は怠け者だったか?決してそのような事はなかったと思う。

中三の時に出場が決まった国体の馬術競技では”全国優勝”という目標を掲げて命懸けで練習し、そこで優勝してから高3の秋までは連覇や二度目の優勝目指して自分なりに闘ってきた。

このように、私は自分のためならなりふり構わず頑張れる。

一方で、人のために何かしようと一切思わず、Taker、換言すると自分に与えまくるGiverしてこの世の中で鎮座してきたのである。

要するに、自分以外の人間にほとんど興味がなかったということ。

そもそも関心がないから(何かをあげたい・助けたい)という気にもならないし、与えられる人のメンタリティーしか育たなかったというわけである。

心を拗らせた要因の一つとして、小4~中2の間に受けていたいじめが挙げられる。

太り気味の体型を揶揄され続けた結果、(どうせ私のことを理解してくれる人なんてこの世に一人もいないのだろう)と自分の殻に閉じこもってしまったのだが、とはいえこの歳で一人で生きていくなど不可能だから、人から何かを与えてもらうTakerという生き方を選択せざるを得なかったのではないか?

 

高2の8月~現在:初恋が私をGiverに変えた

自分の性格が劇的に変化したのは高校2年次の夏のこと。

乗馬クラブで一生懸命練習をしていたら超可愛い乗馬ガール(A子としよう)から告白され、それを契機にTakerからGiverへと大変身したのである。

Giverになれた理由は3つある。

  1. 私のことを好きになってくれたA子にプレゼントやサプライズなどで喜ばせてあげたいと思ったから。とにかく笑顔が可愛くて、ずっと見ていたいと思ったから
  2. あまりにA子が可愛くて、彼女から何かを搾り取ろうという思考に至らなかったから
  3. A子より私が1つ年上であり、年上の人間が年下から搾取するなどみっともないと感じたから

これらがGiverになれた理由である。

彼女ができたおかげでA子に何かしてあげたいマインドが無意識のうちに養成された。

そして、目論見通りA子に喜んでもらえると(もっと喜んでもらいたい)と考え、Giverへの階段を一直線に三段抜かしで駆け上っていったのである。

巷では「恋は盲目」と言われているが、盲目になったおかげで私は過去の私と決別することが可能となった。

特にここでの恋は初恋のため、私に作用した力は並大抵のものではなく、圧倒的な熱量によってTaker→Giver反応(反応①)進行に必要な活性化エネルギーを軽々と超え、その勢いでもって反応①が不可逆反応となったのである。

A子とのアレコレについてはこの夏に短編小説として記すつもりだ。あの爽やかな日々を文章にしたため、感慨に耽りつつ未来を切り開く気力を養っていきたい。

 

ただ生きるだけなら絶対にTakerの方が楽。だけど私はGiverを選ぶ

私はA子と別れた後もGiverとして日々を過ごしている。

なぜなら、恋愛で”人に何かを与える喜び”や”人から喜んでもらえる快感”をたっぷりと味わい、Giverとして生きる素晴らしさを全身で体感したからである。

もしただ生きるだけならTakerの方が間違いなく楽。

人に何かを与えるのはそれなりに労力を要するし、与えても何も返してもらえないことの方が圧倒的に多いから、Giverをしていると

  • 自分はいったい何をしているのか?
  • こんなことやっても無駄なんじゃないか?

と虚しさがどんどん募っていき、たくさん辛い思いをしてしまうのである。

しかし、私はそれでもGiverとして生きる

Takerだらけの世の中では社会のバランスが壊れてしまうので、私自らが礎となり、この狂った社会をどうにか正常な方向に軌道修正したいと考えている。

私一人の影響力などたかが知れており、せいぜい周囲10~20人程度にしかGiveすることができないであろう。

それでも、何もやらないよりかはやった方が遥かにマシだと思うため、これからも私は見返り度外視でGiveし続け、私に関わる人全てに幸せになってもらうことを目標とする。

 

Giverはどうも、

  1. 自己犠牲型:自分を犠牲にし、みんなの幸福のため貢献する
  2. 他者志向型:みんなを幸せにしつつ、おこぼれにあずかる形で自分も幸せになる

この2種類に区分されるらしい。

Takerに搾取されてしまうのは①のタイプで、②タイプはTakerと接触するとGiveするのをストップさせられる人種のようだ。

前述のように、私は100%自己犠牲型に属しており、自分の幸せを後回しにしてでも他人に幸せになってもらいたいと願っている。

けれども、それだと他人のため生きているにすぎず、やがて生きがいを感じられなくなってくるだろうから、②タイプのGiverを目指し、少しずつ自分が幸せになれる生き方を探していく必要性をヒシヒシと感じる今日この頃である。

 

最後に

私のTaker → Giver変遷と今後の生き方に関しては以上となる。

まとめると、

  • 高2の8月までは生粋のTaker。やってもらうことだけを考えるわがままボーイだった
  • 初恋が私をGiverにした。彼女を何としてでも喜ばせるべく、性格が劇的に変化した
  • 漫然と生きるだけなら絶対にTakerの方が楽。でも人を幸せにすることが好きなのでGiverとして生きる

このような形になる。

一説によると、Giverには成功に最も近い人と最も遠い人の両方が該当しているみたいである。

両者を区分するのは自己利益への関心の高さとの事だから、私ももう少し与える相手を選び、自分とコミュニティー双方の利益となるように立ち回っていきたいと考えている。

 

以上です。

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