私は札幌に住む現役理系大学院生である。
B4~M1に出した研究成果をもとに論文を作成し、インパクトファクター(IF)42の学術雑誌へM1の1月末に論文を投稿した。
この記事と次の記事では、超一流雑誌への掲載を目指した悪戦苦闘についてありのままを記していく。
論文投稿を控えている大学院生の方にピッタリな内容なので、ぜひ最後までご覧いただきたいと考えている。
それでは早速始めよう。
Contents
B4後期~M1前期:実験が楽しくて楽しくて仕方がなかった



研究室に配属され、講義からようやく解放された。
せっかく理系学部に入ったのにほとんど実験をする機会がなく、(あぁ、ホンマつまらないわ…)とイライラばかりが募っていた。
たまっていた鬱憤を晴らすため、毎日ひたすら実験に励んだ。
私が大学に入った本来の目的は自らの手で真理を明らかにする喜びを得たかったからであり、実験をして何かデータが得られたとき、(まだ世界の誰も知らないことを自分だけが知っているんだ)と思うとウキウキして夜も寝られなくなった。
私の場合、卒論の段階から実験テーマを自分で決めるように指導されていた。
「指導」というよりは指導教員(M先生)の戦略的放置であり、早いうちから私に自立心を養ってもらいたかったのだと解釈している。
もしかしたらただ単に、M先生が私に実験テーマを与えるのが面倒だっただけかもしれない(笑)。
しかし、いずれにしても、研究室生活初年度から自分のやりたいようにのびのびと実験させてもらっていたので、そうした環境を与えてくれたM先生には感謝しなくてはならないと考えている。
私の実験熱は修士課程に入っても決して冷めはしなかった。
衰えるどころかむしろどんどん熱くなり、体力が限界を迎えてまぶたがぴくぴく震え出しても



と麻薬中毒者の如く実験(クスリ?)を手放さなかった。
私は実験をやっていると気持ち良くなってくるというかなり特殊な性癖を有している。
ランナーがマラソンを走るときに感じる快楽としてランナーズハイなるものがあるのだが、実験を超長時間やり続けても同様の快感を同程度得られるから、快楽を味わいたいがため、私はますます実験や研究にのめりこんでいったのである。
もし実験を誰かからやらされていたのであれば、おそらくここまで没入することはなかっただろう。
私はあくまで自分の意志で研究を進めており、その原動力は“誰よりも早く真理を明らかにしたい!”という純粋な知的好奇心だったのである。
膨大な量のデータを整理してM先生に見せたとき、私がいつの間にかすごい発見をしていたことをハッと気付かされてしまった。
共同研究先の研究機構の先生とも研究成果についてディスカッションし、そこから私はIF40以上の世界最高峰の雑誌掲載を目指して論文を書き始めていったのであった。
M1の8月~1月:論文作成。論文完成まで半年を要す
図表作成・配列検討



前期の中間報告を終え、いよいよ論文を書き始めた。
まずは図表を作成することにしたのだが、その数があまりにも多く、あやうく卒倒してしまいそうになったのである。
私が属するリチウム電池コミュニティーでは、一つの論文に10~15個程度の図表が掲載されているのが一般的。
対して、私がこのたび作成しようとしている論文は
- 図 (本編) : 21個
- 表 (本編) : 2個
- 図 (Support) : 18個
- 動画 (Support) : 5個
と合計46個ものアイテムから成り立っており、それらを学術雑誌の規定通りに作成するだけでも大変困難な道程であった。
…正直、図表を作るだけでいいならまだ楽勝なのである。
図表を整えた私に待っていたのは、自分の主張を最も効果的に伝えるためにそれらのアイテムをどう配列するかを自分の頭で考える作業であった。
46の階乗という組み合わせから最適解を探すため、まず図表を印刷し、一枚ずつハサミでくりぬき、物理的に並べ替えられるようにした。
そして、「あーでもない, こーでもない」とうなり続け、並べ替えて順番を模索し続け、2週間かけてついに納得のいく配列を編み出した。
本文作成



図表に関するアレコレを終え、本文の作成に着手した。
まずは定石通り結論を作り、主張したい軸を確固たるものにしておいた。
結論を最後に作った場合、論文におけるアピールポイントがブレてしまう可能性があるため、先に結論を作っておき、論文の着地点を明確にした。
次に本編を作成した。
考察や英語表現方法などで頻繁に手間取りはしたものの、基本的には
- 図表から読み取れること
- 考察 (独自論の展開)
- 先行研究と比べてどうなのか
この順番に書いていくだけなので、図表の並べ替えと違ってそれほど苦労しなかった印象である。
コレはもしかしたら私が日々ブログを書いているおかげかもしれない。
ブログは書き方が執筆者の裁量に100%委ねられているのに対し、科学論文は書き方がほぼ決まっているため、書きやすさといった点では論文作成の方が何倍も楽だったように感じている。
とはいえ、ブログと違い、論文中では議論を厳密かつ慎重に進めていく必要がある。
特にIF40以上の超一流雑誌へ投稿するなら一層神経質に論理の展開を行わねばならないし、もしかしたら私の研究をキッカケに新たな学問分野が花開く可能性だってあるわけだから、その原点たる論文に間違いがあってはならないというわけである。
本編作成後、ラスボスの要旨 (アブストラクト)や導入 (イントロダクション) 作成に取り掛かった。
この論文を作るにあたり、最も大変だったのがこれらの作成だったように感じている。
というのも、論文と雑誌の編集者(Editor)や査読者(Reviewer)との出会いはまずアブストから始まるし、アブストやイントロで (つまらない論文だなぁ)と思われた場合、その後の本編に目を通してもらえずに不受理(Reject)となってしまうからである。
たかがアブスト、されどアブストという事で、論文を受理(Accept)してもらえるよう、読む人の好奇心を掻き立てるような文章作成を心掛けた。
自分なりにアブストを完成させてM先生に見せてみると、「もう一度書き直してみよっか^^」と笑顔で無慈悲に死刑を宣告された。
どうやら、私の書いたアブストは一般的な論文としては適しているが、最高峰の雑誌に載る論文としてはあまりにざっくりと(漠然と)書きすぎているらしかった。
M先生からは
- 自分の研究例の新規性について、もっと明確に打ち出すこと
- その論文が何を提言し、科学コミュニティーをどう変えるものなのかアピールすること
これらを始め、様々なアドバイスを頂戴した。
書いては突き返され、また書いてはやり直しさせられを繰り返し、イントロだけで1か月ほどかけて及第点の文章が出来上がった。
論文校正→投稿!



完成した論文を雑誌会社のテンプレートに挿入し、英文を校正会社に送って校正をかけた。
純ジャパの私が書いた英文など英語ネイティヴからすれば噴飯ものなはずだから、ネイティヴに校正してもらってそれなりに自然な表現に直してから論文を雑誌会社に送ることにした。
校正をかけるメリットは他にもある。
校正会社の発行してくれる校正済み証明書のおかげで、“英語が下手くそだから”という理由でEditorやReviewerからRejectされなくなるのである。
確かに校正料は超高い(私の論文は20万かかった!!)のだが、英語表現でRejectされにくくなる点はかなりのプラス要素に違いない。
論文執筆者がアジア人の場合はネイティヴから舐められがちな傾向にあるため、お金を払って論文ドーピング(?)を実行し、万全の態勢を整えたのち論文を「えいやっ!」と投稿した。
M1の2月初旬:”論文が査読に回った”との連絡を受けた



指導教員曰く、Natureを始めとするIF40以上の雑誌では、投稿された論文の90~95%が査読に回される前にEditorによってRejectされるらしい。
査読には時間がどうしてもかかるから、EditorはReviewerの手間を考えて投稿論文全部を査読に回すわけにはいかないのである。
それに、投稿者としても一刻も早く論文を世に出したいと考えているので、Accept/Rejectの判断をなるべく早くして欲しいのだ。
その両方の願いを叶えるため、Editorがまず論文を読み、(コレはなんか凄そうな論文だから査読に回してみよう)と思った論文のみ査読に回る仕組みとなっている。
そんな高いEditorの壁だが、なんと私の論文はEditorの壁を突破してしまったらしいのである!
(査読されたら儲けもの)程度に考え、面白半分でIF42の雑誌に出してみたら、もしかしたら載るかもしれないという所までステージを進行させることができてしまった。
もしこの論文がアクセプトされたら、私は博士課程卒業後、直ちに大学で助教になることができる。
国立研究開発法人のテニュア職(任期なし)に就くことも可能であり、無限に広がる可能性を想うと微笑みが止まらなくなってしまった。
後編に続く…
IFつきの論文、すごいですね!
その勢いで彼女はできそうですか?
natsukiさん、またまたコメントありがとうございます。
論文投稿の結末については2日後の記事をご覧ください。
この雑誌にもし載っていれば、今ごろ学長賞を貰えたりプレスリリースを出したり凄いことになっていたのですが…(これ以上書くとネタバレになるのでやめておきます)
彼女についてはもう諦めました。
今後は世の中の全カップルが幸せになれるよう、未来を明るく照らす基礎研究に自分の全精力を注ぎ込む所存です。