起床~試験開始



試験当日、スマホにセットした目覚ましが鳴る前にスッと目が覚めた。
少し目をこすってホテルに備え付けられていたデジタル式時計を見ると、時計はなんと4時44分44秒を指していた。
4の羅列が目に入った時、私はあやうく「えっ?!」と悲鳴を上げてしまいそうになった。
- コレは試験の出来を暗示しているのか?
- もしかして自分は落ちるのか?
不吉な数字を前にして、私は恐怖で動けなくなってしまった。
しかしよく考えると、”4″はシアワセの4とも捉えられる。
そこで、



と、自分をどうにかなだめすかした。
起床早々に爆上がりした心拍数が少しずつ下がり、私は徐々に落ち着きを取り戻していった。
寝汗ならぬ”起き汗”をかいた私はシャワーを浴びて穢れを落とし、(何を弱気になってんだ。これまでたくさん頑張ってきたじゃないか!)と無理やり自分を奮い立たせた。
ホテルの朝食会場に行ってみると、そこでは受験生と見受けられる頭の良さそうな人たちが食べ物を無表情で食べていた。
彼ら/彼女らの発するオーラにあわや跳ね返されそうになったものの、そこをどうにか踏ん張り、バイキング形式の朝食会場へと歩みを進めた。
このあと酷使する頭のため、私は糖質補給最優先で食べ物をチョイスした。
普段なら大喜びでムシャムシャと食べていたであろう好物も、その日だけは緊張と重圧で全く味を感じなかった。
無理やり食べ物を体内へと流し込み、出発準備を整えてホテルの部屋を後にした。
その後、前日のシミュレーション通りJR奈良線で東福寺まで行き、そこで京阪電車に乗り換え、出町柳駅まで乗車した。
出町柳で下車し、京大北部キャンパスまで歩いて行った。
(一直線にキャンパスまで行くのも興ざめだなぁ)と感じ、試験2日前に内見・合格前予約をした物件の前を通る事に決めた。
物件にたどり着いたのは良いものの、その周囲をぐるぐると廻っているうち、いつの間にか迷子になってしまった。
手持ちのiPhone5のナビアプリを起動し、京大までの道のりを案内してもらい、九死に一生を得た形である。
京大構内に入った時、農学部棟前には既に大勢の受験生が試験会場前に集結していた。
農学部棟前では、学生寮の方と見受けられる方が入寮希望者を募集していた。
私も少し気になったので配布物(ビラ)を受け取りに行こうと思って近づこうとしたものの、寮生の方の発する圧倒的な異臭にたちまち跳ね返されてしまった。
もともと京大の吉田寮に憧れて京大を目指した私だったが、寮生の臭さは思わず幻滅してしまうほど強烈であった。
試験会場がオープンとなり、階段を昇って試験教室へと入室した。
座席は教室の一番後ろと分かり、後ろに人がいたら集中できなくなる私としては最高の席順を引き当てた格好である。
ただ、同じ長机の左隣には、中高一貫男子校に通っていた私と最も縁遠い存在である”女子高生”が鎮座していた。
(やばい, 女子がいたら気が散って集中できなくなるやん…笑)と、謎のアレルギー反応を懸念したほどであった。
ひと教科目の国語に備え、持参した京大英語25か年にパラパラと目を通した。
そして、頭を国語処理モードに切り替え、試験開始のゴングを待った。
ひと教科目:国語



実を申せば、私は京大国語が大の得意なのである。
模試では100点満点中50点以上をキープしており、偏差値は60を切ったことが一度もなかった。
”難しい文章を読み、文字数の指定されていない長方形の記述欄をひたすら埋める”というのが京大国語のあらましだが、時間に追われずゆっくり考えられるこの形式が私に本当にピッタリだった。
試験直前に臍下丹田を意識して深呼吸し、「それでは始めて下さい」の合図を聞き、ゆっくりと問題冊子のページをめくり上げた。
試験中は自分でも驚くほど集中できた。
周囲の物音が全く聞こえず、問題文とじっくりと対話しながら記述欄にみっちり答えを書けた。
その年は問題が簡単だったのか、試験終了15分前には全ての記述を終えられていた。
書き間違いが無いかなど念入りに見直しをし、余った時間は問題冊子中の挿絵に落書きをして過ごしていた。
試験終了の合図を聞き、(まぁ、この調子なら受かるでしょう^^)と笑みを浮かべ、私はペンを手から離した。
思っていたより緊張せず、京大の問題との相性の良さを再確認する国語であった。
昼休み



午後の数学に備え、昼休みに燃料補給することにした。
“試験教室で食べても良い”とのアナウンスがあったが、ピリピリとした雰囲気の中で食事を摂るのがどうも気が進まなかった。
そこで、京大北部キャンパスを歩きながら、のんびりとご飯を食べることにした。
良い手ごたえを得られた試験の後だからコンビニで買った食事すらもおいしく感じられ、体力がすぐに満タンまで回復していくのをハッキリと感じ取れた。
立ち食い散歩を終え、冷えた手指を温めに試験教室へと戻った。
そして、持参してきた京大数学25か年をパラパラと見て、国語から数学モードへと思考回路を切り替えた。
私の場合、京大二次試験において数学が一番の鬼門だと考えていた。
というのも、京大模試ではいつも偏差値50前後であり、手応えと結果がまったく一致しない教科だったのである。
河合塾の全統模試では常に偏差値70以上であり、数学はむしろ得意科目だと思っていた。
しかし、誘導問題がない京大形式の数学となると点数を取れず、京大数学で点を取る方法を終始模索する毎日だった。
得意でもあり苦手でもある数学で掲げた目標は、200点中100点以上、つまり5割の点数を死守する事であった。
2完2半、いや1完4半でもいいから、(絶対に100点以上取ってやるぞ!)と気合を入れ、試験開始の合図を聞いた。
ふた教科目:数学



問題冊子をめくった瞬間、私の中で不思議な出来事が発生した。
というのも、あまりに気合を入れ過ぎて頭がパニックになり、目の前の問題文の意味をよく呑み込めず、開始3分ぐらいフリーズ状態となってしまったのである。
もしかしたら過呼吸となっていたかもしれないが、試験真っ最中の私には、自分の身に何が起きているのかちょっとよく分からなかった。
(このまま問題文を見続けていてもパニック状態からは脱せない)と本能で察し、冊子と目を閉じ、2分ぐらい深呼吸を繰り返す事で、ようやく冷静さが戻ってきた。
私に心配の声をかけてくれた試験官に「大丈夫です」と返事したのも、落ち着く一つの材料となったであろう。
試験開始5分後、ようやく私の数学試験がスタートした。
震える右手を左手で支え、解けそうな問題から解いていった。
しかし、明らかな計算間違えを連発し、全ての問題において自身の導き出した解答に自信を持てなかった。
それに加え、(方針だけでも立てて部分点を狙おう)と思ったのに、私の正常ではない頭では方針を考えることすらままならなかった。
まるで後ろから呪いをかけられているみたいに何もかもが上手く行かず、書いては消して、書いては消して…を繰り返しているうちに数学の試験が終了してしまった。
手応えは皆無、何も思い出したくないほどであった。
もし参考書を持ち込んでOKだったとしてもほぼ同様の出来だっただろうし、完全なる実力不足だったと言わざるを得まい。
ホテル帰還~就寝



心身ボロボロになりつつ農学部棟を後にすると、北部キャンパスのすぐ外で代ゼミの方が解答速報を配布していた。
そんなものを見なくたって不出来なのは分かっていたから、「解答速報で~す♪」と差し出されるビラをスラロームの要領で回避して通った。
ただ、私のすぐ後ろにいた受験生は速報を受け取って開いてみたようで、
- よっしゃ!オレ3完2半!
- ダメだ~、オレは2完2半やったわ~
と、周りへ散々アピールしていた。
私も冗談で「やった, 4完やわ!」とこれ見よがしに言おうかと思ったのだが、自分の品位を損なうだけだし、ウソをついてまでする意味を見出せなかったので、叫びたいのをグッと堪えて出町柳駅のホームへと足早に向かった。
京阪とJRに揺られている間、窓ガラス越しに虚空を見つめるより他なかった。
疲れていたのもあったけれど、翌日の英語と理科で挽回できないほどの圧倒的ディスアドバンテージを背負い、(明日はどんなモチベーションで戦いに行けば良いんだ…)と途方に暮れる帰り道だった。
また、今まで強気だった私の脳裏を
A判定だったのに落ちるかもしれない…
という言葉がよぎっていった。
起床直後に見た4時44分44秒といい、数学の試験中に襲われたパニックといい、京大からやんわりと「ぶぶ漬けでもどうどすか?」みたいな感じで拒絶されているように思えてきた。
私は中三から京大だけを想い続け、ここまで一直線に向かってきた。
しかし、どうやら私の一方的な片想いだったようであり、フラれたショックで倒れそうになってしまった。
ホテルに帰って夕食を摂り、浴室にお湯をためてザブンと浸かった。
クソッ!クソッ!と平手で何度も水面を叩き、悲しさと悔しさを痛みで昇華させた。
あまりの手応えの無さにとうとう吹っ切れてしまい、「どうせ負けるなら一矢報いて果ててやる…!」と激しく闘争心が湧きたってきた。
体を拭いて服を着て、限りなく低い合格への可能性を信じつつ、長い長い一日を締めくくったのであった。
試験二日目に続く…