【呼称】私が自分のことを”オレ”ではなく”ぼく”と呼ぶ実利的な4つの理由

私は札幌に住む現役理系大学院生である。

生まれてこの方、自分のことを「ぼく」と呼んできた。

この記事では、私が自分の呼称を”オレ”ではなく”ぼく”としている4つの理由について解説していく。

呼称に興味のある方にピッタリな内容だと思うので、ぜひ最後までご覧いただきたいと思っている。

 

それではさっそく始めよう。

私が自分のことを”ぼく”と呼ぶ4つの理由

親がオレオレ詐欺に引っかかるのを抑止するため

私が自分を「ぼく」と呼ぶ最初の理由は、親がオレオレ詐欺に引っかかるリスクを極力下げたいがためである。

普段から家族相手に”ぼく”と使用していれば、詐欺師が「もしもし、オレだよ、オレ!」と電話をかけてきてもすぐ違和感を覚えられると思ったのである。

私には30歳年上の母親がおり、専業主婦として日々家に鎮座している。

母親曰く、こうした詐欺まがいの電話はよくかかって来るらしく、私が普段から”ぼく”と呼んでいるおかげで今まで詐欺に引っかかった経験がないらしい。

 

オレオレ詐欺を抑止するにあたり、”電話がかかってきたらまず疑う”などといった頭を使う方策は無意味である。

なぜなら、電話で会話中はどうしても思考活動が疎かになりがちであるため、相手の勢いに負けてしまった場合、ついつい相手を自分の子供だと信じ込んでしまうためである。

その点、普段から呼称を”ぼく”としていれば、肌感覚レベルで(アレっ?おかしいぞ…)と気づけるのである。

私は親が年を取った時にオレオレ詐欺に引っかかるリスクを小学生のころから懸念しており、小さいなりに色々と考えた結果、いついかなる時でも自分を”ぼく”と呼び、完全無欠のオレオレ詐欺バリアを構築していたというわけである。

そのうち、オレオレ詐欺ならぬ”ぼくぼく詐欺”なるものが流行りだすかもしれない。その時はその時でまた何かしら対策を考えておく。

 

目上の人と話す時、自身の呼称に注意する煩わしさを省くため

私が自分を”ぼく”と呼ぶ2つ目の理由は、相手の立場に応じて”オレ”とか”ぼく”とか呼称を変える煩わしさを一切省きたかったがためである。

日本において、自分より目上の人に対しては”オレ”ではなく”ぼく”と呼ぶのが慣例であり、2種類以上の呼称を持つ人はその場に応じて器用に使い分ける必要がある。

万が一呼称を間違えてしまった時、もしかしたらその場に気まずい雰囲気が形成されたり相手との関係がギクシャクしてしまったりする可能性がある。

私はとんでもなく面倒臭がりであるため、呼称に注意する手間すら省きたいと思ったから、今までずっと”ぼく”で通してきたのである。

”ぼく”と”オレ”を無意識に使い分けられる人なら、複数の呼称を持つのに何の問題もないだろう。

私はそこまで器用ではなく、時々自分の名前すら忘れてしまうほど抜けた所があるので、誰に対しても自分を”ぼく”と呼び、呼称に関してミスのないよう立ち回ってきた。

 

自分を”オレ”と呼べるほどには自分に自信がないから

私が自分を”ぼく”と呼ぶ3つ目の理由は、自分を”オレ”と呼べるまでには自分自身に自信を持てていないからである。

私の感覚として、”オレ”という言葉にはすごく大きなパワーを感じるため、自分の口から「オレ」と発した瞬間、その”オレ”という言葉に押し倒されそうになってしまうのである。

もし自分自身に自信があれば、きっと”オレ”などといった2文字に力負けなどしないのであろう。

しかし、私はどうしてもまだ自分の過去の過ちを許容したり欠点を受け入れたりする事ができておらず、自分を根底から支えてくれる自信が育ち切っていないため、自分を”オレ”と呼べず今に至るのである。

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おそらく、私の感覚が異常なのだと思う。

自分の呼称として”オレ”を用いる大多数の人間が必ずしも超自信家であるとは限らないし、昔から自分を「オレ」と呼んできたから無意識に今でもそう呼んでいるだけなのだろう。

でも、普段のコミュニケーション内で自分を自然と”オレ”と呼べるなら、少なくとも自分が嫌いだとか受け入れられないだとかそうした自己嫌悪感はあまり抱かないのではないだろうか?

私は今まで自分の思い描いた通りに生きられなかったのでそんな自分が嫌いであり、自分を「オレ」と呼べる人を羨ましく思う次第である。

 

周囲と自身の差別化を図るため

私が自分を”ぼく”と呼ぶ4つ目の理由は、人と違う呼称を用い、周囲と自分を容易に差別化するためである。

私は昔から(人と違う人間でありたい)と考えており、そのポリシーがいつの間にか呼称にまで影響を及ぼした形である。

私の感覚として、同じ立場の人を相手にする場合、自分を「オレ」と呼ぶ人と「ぼく」と呼ぶ人の割合は約8:2~9:1ぐらいだと感じている。

したがって、自分を”ぼく”と呼ぶだけで、特別な才能などなくとも少数派になれるのである。

 

私は昔から、その他大勢に埋もれてしまうのを極端に嫌悪・忌避していた。

小学校入学から大学卒業までずっと帰宅部を貫き通したのも、周りと一緒の事をしていたら代替可能な人材で終わってしまうと直感したからである。

多数派として生きていけば、人生の岐路で迷わずとも済むので楽な人生なのだろうと思う。

しかし、それだと自分じゃなくてもできる事を延々とし続ける羽目になり、いつかは自身のアイデンティティーを喪失してしまい、死ぬ寸前で絶対に後悔してしまうだろうなと考えていた。

今後、テクノロジーの進化とともにAIに仕事が代替されていき、人と違った個性を持っているのが重要な社会が到来するだろう。今思うと、”自分を「ぼく」と呼ぶ”と決めたその瞬間から、将来のAI時代に備えた個性の先鋭化が始まっていたのだなぁと感じている。

 

最後に

私が自分を”オレ”ではなく”ぼく”と呼ぶ理由は以上4つである。

まとめると、

  1. 親がオレオレ詐欺に引っかかるリスクを下げるため。普段から”ぼく”と呼んでいれば、「オレだよオレ」と電話がかかってきてもおかしいと気付ける。
  2. 自分の呼称を使い分ける煩わしさを省くため。目上の人と話すときに間違える危険性を排除している。
  3. 自分を”オレ”と呼べるほどには自分に自信を持てていないから。「オレ」と呼べる人がうらやましい…
  4. 周囲と自分の差別化を図るため。AI時代到来への備えとして。

このような形になる。

私はかなり特殊な感覚を持っているため、大多数の人間にとってはどうでもいい些細な事でも気になって仕方がなくなってしまう。

今後、私の変な感覚について色々と書いていこうと思っているので、興味のある方はまたこのサイトへ訪れて頂きたいと考えている。

 

以上です。

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