私は札幌に住む現役理系大学院のM1である。
考えに考えた末、修士課程卒業後、ストレートで博士課程へ進学する決意を固めた。
この記事では、私が博士課程に行く3つの理由について解説する。
私と同じく博士課程進学を検討している大学院生にピッタリな記事だと思うので、是非最後までご覧頂きたいと持っている。
それでは早速始めよう。
Contents
私が博士課程に行く3つの理由
作業が研究に変わった瞬間のゾクゾク感に感動・興奮し、もっと刺激を味わいたいと思ったから



私はM2の先輩(Mさん)から実験を引き継いで今に至る。
MさんはIF10以上の雑誌の表紙を飾る英語論文を書いたり某・トップ外資コンサルに就職したりと大変優秀なお方であった。
Mさんはあまりに凄すぎて、私の研究分野で論文を出版する”型”のようなものを築き上げてしまわれた。
型通りにやればたくさん論文を作成できるし、やるべき事が決まっているので研究に関する不安は皆無。だから、私も最初は






とほくそ笑んでおり、今後の順風満帆な研究ライフを想像するとニヤニヤが止まらなくなっていた。
しかし、そんな私も徐々に実験がつまらなく感じられてきた。
というのも、研究が完全にルーチンワーク化し、研究というより”作業”をしているように思えてきたのである。
私が今やっていることは私じゃなくてもできるだろうし、実験遂行に思考力が不要なため理系大学院生としての成熟すら危ぶまれる事態だった。
- このままM2が終わるまで同じ実験をやり続けるのだろうか…
- 私が時間を費やし行っている実験に何か意義はあるのだろうか…
博士課程進学云々以前に、この研究テーマで修士課程を完走するのですら辞めておいた方が良いんじゃないかと思っていたほどである。
そうしてモヤモヤを抱えながら実験していたある時、私は従来の常識では考えられない奇妙な現象を偶然発見した。
最初は






と冷や汗をかいたものの、どうも装置は通常通り稼働していたらしい。
目前に広がっていたのは壊れた装置ではなく、私の知的好奇心を強烈に刺激してくれるミステリアスな未解明現象なのであった!
(まだ世界のだれもこの現象に気が付いていないんだ…)と思うだけで脳内へドーパミンがナイアガラの滝の如く噴き出してきたし、(この現象を解明すれば次世代電池の実現が一気に近づくな…)と想うと鬱憤だらけだった胸中が急に軽くなったように感じられた。
新現象の解明を目標とした途端、私の研究は真の意味で「研究」となった。
体力をエネルギー源とする作業から、興味を動力源とする冒険へと昇華・相変態したのである。
今まで研究を”無味乾燥なルーチンワーク”と捉えていたが、実際には人類の未知なるフロンティアを己の足で開拓していく超魅力的なアクティビティーなのであった。
この魅力を味わい尽くすには修士課程2年間だけでは全く足らない…そこで私はもっと強い刺激を求め、博士課程進学を志したのである。
17年間学校生活を送ってきてようやく尊敬できる先生と出会え、この人の元でもう少し勉強したいと思ったから



私は今まで、小・中・高・浪・大と計17年間学校生活を送ってきた。
そして、残念ながら(この人みたいになりたいな…)と憧れる先生とは巡り合えなかった。
特に小・中時代はいじめられているのを見ても事なかれ主義で見て見ぬふりをされたし、基本的に先生と私は(私の心の中では)敵対関係にあったのだ。
大人になっても先生になりたいとは到底思えず、(先生なんてこの世からいなくなればいいのに…)と思った回数は千手観音の手をお借りしても数えきれないほどである。
これだけ”アンチ・先生”だった私は、大学4年次からの研究室生活を前に暗澹たる思いだった。












先生という存在を極端に嫌っていた私は、研究の事よりも人間関係について心配していた。
しかし、いざ私の”先生”と話してみると、目の前に鎮座していた指導教員は今まで私が抱いていた先生像とは全く異なる人物であった。
- 学生の意見を頭ごなしに否定するのではなく、私の最後まで話を聞いてくれた上で理性的に議論してくれたし
- 権威を振りかざすことなく、研究に関してはあくまでも対等な立場で一緒に問題を解決しようとしてくれたし
初めて指導教員とお話しした時、私はまるで宇宙人と接しているような感覚であった。
いざ研究室での生活が始まると、私の”先生”に対する心配は全くもって杞憂だと分かった。
あまりに指導教員と話すのが楽しすぎて、何の用事もないのに指導教員の部屋へ遊びに行って散々笑い話をしたものである。
生徒との距離が近すぎるのもまた問題なのだが、ウチの指導教員はそこの所のバランス感覚も長けている。
学校生活17年目にしてようやく、(こんな人みたいになりたいな)と思える先生と出会えたのである。
私は現在M1であるため、もし修士課程卒業後に企業就職するならあと1年半しか今の先生と一緒に過ごせない事になる。
16年間の苦闘の末、ようやく尊敬・崇拝できる先生と出会えたのに、そんな面白い先生と過ごせる期間がたった1年半というのはあまりに短すぎると考えた。
私が博士課程へ進学するのは、今の指導教員と過ごせる時間をもう少しだけ欲しているからだ。
就職までのモラトリアムとしてではなく、先生の元で人間的に成長するためドクターコースに行こうと思う。
自分の努力の証を”博士号”という学位にて証明し、博士就職の土俵に立ちたいから



自慢ではないが、私は学部4年次の3月に英語論文を1st autherとして投稿・アクセプトされた。
現在は2本目の論文を完成させ、まもなく雑誌に投稿する所である。
”ルーチンワーク”のおかげで3本目の論文の題材もほぼ揃っており、学振DC1の申請書を書き終え次第、3本目の論文も作り始められるだろう。
このように、私は他の修士学生とは違って一生懸命論文を書いているし、私の努力は修士号の範疇には収まり切らずはみ出てしまうだろうと考えている。
もし修士号と博士号の間の資格、いわば”準博士号”のようなものがあればそれでも良かったのである。
英検には一級と二級の間に準一級があるが、学位には準○○というものは存在しない。
したがって、修士号で満足しなければ博士号を手に入れるしかない。
博士号を取得して修士卒業者との差別化を図り、「自分は世界に通用する成果を残せる人間なんだぞ」と内外に証明したのち社会に出たい…コレが私の本心である。
私が修士卒業後に就職した場合、研究もせず遊んでばかりいた修士の連中と書面上は同じ経歴となってしまう。
また、私は割と口下手な方なので、就活の面接時にうまく機転を利かせられず、陽キャでコミュ強のチャラ男に大差で負けてしまうと予想される。
私がアピールしたいのは、
- 乗馬やランニングなど、物事を長期間継続する力
- 研究実績や研究に対する姿勢
この2つなのである。
①に関しては修士就職でも評価してもらえるだろうが、修士の就職市場はポテンシャル採用なので②に関してはほぼ評価されないだろう。
己の強みを活かせる土俵に立つため、修士就職より博士就職を選ぶに至ったのである。
私の指導教員がまだ学生だった10, 20年前なら、博士取得者の一般企業への就職状況は芳しくなかったようだ。
しかし、現在は状況が随分と改善されており、特に私の所属する工学系では希望者はほぼ確実に就職できているようである。
正直、就職できない心配はしなくて良いんじゃないかと思っている。
自由応募で落とされても学校推薦カードを切ればどこかにはひっかかるだろうし、将来に対してはある程度楽観視して博士課程へ進学する。
最後に
私が博士課程へ進学する理由は以上3つである。
まとめると
- ルーチンワークだった作業が研究に変わったから。未解明現象に一歩ずつ迫るこのスリルをもっと味わいたいし、修士の2年間だけじゃ全然足らない!
- 学校生活を17年間送ってきてようやく尊敬できる先生と出会えたから。この先生の元でもう少し勉強し、人間性と専門性を磨きたい!
- 自分の努力量は修士号の範疇には収まりきらない。己の力を証明するため、博士号を取得する。
以上3つが理由となる。
博士課程を心穏やかに過ごすには学振DC1の取得が大きなカギを握る。
今後はDC1取得に向けて申請書作りに励んでいきたい。
以上です。これからも頑張ります。