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【世界文学の最高傑作】トルストイの戦争と平和を24日かけて読んだ感想

私は札幌に住む現役理系大学院生である。

夏休みにやるべき事の一つとして、トルストイの戦争と平和の読了を掲げた。

この記事では、戦争と平和を読み終えた感想をいくつか記していく。

当記事は本の内容のレビューというより読み終えた直後に浮かんできた感想を記したものなので、ネタバレなどに関しては一切心配せずにご覧いただけるだろう。

 

それでは早速始めよう。

トルストイの戦争と平和を読み終えた感想

読み終えるのが惜しいほどストーリーに引き込まれた

第4巻のエピローグを読み終えて本を閉じた直後に放った一言は、

かめ
あ~、終わってしまったのか…

というモノだった。

読み始める前は(こんな分厚い本を読み切れるのか…?)と不安に思っていたものの、いざ読み始めてみるとグイグイ話に引き込まれていったのである。

2,800ページもある本を読者に飽きさせず読ませるトルストイはだなと感じられた。

登場人物が559人もいるので、正直言って主要な登場人物3名(アンドレイ公爵、ナターシャ、ピエール)の話を追うので精一杯だったが、それでも壮大な叙事詩として十分楽しむことができ、(夏休みにこの本を読む!と決意して本当に良かったな)と思う次第である。

戦争と平和を楽しく読むには、19世紀初頭におけるヨーロッパ・ロシア情勢の知識が多少必要である。私はトルストイ作の「アンナ・カレーニナ」という本をたまたま事前に読んでいて、”当時のロシアってこんな感じだったんだ”と何となく知っていたため、今回読んだ戦争と平和のストーリーをスッと受け入れることができた。

 

あ~、やっと違う本を読める…

確かに、戦争と平和は読み終えるのが惜しいと感じるほど面白かった。

しかし、文章量が多すぎるがあまり読んでいる途中で疲労がたまり、(早く読み終えてもっとライトな本を読みたいよ…!)と強烈に感じていたのもまた事実である。

私は普段、どんなに分厚くても400ページぐらいまでの小説や歴史書しか読まず、600ページ以上ある本を4冊連続で読み続けるのは今回が初めてであった。

そのため、

  • まだか、まだ終わらないのか!
  • 全力で読み進めて一日100ページしか進まないってどういう事やねん…

絶望感を感じつつ、(ここで諦めたらもう二度と完読するチャンスは来ないぞ!)と自分を必死に奮い立たせてどうにか読み切ったのである。

戦争と平和の読了直後に”他の本を読みたい!!”という禁断症状が顕現しため200ページほどの薄いハウツー本を開いたのだが、あっさり1時間ほどで読み終えられてしまったのには本当にびっくり仰天であった。戦争と平和を読み切れば頭を使い続けるので読書力が格段に上がり、現代人向けに書かれた本がどれだけ親切に設計されているかを身に染みて感じられる。

 

個人的にはアンナよりナターシャの方が好み

トルストイの傑作小説には、戦争と平和以外にもアンナ・カレーニナという本がある。

アンナ・カレーニナの「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」という書き出しは有名であるから、この作品をご存知の方も多いかもしれない。

”アンナ・カレーニナ”にはアンナ・カレーニナというヒロインが登場する(紛らわしくて申し訳ない)。

そして、

  • 戦争と平和のヒロイン:ナターシャ
  • アンナ・カレーニナのヒロイン:アンナ

この両者を比較すると、私にとってはナターシャの方が好きだなぁと感じられた。

 

というのも、ナターシャの気持ちや振舞いは男性の私でもかろうじて理解できるのである。

一方で、アンナの言動はハッキリ言って

かめ
え…?なんでそんな事考えるの…?

と理解に苦しむ場面が多かった。

もし女性と付き合える幸運に恵まれたならば、私の交際相手には,アンナが見せてくれる自由奔放性・感受性よりもナターシャのような落ち着きと知的な美しさを求めたい。

アンナみたいな友達が私の所属している研究室にいてくれたら絶対に楽しいだろうなとは思うものの、ナターシャみたいな女の人が隣にいてもらえた方が安心と幸福と満足感を味わえるはずだ。

 

絶対にまた読みたい・読まねばならない作品

私は過去に、ここまでスケールの大きな作品を読んだ経験がない。

また、この戦争と平和を読み終えた瞬間、自分の家の本棚に並んでいる他の全ての小説がすごくちっぽけなものに見えてきた。

サマーセット=モームの言う通り、これぞ世界で最も偉大な作品である。

まだ内容を1割程度しか咀嚼できていないので必ずまた読まねばならないし、この叙事詩に身を任せる快感を味わうべく繰り返し繰り返し再読したい。

 

ドストエフスキーよりトルストイの方が好き。

ロシアの文豪といえば、トルストイとドストエフスキーがすぐ頭に思い浮かぶ。

私が思う両者の作風は以下の通り⇩

  • ドストエフスキー:とにかく人の内面を掘って掘って掘り下げまくる内向的なタイプ
  • トルストイ:内面よりも出来事や様子を淡々と描写する割と外向的なタイプ

このように、両文豪のスタイルは正反対といっても過言ではないほど異なっている。

個人的には、ドストエフスキーよりもトルストイの方が好きである。

ドストエフスキーの本は面白さよりも憂鬱な気分が上回ってしまう一方、トルストイの本は読んでいて心が病まず、登場人物に対して素直に感情移入できるのである。

 

今後読書の幅を広げていくためには、ドストエフスキーの毒をも飲む必要がある。

トルストイの清貧な作品ばかり読んでいては人生の真理にはたどり着けず、ドストエフスキーの混沌とした世界にも身を置き

  • 生きるとは、死ぬとは何か?
  • 神はいるのか?

などといった哲学的な問題にも頭を悩ませる必要がある。

私が海外文学を読んでいるのは、日本にいては味わえない海外ならではの思想をストーリー形式で味わいたいからである。

好きな作家の本ばかり読むのは楽なのだが、それだと考えが凝り固まる可能性があるので、ロシア文学の場合はトルストイ以外にもドストエフスキーを敢えて手に取り、うんうん唸りながら読み進めて様々な世界を味わいたいと思っている。

実は、大学3年次に新潮文庫のカラマーゾフを読もうとした事がある。しかし、第二巻の序盤で力尽きてしまい、それ以来どうしても読む気になれず放置してしまっていた。

戦争と平和を読み終えた今なら、もしかしたらカラマーゾフを読了できるかもしれない。ドストエフスキーの神髄はカラマーゾフに濃縮されていると思うので、今度時間を見つけて久々にカラマーゾフを読んでみようと考えている。

 

最後に

戦争と平和を読み終えた感想は以上である。

次はトルストイの復活を読んでみようと企んでおり、読了したら今回のように感想を記すつもりである。

 

以上です。