私の半生(青春とどん底の高校・浪人時代)

高一

高校に入ると教科数が激増し、授業中に乗馬の事を空想していたらあっという間に置いていかれそうな状況になった。

中学までなら五教科を薄っぺらく勉強していればそこそこ点数を確保できたものの、高校に入ると勉強すべき科目の数が倍になったので薄っぺらく勉強するのですら困難だった。

そこで、乗馬に割いていたエネルギーの一部を勉強に割くことにした。

学校の勉強は迫り来る大学受験に多少は役立つだろうと思ったし、乗馬とは違い一生懸命勉強すれば必ず成績がついてきたので、(ここで思い切り勉強に打ち込んでみるのも悪い選択肢ではない)と感じ、学校での授業中には内職ばかりせず先生の話を聞くようになった。

 

その甲斐あって、高一では英語や数学でほぼ毎回学年一位を獲得できた

総合成績もついにひと桁台へ突入し、最高順位は4位/280まで上昇した。

倫理や地理といった社会科目のせいで主席を獲る事は叶わなかったものの、中一の時に学年250位だったことを考えれば毛沢東も顔負けの大躍進である。

勉強でも上手く行き、乗馬でも上手く行く…そこまで世の中は甘くなかった。

 

勉強にリソースの幾ばくかを割いた影響で、乗馬の練習が疎かになってしまった。

また、前年に全国優勝したことで少々うぬぼれてしまい、師匠の見えない所で練習に手抜きをしてしまうようになった。

その結果、国体自体はなんとか5位入賞をもぎ取れたけれども、前年度に優勝したことを考えれば非常に寂しい結果で閉幕した。

  • 練習量の不足
  • 勝利への執念
  • イメージトレーニングの欠如

色々な要素が複雑に絡み合って、私の国体連覇は塵と化した。

【自己分析】10年間の乗馬経験が私に教えてくれたこと

2021-06-18

 

高二

国体での敗因は自分でもよく分かっていた。

だから、高二では高一時代の倍以上の練習量を自らに課し、学校では授業を聞き流しつつ乗馬の事だけを考え、少しでも早く上達できる方法を必死に模索していった。

当然ながら学校での成績は下落していったが、どうしてももう一度表彰台の最上段からの景色を見たくてなりふり構わずやれることをやった。

猛烈な練習のおかげでようやくパートナーの馬と一体になる事ができ、低迷傾向にあった馬術成績は一気に復調・上昇した。

 

そうして練習を頑張っていると、乗馬クラブで彼女ができた。

1.5年以上前から好きだった女の子が、なんと向こうから告白してきてくれたのである。

小学時代から女性と全く縁のなかった私にとっては天地開闢以来の衝撃だった。

女子恐怖症を克服させてくれた彼女に感謝の意を表するとともに、甘い青春を提供してくれた事に対して深く深くお礼申し上げたい。

かめ
ホンマ、ありがとう

 

”今度こそ絶対優勝してやる”、そう決意して臨んだ長崎国体。

来年受験生になるため、高二の今年が実質最後の国体挑戦になる予定だった。

豊富な練習量と8年間の乗馬経験のおかげで好成績にはかなり自信があったのだが、残念ながら全国の壁は私の思っていたより何倍も高かった。

優勝はおろかメダルすら貰えず、結局6位,6位,7位としょぼい順位で終わってしまった。

 

  • 一生懸命練習したのだから仕方がない。
  • もう十分やり切った。悔いはない。

こう割り切れたらどれほど楽だっただろうか。

爽やかな気分で長崎を後にしたかったのに、私の胸の中は悔しさとやるせなさと再チャレンジの思いで溢れんばかりになっていた。

私はもう一度でいいから国体で思い通りの走行をしたかった。

このまま終わると一生後悔するんじゃないかと考えたので、親に頼み込んで最後の挑戦を許してもらった。

 

高三

高三になると学校は一気に受験モードへ変貌した。

私の志望校は京都大学であったから、周りの数倍努力を積み重ねる必要があった。

高一から京大対策をやっていたので多少のアドバンテージはあったものの、頭と体の半分を乗馬に捧げていたので学業成績の伸びは芳しくなかった。

5月の駿台全国模試でE判定を取るなど合格の道筋すら立たない日々が続いた中、志望校も妥協したくなかったので京大志望は頑なに変えず必死に毎日勉強した。

 

高二までは土日に乗馬クラブへ通って修行していた。

しかし、高三になると土日も勉強しなくちゃ間に合わない状況になってきたため、週末は午前に乗馬へ通い、午後から家で勉強というスタイルを確立した。

そこで問題となったのが、乗馬の練習量が不足してしまうという点である。

今までなら午前と午後に練習できていたのが半分になってしまい、今までなら当たり前に出来ていた馬の操作が少しずつ鈍ったり精度が落ちたりして目に見えて技量が低下してしまったのであった。

 

「だったら一つ一つの練習を二倍集中して取り組めばいいじゃないか」、そう思われるかもしれない。

ただ、乗馬というスポーツはそこが難しい所で、最低限の練習量がなければ一瞬でレベルが落ちてしまうし、自転車とは違って一度出来るようになったことでもあっという間に出来なくなってしまいうるのである。

こうなる事は分かっていたし、高二よりも悪い国体成績で終わってしまう可能性だって十二分に考えられた。

だけれども、どうしても諦めきれず、高三を逃すともう二度とチャンスはないので、受験も国体も両方破滅するリスクを背負い、私は高三の10月に全国大会出場という勝負に打って出たのであった。

 

国体直後から成績をブーストさせられるよう、夏休みは本気で京大合格に向けて勉強した。

連日8時間以上は集中して勉強し、その甲斐あって他の強化と比較して遅れ気味だった理科の対策が少しずつ追いついてきた。

また、夏の京大実践模試(京大吉田キャンパス開催)では農学部地域環境工学科B判定をもぎ取った。

自分の勉強方針が間違っていなかったと知れて安心したし、(このまま勉強し続ければ京大生になれるかも)と考えるとウキウキが止まらなくなった。

 

勉強の方は好調だったが、肝心の国体は散々な結果だった。

今まで一度も国体で失権(競技中に走行権利を失うこと)した経験がなかったのに失権してしまってゴールにすらたどり着けなかった上、3年間継続していた個人種目入賞もついに途絶えさせるなど本当に酷い有様だった。

かろうじて団体種目で入賞できたので手ぶらで帰らずに済んだけれども、(自分は何をやっていたのだろうか…)と今まで積み重ねてきていた自信が木っ端みじんに砕け散った。

国体からの帰り路は泣く気力もないほどの放心状態だった。

 

国体で負った悔しさは受験で晴らすしかなかった。

だから国体終了翌日からは京大受験だけにエネルギーを注ぎ、何としてでも合格を勝ち取ってやろうと必死にペンを走らせた。

直前まで競技に挑んでいたおかげで集中力だけは一人前だった。

毎日毎日(明日が受験だ)と思って必要な知識をどんどん頭に詰め込んでいき、そうした勉強のおかげで秋の京大実践模試は農学部資源生物科学科A判定だった。

 

私の悪い所は、良い成果が出たら途端に油断してしまう点である。

国体優勝の翌年に失敗した経験から学ぶべきだったのに、またしても油断してしまって勉強のペースが鈍化してしまったのだ。

一番勉強しなくてはならない高三の12月に手を抜いてしまい、センター試験対策をあまりやらなかった私に待っていたのはセンター大・撃・沈という神様からのささやかな贈り物だった。

ここでようやく私は気づいた、(あっ、ヤバイかも)って。

 

再度尻に火をつけラストスパートしようとしたのだが、どうしてもなかなか勉強に集中できなかった。

運よく京大A判定を取ってしまったせいで、心のどこかで(もう勉強しなくても大丈夫だろう)と隙ができてしまっていたのである。

さすがに2月からは危機感が出てきて過去問なり問題集なりを手あたり次第に解いたものの、ラストスパートに出遅れたせいでやるべき事を積み上げきれずに本番を迎えてしまった。

  • 数学での大問2問分の計算ミス
  • 理科での時間配分ミス
  • 英語での自由英作文への対応力不足

これらが原因で私は京大農学部の入学試験に落第した。

【自己分析】私はなにゆえ京大農学部に不合格となったのか

2021-05-25

 

2016年3月9日、私が京大に落ちて浪人が決まった日、外は大粒の雨が降っていた。

普段ならば外出すらためらわれるレベルの大雨だったが、茫然自失の私にとっては雨だろうが雷だろうが気にならなかった。

傘も差さずに高校へ行き、「不合格になりました」と担任に告げ、踵を返して家に帰り、そのまま風邪をひいてベッドに寝込んだ。

こんなバカ息子で申し訳ない…私の心には罪悪感がひしめいていた。

 

浪人

浪人生に聞いてみれば、100人中10000人が「浪人は辛い」と答えるだろう。

私自身もその10,000人のうちの一人だが、「じゃあ具体的に何が辛いのか?」と聞かれると、以下の3つがその答えになる。

  1. (もう後がない)という絶望感・焦燥感
  2. 親に余計なお金を払わせてしまっている”という罪悪感
  3. 自分はまだ何者でもない…という無力感

私の経験上、世間の目には意外とすぐに慣れるが、上記3つは受験で合格するまで続くのである。

絶望感と罪悪感と無力感に一年中悩まされるため、浪人生は一年間であっという間に老けていく。

【大学受験】浪人を絶対におすすめしない3つの理由を浪人経験者が語ります

2021-02-01

 

私はHSP(Highly Sensitive Person)という人より何倍も敏感な気質を持つ。

だから、大多数の人からすればほんのささいな出来事かもしれないけれども、自分にとっては集中力をかき乱される大惨事になりうる。

  • 隣で鼻水をすすられたらいかなる状況でも思考が停止してどうしようもなくなるし
  • 模試の成績が悪くてめちゃくちゃ落ち込んでいる学友を見かけると当人以上にへこんで勉強が手につかなくなるし

これほど受験に向いていない人間はいない!と自認するほど、私は致命的に受験に不向きなタイプだった。

しかし、親に浪人させてもらったからには何としてでも合格しなくてはならないので、毎日ストレスで胃に穴が開きそうになったり文字通り血を吐いたりしながら息絶え絶えに毎日勉強ノルマを達成していった。

 

浪人の夏までは京大志望だった。

そして、夏に京大オープン模試を受験し、農学部資源生物科学科A判定(冊子掲載)を達成した瞬間、私の中で緊張の糸が切れてしまった。

京大を目指して勉強する気力が湧いてこなくなり、生きる元気すら失われそうになってしまったため、9月からは絶対に合格できる大学を目指し、心機一転して受験へ挑む事にした。

選択肢としては①九州大学と②東北大学と③北海道大学の3つがあったが、その中でキャンパスと入試制度(総合理系)に惹かれた北海道大学を第一志望校へと据えた。

 

京大から北大にランクを落としたおかげで私の心は一気に軽くなった。

京大なら試験問題の性質上A判定でもボロボロ落ちてしまう一方で、北大の問題は非常に素直なので余程のハプニングさえ無ければ合格を計算できるのである。

事実、10月に行われた北大オープン模試では特に北大対策をしなくても総合理系3位だった。

(これだけ余裕ならもう一度京大を目指してみてもいいかもしれない)という欲が出てくるとともに、(いやいや、そんな事をしたらまた勉強が手につかなくなって北大すら危うくなっちゃうかもしれないぞ)という自制心が働いていた。

 

現役時代にやらなかったセンター対策をガッツリ行い、更には私立の滑り止め大学にまで出願して万全の態勢を整えた。

その結果、現役時代と比較してセンターの成績が2.5%ほど良化したし、私大で受験の練習をやったおかげで北大での入試はほとんど緊張しなかった。

特に、北大入試では全科目30分以上余らせて解答を終える会心の出来だった。

ひと教科目の数学を終えた段階で勝利を確信するほどの手応えがあった。

 

結果はもちろん合格だった。

PCの画面をスクロールして出てきた私の受験番号は今でも目に焼き付いている。

私の半生(波瀾万丈の大学時代)

2021-09-06

【北大】総合理系のQ&A|内部生が語る

2020-09-18

ABOUTこの記事をかいた人

馬術競技からマラソンに転向した北大工学院のM1|国体馬術競技優勝&8回入賞|10000m36’33”|マラソン2°47’50”|100kmレース10°19’17”|英検準一級|TOEIC785点|ラン歴5年|乗馬歴10年|英語の学術論文2報(電気化学)|月間2万PVのブログ運営中|コメントやご相談はTwitterのDMまでお願いします。