私は札幌の現役理系大学院生(修士)である。
前期に一生懸命研究を進めたおかげで、ただ今夏季休暇を満喫中である。
この記事では、久々に訪れた自由時間を利用し、博士課程に進学するか否かよくよく考えてみた。
B4の2月やM1の7月にも同じことを考えたのだが、その時点ではまだ結論を出せず、夏にオンラインインターンに一社参加してみて感じたこともあるので、それを含めてまたこのテーマで記事を書こうと思い立った。
それでは早速始めよう。
博士課程に行きたい4つの理由
私が博士課程へ行きたい理由は以下の4つである。
- 行かないと一生後悔すると思うから
- 研究が好きで、今のテーマをもう少し突き詰めたいから
- 人一倍頑張った証として博士号が欲しいから
- 日本が徐々に沈んで行っているので、海外でも働けるようリスクヘッジしておきたいから
以下で一つずつ詳述していく。
行かないと一生後悔すると思うから



博士課程に行きたい最初の理由は、博士に行かず就職したら絶対に後悔してしまうだろうなと思うからである。
(博士に進みたい!)と少なからず考えているのに心の声を無視したら就職して数年後に(あの時進学していたらなぁ…)と考えてしまうだろうし、
- やらずに後悔する事
- やって後悔する事
この両者を比較すると前者の方が圧倒的に後悔の度合いは大きいような気がするのである。
やらずに後悔した例として、浪人時代に志望校を京大から北大に変え、大学入学直後に(なんであの時京大から逃げてしまったのだろう…)と過去の自分を呪いたくなった経験がある。
一方、大学受験に集中するために本来出る予定のなかった高三の国体に出た事はほとんど悔恨していないし、国体も現役合格も逃してしまったものの、(あの時チャレンジして本当に良かった)と心の底から言えるのである。
私の心の声は「博士課程へ行け!」と言っている。
そして、私の23年半生きて得た経験上、やるチャンスがある&やりたいと思っているのにやらなかったら、ほぼ確実に体を引き裂かれるような思いに苛まれる羽目になる。
だから、博士課程へ行きたいのである。
もし修士からストレートに企業就職したら、勤務している企業で博士の方とやり取りした際に狂わしいほどの嫉妬と後悔に苦しめられると考えられる。
研究が好きで、今の研究をもう少し深く突き詰めたいから



次に、私は今の研究が好きである。
電池好きの私にとって、電池の中ではどのような移動現象・界面現象が起こっているのかを調査できる今のテーマは快楽物質が止めどなく出るほど楽しいのである。
また、私は”今の研究テーマを自分の力で更に深く突き詰めたい”という意思を持つ。
今やっている実験方法は先輩方から引き継いだ云わば”無難な手法”であり、私はその安全地帯を飛び出してより実際の電池内環境に近い手法を確立して本質的な議論にまで持って行きたいと考えているのである。
安全地帯を飛び出すには時間が足らない。
修士課程(2年間)だけでは全くもって不足しているのである。
現在の研究テーマを掘り下げるにはもっと多くの時間が必要であり、時間を得るためには博士課程へ行く必要がある。
。博士へ行ったからといって今よりすごい成果が出せるとは限らないものの、私が世の中に多少なりとも貢献するためには博士へ行かねばならないと考えている。
人一倍頑張った証として博士号が欲しいから



自分でいうのもアレなのだが、私の心の中には”同じ専攻に所属している他の修士学生より頑張っている”という自負がある。
- B4の3月に筆頭著者として英語論文を出したし
- M1になってからは研究以外にも専門分野の教科書を熟読して理解を深めるなど毎日勉強しているし
コスパ度外視で貪欲に学びを得ようと必死にもがき続けている。
もし修士で卒業してしまったら、表面上(履歴書上)は他の多くの理系院卒学生とほとんど差別化できないため、自分のアイデンティティを喪失してしまう可能性がある。
成果を出すべくがむしゃらに頑張った証として、何か称号が欲しいのである。
博士号目当てに進学してもロクな事にならないだろう。
博士号は研究者として生きて行く上で必要となる免許みたいなものだし、博士卒より優秀な修士卒の方だっていらっしゃると思う。
だから、もし私が博士課程に行くとしたら、博士として恥ずかしくない実力を身につけたい。
- 研究遂行能力の向上はもちろんのこと、
- 後輩に威張り散らさない謙虚さや人格を養成し、
- 世の中全体にとって良い事を思考、模索する
など、知徳併進を心掛けて2年ないし3年間勉強したいと考えている。
日本が本格的な沈没傾向にあるので、海外でも働けるようリスクヘッジしておきたいから



最後の理由は、将来起こりうる危機に備えるためである。
ただでさえ進む少子高齢化によって国の繁栄力が弱まっているのに、コロナの馬鹿騒ぎの影響で日本の弱体化が急加速してしまった。
このまま日本に住んでいては税金ばかり増えてどんどん苦しい生活を余儀なくされるだろうし、日本が苦しみのた打ち回っている隙を狙ってChinaやNorth Koreaが軍事侵略してくる可能性もゼロではないだろう。
そこで、自分の命を守るため、海外でも通用するグローバルな資格を持っておくべきだと直感した。
日本とは違い、海外では就職の際に博士号保有者が待遇面で優遇されるため、博士号を保有していたら海外就職が視野に入ってくるし、将来日本で起こりうるリスクをカバーする一つの有効な選択肢となるのではないかと考えたのである。
博士課程進学をためらう4つの理由
博士課程へ行きたい理由は以上の4つである。
一方で、この記事を書いたのは、進学をためらうワケが存在するからである。
以下では博士進学を躊躇している4つの理由について詳述する。
その4つの理由とは、
- 「その研究、何の役に立つの?」という問いに答えられないから
- 博士号取得は就職の際に会社選びの選択肢を狭めてしまうから
- 収入源として考えている学振の採択結果が判るのがM2の10月(つまり遅すぎる)だから
- たった一人の爺ちゃんに自分が一人前になった姿を早く見せたいから
このようなものである。
「その研究、何の役に立つの?」という問いに最もらしい答えを見出せないでいるから



本来、アカデミアにおけるの研究は役に立つ事を目指して行われている訳ではない。
大学や大学院では世の中の理(ことわり)を明らかにするために毎日研究が行われており、目に見えて”役立つ”研究をやるのは企業の仕事だと私は考える。
ただ、国の税金を使って研究している以上、大学における研究には(こじつけでもいいから)何かしら世の中に還元される、つまり役に立つものがあるべきである。
「その成果が今すぐ役立つとは限らない、しかし20年, 30年後には一見何の役に立つか分からないこんな研究でもこういった形で世の中を変えるかもしれないよ」と、何らかの見通しを語れる研究であるべきであろう。
私が博士進学をためらう最初の理由は、その肝心のビジョンを語れない(見出せられない)からである。
何か尤もらしい見通しを立てようとしても、自分の研究が如何なる形で世に還元されるか全く見当もつかないのである。
お世話になっている指導教官や似たような研究をやっているグループの論文を読んでみても、自分が何のためにその研究をやっているのか勉強すればするほど分からなくなってしまった。
物事の理を明らかにするのは非常に楽しいけれど、自分の発見がどう世の中を変えるかという夢を描けないのは工学系大学院生としては苦しいのである。
この問いに自分なりの解を見出せないうちは博士に進学する権利はないと思っている。夢を語れない研究者など、税金泥棒に等しいだろう。
大学院卒業後は企業就職したいのに、博士号取得は入社できる会社の選択肢を狭めてしまうから



この記事の前置きとして、博士に行くにせよ行かないにせよ企業に就職するつもりだと記載した。
また、ネットで色々と調べてみた所、日本では博士卒の人材を募集している企業が修士卒を募集している企業より遥かに少ないと判明した。
アカデミアの世界に残る意志はなく、企業に就職するつもりならば、学歴を修士卒にとどめておいた方が入社できる企業の幅は広いのではないだろうか。
修士号保有者ならば大学院での実験経験を活かせる会社以外にも幅広く企業を検討できる一方、博士まで進んでしまったらある程度専門分野に縛られてしまうので(博士に進学する事は将来の選択肢を狭めてしまいやしないか…?)と懸念しているのである。
学振採択可否結果が判るのが遅すぎるから



更に問題なのが、私が命綱として見込んでいる学振(DC1)の採択結果が判るのが就活終了後だという事である。
DC1の結果はM2の10月に通知される一方、10月といえばちょうど内定式の頃合いである。
だから、仮にDC1不採択に備えて就活をし、かつDC1へ採択された場合、10月に内定を辞退せねばならないという会社に超失礼な事態に陥ってしまうのである。
せめてM2の5月や6月に採択結果が判るならば博士進学と就職を比較するのも有意義なのだが、肝心の収入源があるかどうかも定まらないのに就活をしないというチャレンジは相当の自信家や勇者じゃないとできないのではないだろうか。
読者さんの中には「親に資金援助してもらえないのか?」と疑問を抱いた方がいらっしゃるかもしれない。
私自身、(仮にDC1不採択となったら親に助けてもらいたいな…)と心の片隅では願っていたが、親から「博士に行くなら自分の金で行けよ」と宣告されているため資金源としては考えられない。
企業のお金で博士に行ける社会人博士制度で進学するのが金銭的には最も安牌な選択肢であるものの、就職した企業内で社会人博士制度の席をめぐって競争を勝ち抜かなければ進学できないからあまり確実な方法ではないだろう。
私の指導教官が給料を出して雇ってくれるとは到底考えられないし、金銭面では大きな問題を抱えている次第である。
自分が自立した姿をたった一人の爺ちゃん(90代前半)にいち早く見せたいから



最後に、私のじいちゃんに社会人になった姿を早く見せてあげたいのだ。
祖父はもう90オーバーであり、私と血のつながっている祖父母はもうそのじいちゃん一人しか生存していない。
しかも、私のじいちゃんは(一人暮らしをしていて大丈夫なのか?)と心配になるほどヨボヨボである。
そんなじいちゃんと久々に会った際、じいちゃんから面と向かって「○○ちゃんが就職・結婚するまで生きるぞ」と宣言されたので、博士に行きたいと考えていた私の心は大きくグラついてしまった訳である。
私は、博士課程の学生は”学生”とあるけれども高度知的職に就く立派な社会人だと思っている。
また、日本以外の国では博士学生に給与が支給されるなど、博士学生を社会人待遇で迎えているらしい。
しかし、いくら海外の例を引いたとしても、日本にはない通念であるから致し方ない。
日本では博士課程学生は学生として見られているし、博士に進学してDC1で月20万の給料を貰っているとしてもじいちゃんは(はよう就職してくれんかのう…)と考えるに違いない。
私はじいちゃんのために生きているわけではない。
自分には自分の人生があるし、他人が敷いた人生レールの上を進むのは面白みがないから避けたいと思う。
一方で、もし自分に死期が迫った場合、孫が自分の最後の願いを叶えてくれたら心から嬉しく感じるのではなかろうか?
もし希望が叶えられなくとも(アイツにはアイツの人生があるし、ワシがとやかく言う事じゃないわ)と考えるだろうが、
- 博士に進学しなくとも私は死ぬわけではないし
- 修士で卒業&就職してもそれなりに良い収入を得られるし
- 修士で就職すれば婚期が早まりひ孫を見せられる可能性も上がってくるため
たった一人のおじいちゃんの喜ぶ顔を見たいという思いが博士進学を大いに躊躇させているのである。
最後に:もう少しだけ悩もうと思います
あ~、悩ましい。
本当に決められない。
進学したい理由も修士就職すべき理由も同じぐらい強いため、まだどちらの選択肢を採るか定められないのである。
インターンに行ってみてもオンライン開催だったから企業で働く自分を全然想像できなかったし、かといって博士に進学するのに重要となる金銭面での課題も克服できていない…
という事で、決断はもう少し先送りしようと思う。
期限としては2021年12月31日、今年中には進学と就職どちらの道に進むか決めようと考えている。
あまり先送りし過ぎると、就職できなくなる可能性がある。
年内には必ず結論を出し、覚悟を決めて新たな一年を迎えるつもりである。
以上です。
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