【自己分析】将来の夢の移り変わり

私は札幌の現役理系大学院生(M1)である。

夏季長期休暇の間に自己分析なるものを進めてみようと思い立った。

この記事では、私が持っていた(持っている)将来の夢の移り変わりについて書いていく。

将来の夢には自分の本当にやりたいことが隠れている場合が多いらしいので、自分探しの一環として自己分析を進めていこうと考えている。

 

それでは早速始めよう。

将来の夢変遷

幼少期〜小4:飛行機に”なる”事

小さい頃、私は飛行機が大好きだった。

”飛ぶ”という人間には不可能である離れ業をクールに成し遂げる飛行機には常に羨望の眼差しを向けていたし、大空を毎日気持ち良さそうに飛び回る飛行機を見て毎日本当に羨ましく思っていた。

あまりにも飛行機が好きすぎて、親から買ってもらった飛行機図鑑の航空機名を全部覚えてしまったほどである。

今でも空港に行くと心がウキウキするのだが、それはおそらく幼少期に飛行機にドハマりしたのが原因だろう。

 

そうして毎日図鑑ばかり眺めていると、いつの間にか

かめ
自分も頑張れば飛行機になれるんじゃないか…?

このような思いを抱いていた。

図鑑の世界と現実世界を区別できず、努力次第で何にでもなれるだろう!と考えていたのである。

飛行機に”なる”と志して以来、私は毎日学校やアパートの階段を使用して滑空訓練を行った。

何度練習しても重力に逆らえなかったものの、いつか飛行機に”なれる”という信念は決して揺らがなかったのである。

良い子はマネしないでね

 

訓練に明け暮れていたある日の事、私は父から将来の夢を聞かれた。

私は飛行機に”なる”気マンマンだったので、

かめ
絶対飛行機になるんや!

と答えた。

すると、父から衝撃の一言が飛び出した。

は?何言うてんねん。人間は飛行機にはなれんで。

全く理解できなかったので、「おとうちゃんこそ何言うねんねん」と問い返した。

すると、

飛行機は機械やねん。人間は機械にはなれんぞ。

と非常に簡潔に答えてくれた。

 

私はどうやらとんでもない思い違いをしていたようだ。

いくら階段で飛び降り練習をやろうとも、機械じゃないのだから飛び立てるわけがないのである。

(離陸できないのは助走速度が足らないのかな…?)と思っていたが、そもそも人間は飛び立てるようには設計されていないのである。

いくら飛行機が好きであろうとも飛行機になれないと知り、あまりに悔しすぎて数日間ほど大空の飛行機を正視できなかった。

パイロットになる事も一瞬だけ考えた。しかし、私は高所恐怖症なのでパイロットには絶望的に向いておらず、すぐさま諦めるに至ったのである。

 

小5〜中3:乗馬クラブのインストラクター

私は小学4年生のゴールデンウィークから乗馬を始めた。

小3と小4の境目あたりから私に対するいじめが苛烈になってきて、学校で抱えたストレスを発散・解消するために親に乗馬へ連れて行ってもらったのである。

人間とは違い、馬は本当に純粋である。

余計な知恵を持っていないから基本的には意地悪をせず人間に忠実だし、オス・メス問わず優しい馬ばかりだったし、(学校じゃなくて乗馬クラブへ毎日通えたら本当にハッピーなのになぁ…)と思わずにはいられないほど乗馬にどんどんのめり込んでいった。

 

さすがに今回は馬に”なり”たいとは思わなかった。

飛行機になれないと知ってからはそう簡単に他の生物・機械に”なり”たいと考えなくなっていたし、乗馬クラブの馬は毎日同じものばかり食べさせられていたからそれほど馬に”なり”たいとは思わなかったのである。

あと、私は小さい頃からひねくれ者だったので、人間の指示に忠実に従ういい子ちゃんにはなれないだろうなぁと感じていた。

私が馬なら人がまたがった瞬間に大暴れして人を振り落とそうとするだろうし、それでも落馬しなかったら何度”進め”と合図されてもその場を一歩も動かず直立していただろう。

 

馬になる代わり、私は乗馬クラブのインストラクター(先生)になりたいと思っていた。

馬と過ごす時間が本当に好きだったので、そのような楽しさを毎日味わえるインストラクターになりたくてなりたくて仕方がなかったのである。

中学生になってもその夢は変わらず、夏休みに入るとほぼ毎日のように乗馬クラブへ通って職員の手伝いをやらせてもらった。

  • 朝8時に通勤して厩舎掃除をして
  • 空いた時間にクラブの馬に乗せてもらって
  • 会員さんの乗馬レッスンのお手伝いもさせてもらって
  • えさやりや水やりまでさせてもらって

作業は全部肉体労働なのですごく大変だったが、やればやるほどこの仕事が好きになるため絶対乗馬クラブの先生になる!という夢が益々確固たるものになっていった。

 

高1:医者

中3で出場した国体の馬術競技で優勝し、私は馬術競技にものめり込んだ。

このままウマの道に一直線…!かと思ったらそうではなく、なぜか中学での成績も急上昇してきて学校の勉強にも興味が湧き始めてきた。

運に大きく左右される馬術競技とは違い、勉強は自分の努力次第でどうにでもなる。

頑張れば頑張るほどそれが成績に反映されるし、学べば学ぶほど将来得られる収入が大きくなるのである。

 

たまたま乗馬クラブの求人情報を見る機会があったのだが、そこに書かれていた”給与月額14万~16.5万円”という金額には腰が抜けるほど驚かされた。

(あれだけ汗を流しても14万しか稼げないってどういう事だ?)と、インストラクターへの憧憬が一気に冷めてしまったのである。

そこで、乗馬を趣味として行えるよう、高年収な仕事に就く事を考えた。

パッと思いついたのは医者だった。だから高一の私は医者を目指して勉強した。

 

医者になると決めたは良いものの、自分が医者になっている姿を全く想像できなかった

  • 血を見るのが苦手なので外科は絶対に無理だったし
  • あまり子供が好きじゃないから小児科や産婦人科も不可能だったし
  • そもそも病院が嫌いだったので医者に向いているかすら怪しかったし
  • 医学部で絶対に必要な生物学が致命的に苦手だったし

医者になれる要素を一切備えていないように思われた

とはいえ、大人になっても乗馬を続けるには高年収を稼げる仕事に就くしかないし、”臨床医が無理なら研究医になればいいや”と割り切っていた。

だから、当分の間は医学部合格を目指して成績アップに向けて一生懸命努力を積み重ねていた。

 

高2〜高3:乗馬クラブのインストラクター

しかし、そんな努力は続かないものである。

なりたくもない職業に就くべく勉強するなど、何のモチベーションも湧かないのである。

それに、高年収を得たいからという不純な理由でもし医学部に合格しちゃったら、医者になりたかったのに落ちてしまった方に失礼だと思った。

高一の間は学校で学年4位になるなど好調だったが、高二になると勉強するモチベーション維持に苦しみ成績が下降線をたどっていった。

 

ハッキリ書く。私は学校の勉強が大嫌いになった。

馬術競技の成績を上げるための勉強なら自ら進んでやったけど、将来の食い扶持を得るための勉強は何の面白みも感じられなかった。

また、「乗馬クラブの先生になりたいっ!」という心の声にどーしても耳をふさぐことができなかった。

進学校に通わせてもらっていたので”大学進学”という敷かれたレールの上を進んでいく人生から外れたいと親に相談する事も出来ず、悶々としている間に最後の国体や現役時代の大学受験が終了してしまっていた。

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浪人時代:大学に合格する事

私は高三の国体前に”もし個人種目でメダルを取れたら乗馬クラブの先生になるぞ”と自分自身に約束していた。

そして、メダルを取るべく自分なりに練習した。

しかし、残念ながらメダルは得られず、それどころか個人種目で入賞する事すら叶わなかった。

強い思いで臨んだだけに落胆の度合いも非常に大きく、ウマの道に見切りをつけて学問で身を立てよう…とどうにか気持ちを切り替えた。

 

残念ながら現役合格に失敗し、辛くて長い浪人生活に突入した。

将来の夢など考える余裕はなく、(早くこの辛さから解放されたい!!)との思いしか抱けなかった。

現役時代の学力貯金のおかげで学力では特に苦労しなかった。

ただ、(自分はまだ何者でもない)という焦燥感や(一年分親に余計なお金を使わせてしまっている)という罪悪感によって胃腸に穴が開きそうなほど強烈なストレスに悩まされた。

 

受験学部について調べるゆとりを持てなかったから、大学に入ってから進路を決められる進路振分け制度のある大学へ進もうと決意した。

選択肢としては東大と北大があり、自分の学力的には北大が相応しいと思われたので北大に進学する決断を下した。

合格できて本当に良かったと思う。

あの緑豊かなキャンパスで寝転がりながらのんびりしていればまたいつか将来の夢ができるのではないか…このように私は考えていた。

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B1〜B3:特になし

高校の先生や親から聞いた話によると、大学でははなのきゃんぱすらいふなるものが送れるらしかった。

サークルでキャーキャー女子と騒ぎ、仲間とワイワイ下宿で騒ぐ…私はこのような楽しい大学生活を期待していた。

ところが、私に待ち受けていたのはそれと対極の生活であった。

気が付いたら新歓時期が終わっていたから友達を作るどころではなかったし、スーパーのレジ係さんとしか話さない日も珍しくないほど浪人時代並みに単調な日々が続いていった。

 

研究室に配属されるまでの私は、大学生活において将来の夢を全く抱けなかった。

クラーク博士が「大志を抱け!」とドヤ顔で言っていたのに、私は大志どころか小志すら持てなかった。

ネットのインフルエンサーの言う事を鵜呑みにして意識高い系になった結果として周囲の学生は更に私から離れていったし、何かに熱中しようとしてもすぐ投げ出してしまう等ほとんど長続きしなかった。

かめ
このまま卒業して社会人になるのか…

人生とはなんて厳しいものだろうか…

と、身も心も社会の荒波に砕け散りそうになっていた。

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B4~M1(現在):世界一研究を楽しむ研究者になる

研究室に入り、ついに私は情熱を注ぐ対象に出会った。

3年生までは大学に入った事すら後悔する有様だったのに、4年生になった途端に勉強するのが面白くなってきた。

今まで退屈に思われた学校生活は、きっとここで学ぶ喜びを味わうためにあったのだろう。

体の奥深くに眠っていた知的好奇心が急に活発になってきて、私の脳はスポンジの要領で次々と興味の対象を取り込んでいった。

 

研究室ではまた、自分の手で人類の知的領域を拡張する喜びを知る事が出来た。

かめ
この実験結果は世界でまだ自分だけしか知らないんだ…!

そう思うと、つい人前でもニヤニヤしてしまうのである。

先生から貰った実験テーマとの相性も良く、B4で英語論文を出させて頂いた。

もちろん研究は一筋縄ではいかず、データを論文化するのは骨の折れる作業であるが、自分の頑張りを世界に示せるのはなかなかの快感であり、今後もドーパミンをどんどん出していきたいと思っている。

 

現在の夢や目標は、専門分野の研究を世界一楽しむ研究者になる事である。

そりゃNatureやScienceのような超一流雑誌に論文掲載できれば幸せなのかもしれないが、それを目標にすると研究を楽しむ手段(論文執筆)が目的化してしまうような気がするので目指さない事にした。

自分がやっている研究の面白さを他の人にも共有できる研究者になりたい。

テレビやYouTubeに出てくる研究者の多くは自身の研究テーマをすごく幸せそうに語るので、私もその境地に入れるように日々精進して研究していきたい。

 

最後に

この記事では、自身の将来の夢について深掘りしてきた。

振り返ってみると、紆余曲折の末に現在に至っている印象を受ける。

また、今の研究生活を心の底からEnjoyできていると再確認できた。

ようやく情熱を注げる対象と出会えたので、これからも人生の手綱を決して離さず興味を追求して行けたら幸せだなぁと考えている。

 

以上です。

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ABOUTこの記事をかいた人

馬術競技からマラソンに転向した北大工学院のM1|国体馬術競技優勝&8回入賞|10000m36’33”|マラソン2°47’50”|100kmレース10°19’17”|英検準一級|TOEIC785点|ラン歴5年|乗馬歴10年|英語の学術論文2報(電気化学)|月間2万PVのブログ運営中|コメントやご相談はTwitterのDMまでお願いします。