私は現役北大院生(修士)である。
この記事では、私を毎日突き動かしてくれている原動力について書いていく。
私は周囲からよく「ストイックだね」と言われており、今回の記事は文章作成の過程で自分がストイックである理由に迫っていきたいという趣旨で作成した。
こうした自己分析は将来就職活動をする際に会社選びの軸となるかもしれないので、就活をしているという意識で記事を書き進めていきたいと思っている。
それでは早速始めよう。
Contents
私はなにゆえストイックなのか
上昇志向:偉大なる父親を超えたいため



私は非常に強い上昇志向を持っている。
日々何かしら進歩していないと気が済まず、それはもはや強迫観念に近いものである。
大学受験生時代よりも英語力や数学力が落ちるのを懸念して毎日2時間以上勉強しているし、(次の章で述べるが)前の日より1kgでも体重が増えてしまっていたら全力で筋トレなりランニングなりで余計なものをそぎ落とす努力をしている。
周囲からは
- 少々頑張り過ぎだ
- たまには気を落ち着けないといつか焼き切れてしまうよ
と時々アドバイスをもらうし、私自身もその事は良く自覚している。
しかし、私はどうしても自らの上昇志向を捨て去る事ができないでいる。
それは私の父親があまりにも偉大すぎるためであり、いつかそんな父親を超えてギャフンと言わせてやりたいと思っているためである。
- 父は東大工学部卒だが、私は北大大学院生
- 父は科学の分野から歴史の事まで何でも知っている一方、私はランニングや専門分野など限られた領域の知識しか持たない
実家暮らしをしていた当時、地頭の違いをこれでもかと見せつけられ続け、おまけに腕力でもギャフンと言わされ続けたため、私は忸怩たる思いでいっぱいだった。
だから、北の大地・北海道で一人暮らしをしている今、父の見えない所で勉学やスポーツに熱心に取り組み、いつか絶対に父親を超えてやろうと力を蓄えている真っ最中なのである。
父は非常に優秀であるのに加え、私が小さい頃から父は私の脳髄へ上昇志向を刻みつけた。
具体的に言うと、「毎日絶対勉強しろ」だったり「体を鍛えていない男はカッコ悪いぞ」といった事柄を日常的に聞かされて育ったのである。
いつか超えたい憧れの存在がそういったアドバイスをくれたのだから、それに従わない法はないだろう。
私の上昇志向のルーツは少年時代にあり、今や人生の規範にまでなっているのである。
ランニング:小・中学校時代に経験した”いじめ”への逆襲



私は北海道大学入学と同時にランニングを始め、大学3年次にはフルマラソンを2時間59分で完走した。
陸上部に入ったわけではないし、ランニングサークルでかわいい女の子とキャーキャー騒ぎながらジョギングしていたわけでもない。
毎日一人で走っていた上、陸上歴がないため練習方法も知らなかったので、
- 家の扉を開ける時に”よっしゃ、行くぞ!”と気合を入れたり
- 陸上競技の専門書を購入して読んだり
日常生活に色々な工夫を施していた。
前章で述べた上昇志向によって少しでも速くなるべく貪欲に知識を吸収していったし、練習の出来が悪かった日にはなぜ不調だったのかを食事レベルから徹底的に原因追及していった。
私をそこまで駆り立てた原動力は、小・中学校時代に経験したいじめである。
今でこそ「痩せているね」と言われているが、小学6年生の私は150cm&50kgという典型的なデブ少年だった。
学校では”デブ”だとか”ミートボール”とかいったあだ名を付けられて苦しめられていたし、そうした悪口雑言に言い返す強さも持っていなかったので毎日ノーガードで精神をボコボコにされていた。
あの時味わった屈辱感や辛さを思い出すと今でも涙が出てくるほどだし、いじめてきた奴らを見返すために徹底的に体を鍛え上げてやろうと思っているのである。
今の私ならばいじめられたら100倍にしていじめ返すだろうが、昔受けたいじめを小・中学校の同級生にやり返すのは時期的にも少々遅すぎる気がする。
そのため、私はあくまでも平和的な手段をとり、自らの心の中でいじめっ子たちをボコボコにすることにした。
毎日鍛え続けて別人に生まれ変わることで自分自身に自信を付け、いじめてきた奴らが卑屈になるほど顔に気力・活力をみなぎらせていじめへの逆襲を果たすのだ。
できれば一度同窓会(特に小学校の)に参加していじめっ子たちの目を見開かせてやりたいのだが、もはやそんな時間すら勿体ないので辞めておこうと考え直した。
学業:京都大学に対する圧倒的なコンプレックス



先ほどさらっと”一日2時間勉強している”と述べた通り、私は学業にも邁進している。
大学に入って以来机に向かって勉強しなかった日は一日たりともなかったし、どれほど酔っぱらって帰っても自らを成長させるべく書籍に目を通したりシャーペンを握って計算問題を解いたりといった努力を積み重ねてきた。
私が毎日勉強してこれたのは、大学受験によって心に負った深い深いダメージが理由である。
今では北大生として札幌に鎮座している私だが、受験生時代は北大ではなく京大に行きたかったのである。
”絶対に京大生になるんだ”という強い思いの元、私は高一から受験勉強を始め、志望校を京大一本に絞り、明けても暮れても京大対策に打ち込んでいた。
高三の夏には京大模試でB判定、秋にはA判定にまで成績が上がった。
センター試験が終わってからは一日12時間以上過去問と格闘し続けて京大レベルの問題を解けるように特訓した。
しかし、運というものは残酷なもので、現役時代の私はあと数点というところまで迫りながら京大農学部に不合格となってしまった。
浪人時代も当然ながら京大を目指していた。
だが、夏の京大模試でA判定&冊子掲載された瞬間、自分の中で緊張の糸が切れてしまい、京大を目指す気力やら熱意やらがあれよあれよと消え去ってしまった。
二浪はなんとしても避けたかったので、その時点で絶対安全圏だった北大総合理系に志望校を変更した。
結果的に北大には2位で合格する事になるのだが、自分の心の中では
- 現役時代には京大にふるい落とされ
- 浪人時代には京大に受かる寸前の所でギブアップしてしまって
京大に対する劣等感がハンパない状態で私は北大生になったのである。
私が日々ペンを動かし続けるのは、この劣等感を解消したいがためである。
京大卒の人間を成果でもって完膚なきまでに打ちのめすべく、日々勉学に励んでいるのだ。
大学院生になった今、研究分野で京大生に勝つべくこれまで以上に知識を習得している。
この戦いに終わりはない。強いて言うなら死ぬ時が終戦のタイミングである。
読書:あまり本を読んでこなかった罪悪感



私は月に10冊本を読む。
学習漫画をのぞいてマンガは一切読まず、
- 日本人の文豪が書いた小説(三四郎や金閣寺など)
- 国外の文豪が書いた小説の日本語Ver.(罪と罰やアンナ・カレーニナなど)
- 日本の歴史を検証した本
- 俗にいうビジネス本
こうしたジャンルの書籍を毎月最低でも10冊は読んでいる。
大学生の平均読書数は0.5冊/月だとどこかの統計で見たことがあり、(うぬぼれているようで申し訳ないが)私の月10冊という数字は割と多い方なのではないだろうか。
今でこそたくさん本を読んでいる私だが、中・高時代はほとんどといって良いほど本を読まなかった。
というのも、中・高時代は乗馬や受験勉強が忙しすぎたため本を読む暇がなかったのである。
平日は家に帰った瞬間から机にかじりつくように参考書とにらめっこしていたし、終末は乗馬クラブへ行って満身創痍になるほど馬術の特訓に明け暮れていた。
父親からは「ちゃんと本を読んでおけよ」と頻繁に言われていたが、当時の私には
- なぜ本を読まなくてはならないのか
- 本なんて読んで何の役に立つのか
- そもそも本を読む暇なんてないし
- 読書より勉強や乗馬の方が楽しいし
と読書の有益性が全くと言って良いほど分からなかった。
そうして徹底的に回避してきたツケはちゃんと大学受験で払わされることとなり、センター試験(今でいう共通テスト)では現役時代・浪人時代と6割程度しか得点できなかった
大学に入ると、読書習慣の無さは一般教養の欠如という形であらわになった。
というのも、恐れ知らずの一年次に肝試しとして大学教授へ話しかけに行ってみた時、先生が当たり前の事項としてスラスラと話していることが全く理解できなかったのである。
母語の日本語を聞いているはずなのに、まるで未知なる外国語を聴いているかのように話が全く頭に入ってこなかった。
そこで危機感を感じた私は全速力で一般教養やら文学やらを頭に詰め込み始めたのである。
”本を読んでいないとマズい事になる”と社会に出る前に気付けて本当に良かったと共に、(今までどうして本を読んでこなかったかなぁ…)と罪悪感で一杯になった。
いくら後悔しても時間は巻き戻せないため、昔読んでおかねばならなかった分も補うつもりで月に10冊読書している。
勉強とは違ってそこに強迫観念が存在しないため非常に気が楽であるし、読めば読むほど世界が違って見えるため読書が楽しくて仕方がない。
これからも私は本を読み続けるだろう。いつか自著を出版してみたいという野望もある。
研究:幼少期に蓋をされていた知的好奇心の解放



大学4年次に研究室へ配属されて以来、私は研究という新しいフィールドの魅力を知ることになった。
- 実力第一の平等な世界
- いくら突き詰めても終わりのない奥深い世界
- 自分の手で世界の真理をひとつ明らかにできるスリリングな世界
- (自分はほんのちっぽけな存在だ)と嫌になるほど自覚する厳しい世界
このように、研究という活動は私の生活に新たな息吹をもたらしてくれた。
世の中には研究が苦痛で仕方がないという方がいらっしゃるようだが、残念ながら私にはそうした方々の気持ちを1ミリたりとも理解できない。
どうしてこれほどまでに面白い世界を楽しめないのだろうか…それとも私が変わっているだけなのだろうか…?
私がこれほどまでに研究を楽しめているのには、自分の「なぜ?」「なんで?」という心の欲求をとことん満たしてあげられている点が理由だろう。
というのも、幼稚園生の頃から「なぜ?」という声を親から徹底的に抑圧されていたし、親の言う事を理不尽に聞かされるシチュエーションが非常に多かったように感じているのだ。
その点、研究では余計な事を考える力が重宝されるし、もし何か気になることがあればいくらでも時間をかけて考えて良いし、おまけに実験室へ行って自分の手の内で検証してみる事だって可能なのだ。
心の声に素直になれる日々が快感でしかないし、幼年期に体の奥深くへ収納された知的好奇心を芽生え・解放させられる毎日が至福という言葉で表せないほど幸福である。
学部4年次から修士1年次になり、余計な物事を考える力が一段パワーアップしたように感じている。
ゼミではB4の時より沢山の質問ができるようになったし、B4の時には無批判に読んでいた学術論文に疑いの目を向けたり(自分だったらこうするのになぁ)と妄想を膨らませられたりできるようになった。
これからもどんどん好奇心を育てていき、10年後には誰かの好奇心を満たしてあげられる存在になっていたい。
知的好奇心を満たす旅は永遠に終わらない…一番大切なものは、目に見えないから。
一生懸命研究していたらB4の3月に英語論文を出版できた。
もしよかったらこちらのリンクから私の作成した論文をご覧頂きたい。
最後に
私を突き動かす原動力となるものは以上5つである
燃え尽きるまでガツガツ追い込むのも一つの方法だが、少しゆとりをもって生きて行くのもアリかもしれない。
うさぎとかめのたとえ話において、私はうさぎのような先行逃げ切り失敗型の人生を送りつつある。
私は”かめ”という名なのだから、(かめらしくのっそりのっそりゴールへ向かって着実に進んでいく後方差し切り成功型の生き方も覚えていかねばならないな)とこの記事を書いている最中に思った次第である。
以上です。
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