私は現役北大生である。
3月に大学を卒業し、この4月より北大の大学院生として引き続き学生生活を送っていく。
この記事では、私が大学生の間にやっておくべきだったなぁと反省している3つの事について書く。
私と同じ残念な経験をする方を少しでも減らしたいと思ってこの記事を作成したので、
- 現在大学生の人
- これから大学生活を送る人
こうした方はぜひ見て行って欲しいなと思っている。
それでは早速始めよう。
Contents
大学生の間にやっておくべきだった3つの事
深い友達付き合い



私が大学生の間にやっておくべきだったと思うのは、誰か一人ともっと深い関係を築くべきだったという事である。
幸運にも、大学時代の私は気軽に話せる友達に恵まれ、一年次を除いては孤独を感じず暮らせていた。
しかし、
- 「おはよう」などの挨拶
- 過去問の授受
- 演習プリントの分からない箇所を相談し合う
こうした上辺だけの関係に終始してしまい、夜を飲み明かせるほどの深い関係を最後まで誰一人とも形成できなかったのである。
私はこの事に関して随分と悩んでいた。
しかし、悩めば悩むほど人との関係は余計に浅くなっていった。
ハッキリ言おう。
テニサーが男女でキャーキャー遊んでいるのを見ると(俺もこうなる予定だったのになぁ…)と寂しくて仕方がなかった。
図書館で何かの議題に関して顔を突き合わせて真剣に議論している人を見ると(ああ、羨ましい…)と涙が出そうになる時があった。
浪人生活を終えた直後、私は華の大学生活を自分なりに頭に描いてみたが、結局4年生の最後まで何一つとして実現させられなかった。
華の大学生活とは幻だったのであろうか…
後輩に伝えたいのは、無理に友達の数を増やそうと頑張らなくても良いという事である。
友達の数だけが全てではないし、友達を増やせば増やすほど一人当たりの関係はどんどん浅くなっていくのである。
大学入学直後は友達がいない事に対して不安になってしまうかもしれないが、そこで焦って友達を作っても私のように誰とも信頼し合えないで終わってしまう。
そうかといって知り合いを全く作らなかったらそれはまたつまらない生活が待っているので、後輩の皆さんにはそこの所のバランスをうまくとって頂いて、大学を卒業する時にせめて一緒に記念写真を撮れるような関係を誰かと築き上げてもらいたいなと願っている。
部活やサークルを4年間やり通す事



私が大学生の間にやっておくべきだったと思う2つ目の事は、所属していた部活やサークルを4年間続けるべきだったという事である。
私は以下の期間、部活とサークルにそれぞれ所属していた。
- 北大馬術部:1年次の9月末~2年次の6月末
- ランニングサークル(名前は忘れた):2年次7月の1か月間
- 北大広島県人会:1年次の4月~2年次の3月末
そして、ご覧のように、いずれも大学卒業まで続けることなく途中で辞めてしまった。
私は非常に飽き性であるため、どの活動もすぐに飽きて嫌になってしまった(馬術部に関しては別の理由があるが…)。
大学生の交友関係の大部分は部活やサークルで作られるので、こうして途中で辞めまくった結果、上に書いたように、私は誰とも深い人間関係を形成できないまま卒業してしまったのだろうと考えている。
確かに、4年間という限られた時間を有効活用するためには嫌な事を我慢している場合ではないため、(嫌だなぁ…)と思った途端に退部or退会したおかげで随分とストレスが軽減したし、おまけに自分の時間を守れたように思う。
しかし、社会に出れば嫌な事でも多少は我慢せねばならず、サークルのようにホイホイ逃げ回っていては(この人はすぐ逃げる人だ)と思われてしまうので、誰からも信頼を勝ち取れないまま人生を終えてしまうであろう。
自分の心にウソをつかない誠実さだけではなく、(石の上にも三年ではないが)もう少し続けてみてストレスに耐える訓練をしておけば良かったと思う。
中学・高校・浪人と集団生活が苦手で、大学でも苦手を克服できなかった…これは大変遺憾である。
このまま社会に出てもすぐに集団から放り出されてしまう気がするため、これから進学する北大大学院の研究室生活では”集団生活に耐えられるマインド”を少しずつ育んでいきたい。
研究室では長時間労働&理不尽な仕打ちが行われているので我慢を覚える格好の場だし(自分が壊れない範囲で)、これからは自分だけではなく後輩の面倒を見てやる必要があるため他人と協調する事にも慣れられるであろう。
部活やサークルをやり通せなかった無念は大学院で必ず晴らす。
研究室で私が逃げ回ってしまったら後輩に迷惑がかかるため、後輩を背中で導いていけるぐらいに心身ともに成長したい。
深い教養を身につける事



私が大学生の間にやっておかなくて反省している最後の事は、もっと深い教養を身につけるべきだったなぁという事である。
教養を身につける大切さに気が付いたのは研究室生活が始まった直後(大学4年生)であるため、慌ただしい生活によってじっくりと難解な本を読んだり思索に耽ったりする余裕を失い大学生の間に学識に磨きをかけるのは結局叶わなかった。
全く本を読んでこなかったわけではない。
1年次から月に5冊ぐらいはコンスタントに読んできたし、3年次の夏にはドストエフスキーの罪と罰や夏目漱石の前期・後期三部作を全て読破するなど、毎日必ず本を読む生活を営んできたのである。
だがしかし、私の読書には全くまとまりがなかったため、狭く深い知識は身につかず、広く浅~い教養しか身につかなかったのだ。
もっと何か一つの分野(作家)に特化して本を読み進めれば良かったなと強く強く反省している。
ビジネス本を1冊買うお金があれば、ブックオフで古典を2冊は買えた。
入門書を読んで分かった気になる暇があれば、それよりワンランク、2ランク上の本に触れて更に深い学識を得られたはずだ。
全く本を読んでいない人よりは少なくとも知識はあるが、それもしょせん薄っぺらな知識であるためいざという時に役立たないであろう。
大学生の私は多くのお金と時間を無駄にしてしまったようである…そう気づけただけまだマシなのかもしれないが。
大学院生になったら現在よりもっと忙しくなる。
- 今までより一層実験に励むことになるし
- 後輩の面倒を見なくちゃならないし
- 就活の用意もボチボチ始めなきゃだし
- 博士課程に行くか行かないかもそろそろ決めておきたいし
(果たしてヒマな時間はあるのだろうか)と、今から既に恐ろしくなってしまうほどである。
しかし、そんな隙間の間隙にでも、教養を身につけるための読書を粛々と進めていく必要がある。
ボロボロになった日本を支えるには私のような旧帝大生が先頭に立って指揮を執るしかないのだから、リーダーとして恥ずかしくない知識・知恵を身につけて大学院生活を終えられるようにしたいと心に決めた次第である。
最後に…反省はしているけど後悔はしていません
私が大学生活の間にやっておけば良かったなぁと反省しているのは
- もっと深い交友関係の形成
- 部活やサークルを4年間続ける
- 深い教養を身につける
この3つである。
この記事で”後悔”という言葉を使わなかったのは、大学生活その時々で私は最善の選択をしてきたと思っているからである。
未来をより良くするために反省はするが、過去の選択は変えられないので後悔などは全くしない。
まぁ、「もう少し上手に立ち回れただろう…」と自分に対して言いたくはなるけど、これは神様から大学院でサボらないよう宿題を頂いたのだと思って未来の私に期待したい。
以上です。
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