【不器用なりに頑張った】大学一年次のキャンパスライフを17000字で完全再現しました

私は北大工学部の4年生である。

先日、大学の事務からメールが来て、私が無事に要件を満たして卒業できている事が確認できた。

卒業するために必要な単位数は120単位であるが、私は必須単位数ギリギリを攻め、121単位を取得して卒業するに至った。

一つでも単位を落とせばストレートで卒業できなかったため、全ての講義で単位を取得できた幸運を喜ぶとともに、嫌な顔一つせず過去問を融通してくれた周囲の仲間へ心から感謝したいと思う。

かめ
みんな、本当にありがとな。

卒論発表をしてきました

2021-02-08

 

無事に卒業できた記念として、私の4年間の大学生活をざっと振り返ってみる。

私は本当に不器用なためこの4年間で沢山痛い目にあってきたし、楽しい思い出よりも辛い思い出の方が圧倒的に多かったように思う。

だが、4年間トータルで振り返ってみると(そんなに悪くないんじゃないか)という感想を持っているので、記憶が鮮明なうちにブログ記事に書き残しておこうと考えたのだ。

4年間全ての内容をひと記事にまとめると膨大な量になってしまうから、4年間を4等分し、1年間ずつ我が足跡を紹介していく。

 

この記事では、私の一年次の生活を紹介する。

これから大学生活を始めようとしていて、(大学生活ってどんな感じなのだろう…?)と希望と不安が入り混じっている新一年生の参考になるよう記事を作成した。

私の失敗から得た教訓を、皆さんの成功の源にして欲しい。

皆さんが最高のキャンパスライフを送れることを願い、これから4記事に渡り、不器用なりに精一杯頑張ってきた私の生き様をとくとお見せする予定である。

 

それでは始めよう。

4月:強烈なホームシック・新歓失敗

ホームシック

4/1から一人暮らしを開始して、まず最初の夜に困ったのが強烈なホームシック

私の実家は広島にあるので北大に通うために札幌で一人暮らしをさせてもらったのだが、遠く離れた海の向こうの地元が急に恋しくなってしまってベッドの中で思わず涙が出てきたのである。

  • テレビをつけてもカープの選手のCMは流れていないし
  • スーパーに行ってもカープの応援歌は流れていないし
  • 札幌には知り合いが一人もいないし
  • 光熱費節約のために石油ストーブを付けずに寝ようとしたら寒すぎて眠れなかったので

札幌生活一日目にして、早くも広島へ帰りたくて帰りたくて仕方がなくなった。

 

とはいえ、せっかく浪人までして入った大学を辞める訳にはいかなかったので、(これからは一人で生きて行かなくちゃ!)と自分を奮い立たせ、寂しさをこらえて強い心を養うことにした。

私と同い年で自活している人間など世間にごまんといるのだから、いつまでも寂しがっていてどうするんだよと少々無理に自分を鼓舞してその日はどうにか眠りにつけた。

また、4/5にクラスのオリエンテーションが予定されていたのをふと思い出したため、(そこで友達を作ればこの寂しさも幾ばくか軽減されるのではないか?)と楽観的に考えた。

寂しさを抱えているのはみな同じだと思うし、異郷の地で友人がいないのも条件は一緒なはずだから、寂しいもの同士でつるんでいれば、いずれは札幌生活が楽しくなるだろうと思ったのである。

 

4/5の朝、北大に入って最初の行事であるクラスオリエンテーションが行われた。

そして、勇気を出して近くにいた人へ片っ端から声をかけてみた結果、私の隣に座っていた男子(Hくん)が私と同じ広島出身であるという事実が判明した。

オリエンテーションの前は(友達できなかったらどうしよう…)と不安だったのにすんなりと友達ができてしまったし、さらにそいつは同じ地元出身だったという奇跡のような出来事。

Hくんも友達ができるか不安だったようなので、どうやら私とHくんはwin-winの関係を築けたようである。

ちなみに、私と同じくHくんも総合理系で、何と2年次からの学部・学科が同じ所になった。更に驚くべきことに、4年次の研究室配属でも研究室が一緒になった。地元が一緒で基礎クラスも一緒、学部学科が一緒で研究室まで一緒。いったいどうした巡り合わせであろうか…?

 

Hくんと知り合えたのがきっかけで、私のホームシックは急速に改善傾向になった。

  • Hくんと広島弁で話したおかげで広島弁を忘れずに済んだし
  • 私の広島弁を面白がって話しかけてくれた学生と新たな交友関係を築けたし
  • クラスラインに入れてもらって過去問を得たおかげで試験対策が一気に楽になったし
  • 自分の頭では解決できない問題を相談できる賢い友人のおかげで高い移行点が見込めそうだったので

崩壊しかけていた私のメンタルは一気に修復され、大学生活に希望を持てるようになった。

余りの不安に体重が3kgも減ってしまっていたのだが、ストレスが軽減されるにつれて入学以前の体格まで徐々に回復していった。

北大にはこのようなクラス制度があり、北大に入学した全学生は必ずどこかのクラスに所属する。コロナ騒動の今年はこうした対面でのオリエンテーションがあるか分からないが、もしあればそこで知り合いを作る事をオススメする。高校までとは違い、大学では自分から行動を起こさないと友達一人作る事が出来ない。もちろん相性の合わない奴と無理に付き合う必要はないけれど、知り合いが多いほどテストの過去問も手に入りやすいため、一年次(特に進路振分けのあるコースに入った人)は広く浅く交友関係を形成しておくことを推奨したい。

 

新歓失敗

私には、大学に入る前から目をつけていた部活があった。

それが北大馬術部である。

私がこの部活を気になっていたのは、小4から一浪の10年間乗馬をしていたためである。

自分は乗馬というスポーツに命をすくってもらった経験があり、

  • (大学生になっても乗馬をしたい!)と強く思っていたから
  • 毎朝馬に乗ってから大学に行ける馬術部があまりに魅力的に思えたから

この2つの理由で、入学前から毎日ホームページを訪問したり試合の動画を見たりと入部を真剣に検討していたのである。

 

クラスオリエンテーション実施日の夜、教養棟前で色々な部活がのぼりを掲げて新入生呼び込みに精を出していた。

そんな中で私が向かった先は、もちろん馬術部の新歓である。

他の部活に行く事なんて全く考えていなかったし、新歓で先輩から部活の様子を確認したらその場で「入部します」と宣言するつもりだった

(馬術部ってどんな部活なのだろう?)とワクワクしながら、北大の18条門を出てすぐの「時館(じかん)」というお店に馬術部の先輩たちと歩いていった。

 

レストランに案内されて席に着くと、各テーブルで固まった一年生同士で自己紹介など軽く会話を交わした。

そして、ある程度話題が尽きると、今度は先輩に対して私が部活の様子を色々と尋ねる段になった。

  • 何時から部活が始まるんですか?
  • 餌やりの当番はどんな感じで割り振られるのですか?
  • 馬術経験者と未経験者の割合は何対何ですか?
  • ぶっちゃけ、馬術部ってブラックですか?

などなど、気になる事をどんどん質問していった。

私たちのテーブルに座った方は非常に素直な先輩(Kさん)で、「ブラックですか?」という質問にも「うん、ブラックだよ♪」と爽やかに返してくれて一同爆笑の嵐だった。

 

気になっていることを全て確認し、(馬術部に入っても大丈夫そうだ)と思ったので、ブラックだよ♪と返事してくれたKさんに

かめ
先輩、馬術部入ります!

と宣言した。

すると、Kさんは

Kさん
一度朝練を見学してみるといいかもよ

とご親切に仰ってくれた。

という事で、私は新歓が実施された週の週末に朝練を見学する約束をし、新歓でおごってくれた先輩たちに何度もお礼の言葉を述べ、暗い道のりをスキップしながら意気揚々と帰宅した。

これから始まろうとしている楽しい馬術部生活を考えるとついつい興奮してしまって、新歓に行った日の夜は全く眠れなかったことをよく覚えている。

 

オリエンテーションの翌日に入学式に赴き、その翌日か翌々日に馬術部の朝練の見学へ行った。

いきなり無断で厩舎に入ったらまずいだろうと思い、見学許可を得るために部室に顔を出すと、そこにはブラックだよ♪でお馴染みのKさんがいらっしゃり、それに加えて馬術部OBのNさんがいらっしゃった。(お二人は玄関で革靴の手入れをなさっていた)

私は新入りなので、新人らしく「おはようございます!」と述べながらお辞儀をすると、顔を上げた瞬間にNさんが「君の事は知ってるよ」とおっしゃったため、私は思わず腰が抜けそうになった。

どうやらKさんがNさんに私について色々と話したらしく、私を気に入ったNさんが私の情報をネットで調べた結果、

  • 私が過去に国体で優勝した経験のある事
  • Nさんと私が同じ中学・高校の出身である事

ここまで判明したようなのである。

 

オリエンテーションで出会ったHくんに次いで、馬術部で出会ったNさんも広島出身である。

しかもNさんは私と同じ中高出身だと分かったから、(どこかで神様が仕組んだのではないだろうか)と疑いたくなるほどの縁に驚愕せずにはいられなかった。

広島から北大に進学する人なんて本当に僅かなのに、こんな高確率で出会うなんてどうした事か。

”これはきっと馬術部に入りなさいって事なのだろうな”と、馬術部入部の決意がますます硬くなった。

 

朝練を見て、ここで馬術に没頭できたら面白そうだと思った私は、部室に戻って入部届を貰い、その場で記入し提出して家に帰った。

家に帰り、昼飯を買いに行こうと準備していると、朝練終了後に連絡先を交換したY先輩から

Y先輩
オレとKと3人でラーメン食いに行こうぜ

というありがたいお誘いを頂いた。

私は

かめ
ぜひ連れて行ってください!

と直ちに返し、馬術部の近所の美味しいラーメン屋さんに連れて行ってもらった。

 

美味しくラーメンを食べていると、急にY先輩が

Y先輩
ここだけの話…実はな、馬術部ってブラックなんやで

とおもむろに口を開き始めた。

ブラックな事は既にKさんから新歓で聞いていたので「知ってますよ」と答えたのだが、Y先輩の話によると、どうやら馬術部は私の想像以上に過酷な部活のようだった。

  • 授業があるのに馬術部のバイトへ行かなきゃいけない事があるし
  • そこで稼いだバイト代も全て部活の運営費用に回されるし
  • 口は出すけどお金は出さない老害OBがいるし
  • 夜のえさやり当番に当たった男子部員は部室に泊まって馬が逃げ出さないか見張っていないといけないし

ブラックどころではなく、私が数十分前に入った部活はブラックホールだったということがY先輩のぶっちゃけ話によって発覚した。

「これを知っていれば馬術部に入らなかったのに~」と冗談半分でYさんに言うと、「せやろ?せやから入部するまで黙っとったんやで」と鮮やかに切り返されて何も言えなくなってしまった。

 

私が総合理系ではなく学部別入試で大学に入っていれば、こんなブラックな部活でも根性で食らいついていっただろう。

しかし、私は総合理系だから行きたい学部へ行くために高い移行点を取らなくてはならないし、部活にかかりっきりになるのではなく勉強もしっかり頑張りたいと思っていたので、ここにきて(本当に馬術部に入って良かったのだろうか?)と自分の決断を疑うまでになった。

また、私は1年前期に自然科学実験というハードな授業を取らねばならず、Y先輩たちとラーメンを食べたその翌週にあった初回実験で課されたあまりの課題の多さを前にして、絶対に文武両道を体現するぞという信念、部活と勉強を両立する自信が木っ端みじんに砕け散ってしまったのである。

  • レポートは手書きだったし
  • レポートの提出期限は実験の一週間後だったし
  • 課題は全く意味が分からなかったし
  • そもそも実験中に実験ノートに書いた字が汚すぎて自分でも読めなかったし

私には馬術部と勉強を両立できる未来が全く描けなかった。

 

ということで、入部届を出したその翌週の週末、大雨が降っていた土曜日に私は馬術部の部室まで行き、何度も謝りながら入部を撤回して頂いた。

かめ
部活はやりたくて仕方がありませんが、僕には部活と勉強を両立できそうにありません
かめ
前期で十分高い移行点を取り、行きたい学部へ行ける見通しが立てば、後期から部活に入らせて下さい

泣きそうになりながらこのように申し上げて、前に書いた入部届を返してもらった。

 

入部届を撤回したごろには新歓も終盤に差し掛かっており、私が興味を持てそうな団体は既に新歓を切り上げてしまっていたため、私の大学生活は”大学生なら入っているであろう部活やサークルに一切所属していない”という、私が家で死んでいても誰も気づいてくれないような危機的状況になっていた。

馬術部に入る気満々で大学に入ったのに、馬術部どころかどこの団体にも入れていなかった。

その事を友人のHくんに相談すると、Hくんが北大広島県人会という団体を紹介してくれて、Hくんの紹介で私は滑り込みで県人会に加入できた。

ただ、県人会は大学祭でのお好み焼き屋台の出店をメインの活動に据えているため”自分の居場所”と言えるほどの団体ではなかったし、更にはテニサーや他のサークルみたいに年中活動しているわけではなかったので、私の新歓での立ち振る舞いは完全なる失敗という形で幕を下ろした。

新歓ではできるかぎり沢山の団体に顔を出し、少しでも多くの選択肢から自分に合った団体を見つけると良い。なぜならば、私のように早い段階で一つの部活に絞り込んでしまったら、その団体に入る気がなくなった瞬間に詰んでしまうからである。新歓では新入生がお金を払う事は基本的にないため、タダで飯にありつけると思って色々な団体の話を聞きに行くと良い。もしかしたら大学に入る前には知りもしなかった興味深いサークルに出会えるかもしれないから、新入生の皆さんには新歓にどんどん行ってもらいたいと思っている。

 

5月:絶望の日々にランニングと出会う

絶望の日々

馬術部には入れなかったし、馬術部に入る事しか考えていなかったため他の団体に入りそびれた。

私の唯一の友人と言っても過言ではないHくんは部活仲間とワイワイ楽しそうにしていたから、私は大学へ通っているにもかかわらずスーパーのレジ係と話す時しか口を開かないという、華の大学生活とは真逆で、もはやニートと言っても過言ではない日々を過ごしていた。

周囲の学生が楽しそうにしている様子を見るのは浪人時代の何倍も辛かった。

浪人時代に通っていた予備校では予備校生全員が悲痛な思いを抱いて勉強していたので(辛いのは自分だけじゃないんだ)という仲間意識が芽生えたのに対し、北大では気軽に話せる友達がいなかったので、(辛いのは自分だけじゃないか…)と、周りが楽しそうにしていればしているほど胸がぎゅうぎゅう締めつけられたのである

浪人が終わったら楽になると思っていたのに、実際の大学生活は浪人時代の何倍も苦しかった。「華の大学生活なんて誰が言った!大嘘やないか…」と一人で何度もぼやいていた。

 

大学ではほとんど人と話せないし、学外に知り合いがいなかったので家でも悶々としているしかない。

私の大学生活で一番辛かったのがまさにこの時期、1年次の5月である。

あまりのストレスに首から足先まで蕁麻疹ができてしまったし、食べ物が喉を通らず3日間ほど何も食べられなかったこともあった

私のクラスメートが毎日楽しそうに登校する様子を見て、

  • いったい何がそんなに楽しいのだろう…?
  • 同じタイミングで入学したはずなのに、私と彼らでどうしてここまで違うのだろう…?

と不思議で不思議で仕方がなかった。

 

ひょんなことからランニングと出会う

この絶望感から逃れるため、私は教室の隅で化学Iの講義を受けている最中にスマホでこそっとストレス解消法を検索した。

すると、検索順位1位のサイトで、一番お金がかからないスポーツとしてランニングが紹介されていた。

かめ
こんなどうしようもない私でも、ランニングをやったらスッキリするんじゃないか?

そう考えて、私は大学から帰ったら走ることに決めた。

乗馬をやっていたおかげで運動する事には抵抗を感じなかったし、馬術競技の体力作りのため週2ぐらいでジョギングをやっていたから走るのも決して嫌いではなかったのである。

 

広島からたまたま持ってきていたボロボロでブカブカの運動靴を足にまとい、玄関を出た瞬間、私は鬱憤を吹っ飛ばすかのように全速力で外をダッシュした。

  • ブワッと全身から噴き出す大粒の汗
  • ガツンと上がる心拍数
  • 風を切り裂く爽快感
  • 止まった時の疲労感

全てが本当に心地良く、生きている喜びを久々に噛みしめられた。

大学では体育学Iの抽選に外れてしまったので体育を受けられず、こうして運動すること自体が本当に久々だった。

かめ
そうか。自分に足らないものはコレだったんだ!

探していたパズルのピースがようやく見つかり、遅ればせながら私の大学生活が始まったのである。

 

大学では相変わらず話し相手に乏しかった。

しかし、ランニングはどんな辛い事だって忘れさせてくれたし、おまけに己のプライドまで復活させてくれた。

  • 教室内でイチャイチャしているカップルが羨ましくなっても(私にもいずれ春が来るだろう)と思えたし
  • 北部食堂で部活仲間と楽しそうにご飯を食べる面々を見ても(オレはぼっち飯の方が気楽なんだ)と発想を切り替えられたし
  • 自分で用意した食事がどれだけ貧相であってもランニングから帰って疲れた状態ならば何でもおいしく感じられた
  • 運動習慣を失って少しずつ太っていく同期を観察すれば(ちゃんと運動している自分はなんて優秀なのだろう!)と優越感に浸る事ができたし

いつの間にか、ランニングは私にとって欠かせないものになっていたのだ。

 

ここで出会ったランニングが、のちのち私の人生観を大きく変える。

もちろん当時の私はそんな事を知る由もない。

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2020-09-10

6月~7月:広島県人会で大騒ぎ・TOEFL-ITPで優秀認定

広島県人会

Facebookより引用

 

起死回生の一手として始めたランニングのおかげで私の心は徐々に上向いていった。

そして、タイミング良く大学祭(楡陵祭・・・”ゆりょうさい”と読む)の時期がやってきた。

広島県人会の屋台出店の準備をすべく、私の日常は急に慌ただしくなった。

  • 鉄板でお好み焼きを作る練習をしに江別のお好み焼き屋さんまでみんなで行ったり
  • B4の先輩の家でキャベツの千切りの練習をしたり
  • テントを張って鉄板を設置したり
  • 「前夜祭」と称して何日間か連続で夜に飲み会を実施したり(もはや前夜祭ではない笑)

刺激に飢えていた私にとって、広島県人会のお祭りムードは楽しくて楽しくて仕方がなかったのである。

 

6月第一週目の金・土・日に楡陵祭があり、我々広島県人会は金曜の昼から日曜の夕方まで営業時間の許す限りず~っとお好み焼きを焼き続けた。

私の基礎クラスも何やら出店を構えていたようだが、基礎クラスよりも県人会にいた方が居心地が良かったので基礎クラスのお店にはほとんど顔を出さなかった。

県人会において、私はキャベツを千切りし続ける係を担当した。

段ボール箱から丸々太った北海道産のキャベツを引っ張り出し、先輩の家の中で朝から晩までキャベツを切り続け、100ℓのビニール袋が千切りキャベツがパンパンに詰まったらそれを担いで屋台までダッシュで向かい、熱い鉄板の前でお好み焼きを焼き続ける仲間たちにキャベツを託すところまでが私に任された仕事であった。

 

結局、広島県人会は大学祭3日間で120万円ほど売り上げたようだ。

そのお金を使い、我々県人会は平岸のトリトンという寿司屋を貸し切って、県人会の打ち上げで恒例となっている寿司食べ放題を実施した。

私の手は大変キャベツ臭かったが、自分で頑張って稼いだお金で食べるお寿司は格別だった。

  • 口に入れた瞬間とろけるウニ
  • お皿からはみ出るほど大きなアナゴ
  • 見た目は好きじゃなかったけど食べてみたら美味しかったホタテ
  • 噛み切れないほど弾力がある白身魚

これら全てを無料で味わえて、(私は何と幸せな大学生活を送っているんだ…)としみじみ感じたものである。

ちなみに、我々広島県人会は一晩で642皿のお寿司を平らげた。会計はなんと20万円オーバーだったらしい。

 

TOEFL-ITP

そんな楽しい大学祭から2週間後にTOEFL-ITPという英語の試験を受けた。

受けたと言っても自発的に受験したのではなく、北大の英語IIの授業の一環(中間試験の代わりという扱いだった気がする)として強制的に受けさせられたのである。

大半の学生が大学祭ロスに苦しんでいる中、私はこの試験で”一発かましてやろう”と意気込んでいた。

というのも、この試験で高成績をとれば、後期の英語の授業を受けなくて済む可能性があるためである。

 

国際的に通用する人材を育てるため、北大学務部は英語を必修科目として全員に履修を求めている。

そして、ただ履修させるだけではなく、もし試験で良い成績をとったら後期の英語の成績評価をAにするというインセンティブを設けてくれているのだ。(いわゆるアメとムチである)

後期になれば雪が積もるし、寒いのは苦手だから少しでも家でぬくぬくしたいと思っていた私にとって、”受ける授業が減る”というこのインセンティブ制度は大変魅力的であったのだ。

TOEFLで高成績をとれば前期の英語IIの成績はもちろん良くなるし、おまけに後期の英語III,Ⅳを受けずともAをもらえるので、(絶対に優秀認定をもらって後期を楽にするぞ)という思いを抱き、気合十分で英語の勉強をバリバリ頑張った。

 

実は、

  • TOEFLを授業の一環として受験する事
  • 優秀認定が存在する事

これらは北大に入学する前から知っていた。

合格通知書と共に送られてきた膨大なパンフレットのどこかにちょろっと書かれてあったために、私は北大に入る前からTOEFLの対策を行っていたのである。

受験が終わってすぐの時期はさすがにあまりガツガツ勉強する気にはならなかったが、英語の感覚を忘れてしまっては困るからTOEFLに出てくる単語を毎日少しずつ覚えていって試験対策とした。

のちに優秀認定を取った友人と話した際、その友人は5月から対策を始めたと言っていたから、北大に入る前の3月の段階から対策を始めた私の例は極めて特殊なのではないだろうか。

 

使用した単語帳は東進の本である。

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毎日200~300個ずつ単語に目を通し、覚えては忘れ、覚えては忘れて習得した。

 

試験3週間前からは、文法・長文読解・リスニングの各パートを個別に対策した。

以下の3つの本を生協で購入し、起床してから大学に行くまでの時間と夕食を食べてから寝るまでの時間を活用して、受験時代と同じぐらいの集中力で必死に対策を行っていった。

 

対策の効果もあり、本番では制限時間ギリギリに完答できた。

そして、試験から1か月後に返却された試験結果は、当時の優秀認定の基準を10点上回る540点だった。

540という数字を見た瞬間、私は教室内で「いょっしゃー!!!!!」と雄たけびを上げた。

優秀認定者の中では最下位に近い成績だったが優秀認定を取れたのだから問題ないし、これで後期のコマ数が週2コマ減るかと思うと小躍りしたいぐらい嬉しかった。

北大の現在の優秀認定の基準は550点ぐらいだと誰かから聞いた。とりあえず優秀認定基準が上がったのは間違いないので、その点は各自で確認しておいてもらいたい。

 

8月:長期休業と同時に地獄再来・札幌競馬場で短期バイト

地獄再来

8月初旬、私は期末テストの集中砲火を受けた。

一日2つテストがある事も珍しくなかったために一つのテストが終わっても全く気が抜けなかったし、総合理系だったために嫌いな科目でも高い移行点を確保するため受験時代並みに勉強を頑張った。

一番大変だったのが生物学Iのテストだ。

生物は私の大の苦手科目であるが、そんな生物でも最低でもA⁻をとらないと行きたい学部には行けなかったので、高成績をとるべくレーブン・ジョンソン生物学(めっちゃ分厚い教科書)の内容を何度も紙に書いたり音読したりして頭の中に詰め込んだのをよく覚えている。

 

テスト祭りをどうにか乗り切り、長い長い夏休みがやってきた。

私の周囲にいた大半の大学生はこの長期休暇を待ち望んでいたようだが私は夏休みの到来を全く喜んではいなかった

なぜならば、ただでさえ部活やサークルに入っていないからヒマでヒマで仕方がないのに、夏休みに入ったら授業がなくなるせいでもっとヒマになるため時間の使い方に困って途方に暮れてしまうだろうからである。

広島県人会で騒いだのとTOEFL-ITPで優秀認定を貰ったおかげで私のメンタルは回復傾向にあったものの、ヒマになって誰とも話さなくなると絶対に調子がおかしくなると分かっていたから私は夏休みの襲来を誰よりも恐れていた。

 

案の定、夏休みは地獄だった。

夏休みにやる事といえば日課にしていたランニングぐらいだったし、走り終わって一息つくともう何もやる事がない。

私がクラスで知り合った奴らはみなサークルの連中と一緒に旅行に出かけていたが、私は自由に使えるお金がなかったのでふらっと旅行に行く事すらできなかった。

あまりに辛すぎて毎日止めどなく涙が出てきたし、

  • 自分は何で生きているのだろう…?
  • 本当に生きている価値ってあるのだろうか…?

などと悩んでも仕方がないことばかり考えていた。

 

ヒマでヒマで仕方がなかった私は、札幌駅の隣にある紀伊国屋書店に行き、当時大流行していたアドラー心理学の本(嫌われる勇気)を購入し、人生についてちょっと考えてみることにした。

しかし、この決断は、私のメンタルをさらに傷つける結果になった。

嫌われる勇気は他者との人間関係が”ある”前提でストーリーが進んでいくが、私はそもそも友達が少なく、悩み苦しむほどの人間関係を誰とも構築できていなかったから、アドラー心理学によって”友達がいない”事実がよりハッキリしてしまったのである

かめ
何でこんな本を選んだのだろう…?

生きる意味を見出すために本を購入したのに、読んでみると、生きる意味を見失うという最悪のリターンがもたらされただけだったのだ。

 

とうとう錯乱してしまった当時の私は、生きる意味が見いだせないのを環境のせいにしようとした。

そして、この環境を打開するため、仮面浪人して別の大学を目指す事を思いついた。

だが、そんな意志も3日と持たなかった。

仮面浪人を成功させるには強い気持ちが必要なのに、夏休みに衰弱した私にはもはや勉強する気力すら残されていなかったし、もしこんな状態で仮面浪人に挑めば受験に不合格になるどころか北大の中でさえも居場所を完全に失ってしまうと思ったので、私は環境を変える企てを断念することにした。

このように、人間は時間を持て余すとろくなことにならないので、新入生の皆さんはヒマな状況をなるべく作らないよう気を付けて欲しい。もし長期休暇の時間の使い方に困ったら、一人で悩み苦しむよりも実家に帰省してボーっとしていた方がよっぽど精神衛生に良いだろう。

【週に1度は必ず行く】紀伊国屋書店札幌本店を7項目から徹底評価します

2021-02-09

札幌競馬場で清掃バイト

そんな苦しい夏休みだったが、唯一週末だけは辛さから逃れられた。

なぜなら、私は8月の毎週末に競馬場清掃のバイトをしていたからである。

バイト開始前は(清掃バイトなんて楽勝だろ笑)と考えていた。

しかし、その考えの甘かった事は勤務初日によく分かった。

 

競馬場は巨大な娯楽施設であり、来場客は競馬新聞やビールなど次々とゴミを捨てていく。

だから備え付けのごみ箱は一瞬でパンパンになってしまうし、ゴミ袋を交換して一息つこうとしたら既に次のゴミ袋が満杯になっていた。

まだゴミ箱に捨ててくれる人は良識のある方で、およそ3割の来場客はその場にゴミを放置して帰ってしまう。

中にはマークシートを記入するための緑色の鉛筆を芝生に刺して帰っちゃう人がいるため、来場客が全員帰ってからもそうした発見困難なごみを捜索するため暗くなるまで作業は続いた。

 

清掃バイトで一番辛かったのが、札幌競馬のメインイベントである札幌記念があった日だ。

普段の来場客は1万5千人ぐらいなのにその日は3万人か4万人ものお客さんが来場したため私たち清掃員は競馬場内を駆け回ってゴミ処理に忙殺されたし、レース終了後の〆作業は嘔吐物で汚れた床をピカピカになるまで磨き上げるべく(朝8時から)夜9時ぐらいまで働いていた。

札幌記念の日は体中が筋肉痛になり、床に落ちているごみをトングで拾って回収したため特に腰痛が酷かった。

まさか清掃作業がこんなに辛いなんて思いもしなかった…もし知っていたら、このバイトには申し込まなかっただろう。

 

私が競馬場バイトで得た教訓は、絶対に競馬なんてやらないでおこうというものだった。

そもそも競馬なんて当たる確率が低いのだからやっても損するだけだと分かったし、馬券が外れた悔しさで馬券をビリビリに破いて散らかす老人を見ていたら(こんな人にはなりたくない)と感じずにはいられなかった。

また、鞭でバシバシ馬を叩く騎手を見ていたら(何でそんな酷い事をするんだ…)ともどかしくなったし、レース中に転倒して動けなくなってしまった馬が運ばれるのを目にすると(あの子も馬肉になっちゃうんだろうなぁ…)と悲しくなってしまった。

こうした娯楽にハマる人の気持ちが正直全く分からないのだが、”全く分からないという事が分かった”という意味で清掃バイトをやって良かったと言えるだろう。

 

また、この清掃バイトは本当にきつくて大変だったが、時給がそれなりに良かったおかげで10万円もの収入を得ることができた。

お金がなかったから一人で悶々としていたのであって、お金さえあれば北海道を飛び出しどこへだって行けるのである。

10万もの大金を手にした私は道外のマラソンレースに出場した。

次章では東京の赤羽マラソンに出場した時の事を書いていく。

 

9月:東京の赤羽ハーフマラソンに出場・ひょんなことから馬術部に入る。

ハーフマラソン出場

夏休みに入ってあまりにも暇だったのでほぼ毎日走っていた所、みるみるうちにスタミナがついてきたのでそろそろ腕試しをしたくなった。

また、何の目的もなしにただランニングするのは面白みがなく、何か出場するレースを決めて、目標タイム突破目指してランニングできればやりがいもあるのではないだろうかと考えた。

そこで、夏休みの間に出場できるレースを探した時、まだエントリーを募集しているいくつかのレースが候補に挙がった。

その中には北海道のレースもあったのだが、北海道のレースなんていつでも出られるだろうし、せっかくなら北海道を飛び出して遠征したら楽しいんじゃないかと思い、東京都北区赤羽マラソン(ハーフの部)にエントリー&入金したのである。

 

エントリー代やホテル代はクレジットカードで賄って、一か月後に迫った支払いのために私は清掃バイトでせっせとお金を稼いだ。

そして、週末にボロボロになった体を引きずるように平日はマラソン練習を行った。

当時は練習法なんて知らなかったから、ジョギングしかやらなかった。

本当に走り切れるか不安でいっぱいだったが、気合いと根性でどうにかなるさ♪と割り切り不安を揉み消していた。

 

大会前日、札幌駅から快速エアポートで新千歳空港に向かい、正午に出発する便で羽田へ向かって離陸した。

着陸の衝撃で目が覚めて窓の外を見ると、海の向こうにぎっしりとビルが建っているのを確認した。

首都の発達具合を目にした私は無意識に武者震いしていた。

札幌にはあんなビル群は存在しないので、見慣れないビル群がそこら中にある東京のスケールに強く興奮したのである。

 

飛行機から空港内に入るボーディングブリッジは非常に蒸し暑かった。

それもそのはず、その日の東京は最高気温が35℃以上あったので、札幌のカラッとした涼しい夏に慣れていた私にとって、東京の暑さはほとんど耐えられないものであったのだ。

(明日はこんな暑い中走らなくちゃならないのか…)と少々落ち込みつつも、”苦労してためたお金でようやくつかみ取ったチャンスなのだから絶対に無駄にしないぞ”と気持ちを奮い立たせて前向きになった。

羽田の地下の京急乗り場へ行き、品川で京浜東北線に乗り換え、しばらく揺られて赤羽に到着した。

 

レース当日の朝はいつも通りの時間に起床した。

そして、スタート会場までの道のりを確認し、レースウェアに着替えていざ出発した。

しかし、ちゃんと道を確認したはずなのに、なんと迷子になってしまった。(私は重度の方向音痴である)

乗った地下鉄は間違っていなかったものの進行方向を間違えてしまい、そこから会場までダッシュで向かい、スタート位置に着いた時にはレース開始の10分前だった。

 

蒸し暑い中で荷物を背負いダッシュしたため既にヘトヘトだったものの、良いウォーミングアップになったと割り切り静かに列へと加わった。

そして、ランナーがぞろぞろ前へ動き出した事からいつの間にかレースが始まったのを察知した。

とにかくイーブンペースで走り切る計画だったため、私はスタートダッシュせずに気持ちの良いペースで走り出した。

ちょうど私と同じぐらいのペースで走るおじさんを見つけたため、私はその方と並走してペースを維持する作戦をとった。

 

赤羽マラソンは荒川の河川敷を走るため基本的にはフラットなコースなのだが、コースの一部に強烈な上り坂があるためそこをどう乗り切るかがレースのポイントとなった。

また、当時の私は上り坂の走り方なんて知らなかったので、私は平地と同様にその激坂を走ろうとした。

ただ、そこでふくらはぎを使いすぎたせいで、なんと足が痙攣してしまったのである。

痙攣してからは足を前に運ぶので精一杯。30℃を超える暑さの中、私は必死にゴールを目指した。

 

足が痙攣してからゴールするまでの事はあまりよく覚えていない。

ただ朦朧として地面を這い、ハーフマラソンを1時間44分54秒(キロ5分ぐらい)で完走したのが私の初レースである。

熱中症にもなってしまい、ゴールしてからしばらくは地面に座ったまま動けなかった。

30分ほど休憩し、ようやく少し動けるようになった時、私の帰りの飛行機の時間がすぐそこまで迫っていたことを思い出して、足を引きずり赤羽駅まで向かったのだった。

 

ここでまさかの馬術部入部

過酷さの中に楽しみを見出し、私は完全にランニングの虜になってしまった。

ハーフマラソンによる筋肉痛が癒えてからは今まで以上に走っていたし、次はフルマラソンを走ってやるぞと意気込み毎日が非常に充実していた。

そんなある時、”馬術競技の全日本選手権が千歳のノーザンファームで実施される”という話が私の耳に入ったのである。

私は国体には出た経験があるが、全日本選手権には出たことがなかったので、(全日本ってどんな雰囲気何だろう?)と好奇心に突き動かされて、9月の中旬にノーザンファームへと足を運んだ。

 

全日本の舞台はきらびやかだった。

国体とは違い個人での出場だから選手たちは何のしがらみもなく楽しそうだったし人馬のレベルが非常に高く、凄い水準での競争が繰り広げられていた

乗馬少年だった時の知り合いとも会えたから言葉を交わしたし競技を見ているうちに少しずつ(乗馬をやりたい!)という思いが再燃してきた

私が北海道で乗馬をやるのに最もリーズナブルな方法は馬術部に入る事だったが、入部を撤回してしまった私はどの面を下げて馬術部に入ればよいのだろうかと途方に暮れることになった。

 

そうして一人でポツンと立っていると、会場でコースの設営を行っていた馬術部のY先輩が私に声をかけてくれた。

Y先輩
おお、かめ、お前何やってんねん
かめ
全日本やってるって聞いたから見に来ました
Y先輩
そうか。お前、最近何してんねん
かめ
ランニングやってます
Y先輩
乗馬はもうやらんのか
かめ
ホントはめちゃめちゃやりたいんですけど、入部を撤回しちゃったから、どの面下げて馬術部に入ればいいんだろうなって悩んでました
Y先輩
は?そんなの何も気にせんでえぇで。今度部活においでや。
かめ
えっ?!いいんですか?
Y先輩
おう。部活を辞めたわけちゃうから大丈夫やで

という事で、全日本大会の翌週、なんと私は半年ぶりに馬術部の敷地をまたいだのである。

 

高い移行点を獲得すべく必死に勉強したおかげで、前期はかなり良いGPA(3.76)を取る事ができていた。

これで志望学部(農学部)に行ける見通しが立ったし、勉強リズムが確立されたおかげで部活と勉強を共に頑張る自信も湧いてきた。

私の前にはもう、馬術部入部をためらう材料が何一つ転がっていなかった。

ブラックなのは覚悟の上で、私は馬術部への入部を決意した。

 

10月~3月:過酷だが楽しい馬術部生活・総合理系で希望のコースに進学

馬術部での生活

確かに、馬術部での生活は過酷を極めていた。

  • まだ日が出ていないうちから厩舎掃除を開始したし
  • 馬に乗るのはもちろん体力やパワーを使用するし
  • 部室の畳から発生するアレルギー物質に鼻がかゆくなってしまったし
  • 面倒くさいOBとのやり取りにかなり消耗させられたし

覚悟していたとはいえ、キツいものはキツかった。

 

しかし、一人ぼっちで悩み苦しんでいた前期の大学生活よりかは圧倒的に楽だった。

  • 部活の同期と楽しく会話できたし
  • 私の知らない乗馬技術を先輩から色々と教われたし
  • 困った時は誰かが相談に乗ってくれたし
  • あまりにも忙しすぎて余計な事を考えずに済んだからむしろ気楽になれたし

どうして前期から馬術部に入らなかったかなぁ..と後悔するほどだった。

 

途中から入部した私の事を、部員はみな歓迎してくれた。

特に同期の1年生は本当に優しくて、私が知らない部活のルールを教えてくれたり、馬術部に馴染めるようにと頻繁に食事へ誘ったりしてくれた。

中には「技術的に分からない事があればかめちゃんに聞けるから嬉しいわ♪」と言ってくれた人もいて、しばらく誰からも頼りにされなかった私は「よかった…」と返事しながら泣いてしまった。

もっと早くから馬術部生活を始めればよかったよ、本当に。

 

馬術部に入って3週間ほどすると、部活の運営費を稼ぐため、朝練終了後に乗馬クラブへと連行された。

バイトをする前は(あーあ、タダ働きか。嫌だなぁ…)と考えていたが、実際にやってみるとめちゃくちゃ楽しかった。

  • 厩舎掃除を終えたら乗馬クラブの馬に乗せてもらえたし
  • たまに乗馬クラブのスタッフさんが乗馬技術を教えてくれたし
  • 昼ご飯はお腹いっぱいになるまで食べさせてもらえたし
  • むしろ部活よりも待遇が良かったし

(私も乗馬クラブで働きたい)と思ってしまいそうなほど仕事は面白かった。

 

冬になり馬場に雪が積もっても、馬術部の活動は停止しない。

馬は生きものだから年中お世話する必要があるし雪がフカフカに積もれば雪上乗馬で土の上とは違った感覚を楽しめるからだ

毎朝の作業は凍える手を温める所からスタートし、馬に乗っている時は吹雪と戦い馬に十分運動させなくてはならない。

冬場は馬も脂肪をためやすいため、しっかりと運動させてあげなきゃ馬が丸々太ってしまうのである。

 

朝6時に作業を開始しても、冬の馬術部の朝練は10時ぐらいまでやっていた。

しかし、①前期にたくさん授業を履修していたのと②英語の優秀認定を貰っていたため後期は午前中に一つしか授業を済み、午前中に馬術部のこたつに入って体の芯までゆっくりと温めてから午後の授業へと向かうというまさに社長出勤の要領で後期の学生生活は進んでいったのである。

一生懸命勉強していて本当に良かった。

前期に自分なりに頑張ったおかげで後期に十分なゆとりを持たせられたから。

 

進路振分けで応マテに進学

後期は週10コマしかなかったので、一つ一つの期末試験に全力を注ぐことができた。

また、前期に苦しめられた自然科学実験は後期に受けなくて良くて楽だったし、苦手だった情報学も生物学も線形代数も受けずに済んだために心が非常に軽かった。

唯一苦しんだのが第二外国語のスペイン語対策なのだが、期末試験でなぜかヤマが的中しまくりA⁻を獲得するに至った。

後期のGPAは前期より高く、1年次トータルのGPAは3.76と、欲しかった成績をしっかりとれた。

【北海道大学】総合理系が辛い理由と辛くない理由を北大生が双方の立場から考察します

2021-01-29

 

3月になり、いよいよ進路振分けがスタートした。

当初の希望学科は農学部の生物環境工学科だったがここにきて工学部の金属系も魅力的に思えてきた

  • 農学部に行けば入学前からの目標は達成されるが、「本当に学びたい内容か?」と聞かれるとイマイチはっきりしなかったし
  • 工学部に行けば就職の心配をしなくて済むが、工学部に行くならわざわざ総合理系で北大に入らずとも他の大学(たとえば東北大)の学部別入試を受ければよかったじゃないかと思ってしまったし

私は第一振り分けの直前までどちらの学部を上に書くか迷っていた。

 

進路を決める決め手になったのは、私の父が工学部の冶金学科を卒業したという事実であった。

私の父は過去に鉄鋼メーカーに勤めていたために鉄の生産に関してすごく詳しかったし、金属の話を小さい頃から聞かされていた私にとって金属系学科に行くのは魅力的な選択肢となっていた。

農学部に行けばネームバリューは得られるけれど、興味のない勉強をするなんておそらくいつか耐えられなくなるだろう。

北大の応マテ(応用マテリアル工学コース)には農学部ほどのネームバリューはないけれど、父が面白いと思った分野なのだから私もきっと楽しめるに違いない…

 

ということで、私は土壇場になって応マテを第一志望にした。

そして、2年次からは応マテで北大生活を送ることが決まった。

入学前からの志望を捻じ曲げた事に対し、全く後悔していない。

農学部に行ってもきっとつまらなくて悩み苦しんだだろうし、肩書だけ立派で中身はすっからかんな人間になってしまっていただろうから。

【北大】総合理系のQ&A|内部生が語る

2020-09-18

 

以上が私の1年次の足跡である。

もし続編を作る気になれば、2年次、3年次、4年次の生活についても書いていこうと思う。

【新入生は是非読んで】大学生活の中でやって良かった5つの事

2021-03-06

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馬術競技からマラソンに転向した北大工学院のM1|国体馬術競技優勝&8回入賞|10000m36’33”|マラソン2°47’50”|100kmレース10°19’17”|英検準一級|TOEIC785点|ラン歴5年|乗馬歴10年|英語の学術論文2報(電気化学)|月間2万PVのブログ運営中|コメントやご相談はTwitterのDMまでお願いします。