私は現役北大4年生である。
この記事では、私がブログ執筆を始めたきっかけについて記していく。
過去のあらゆる出来事に何がしかの意味付けをしたかったから



まず最初の理由は、良い事や悪い事も含め、私が過去に経験したあらゆる出来事に何らかの意味を見出したいと思ったからである。
思い出を記録するためにブログを始めたというよりは、その思い出が当時の、そして現在の自分にとってどういった価値を持っているのかを考えるためにブログを手段として選んだのである。
私は”人生で無駄な事は何一つない”というポリシーを持っている。
私に関するあらゆる出来事は起こるべくして起こったのであり、その出来事がどうして起こったのかを考えるのが私の人生なのではないかと考えているのだ。
最近の人間は過去を振り返らない傾向があるという。(何だか老害みたいな事を言って申し訳ない)
しかし、それは非常に残念な事だと私は思う。
人類が歴史から学ぶように、我々イチ個人も自分史から様々な教訓を見出す事でよりスマートに生きて行けるのではないだろうか。
勉強材料はわざわざお金を支払わずとも既に自分の脳内へふんだんに蓄積されているのだから、自分だけのオリジナル教材をフル活用しないなんてもったいないじゃないか。
どんなに辛い出来事も、”その当時の自分にとって必要な事だったのだ”と理解できれば心がうんと軽くなる。
私は小4~中2の5年間、太り気味の体型やひねくれ気味の性格の事でずいぶんと同級生からいじめを受けてきたが、この経験をブログ執筆の過程で整理すると
- 心の痛みが分かるため弱い人にそっと寄り添ってあげられる自分がいると分かったり
- 調子に乗りがちな自分にとって戒めの教訓となる出来事だったのかもなと分かったり
いじめられ経験は様々な意味を持っていることが分かったのだ。
もちろん、認められるいじめなど現世にある訳ないのだが、少なくとも今の私にとってはいじめられ経験が大いにプラスに働いている。
辛い記憶から教訓を見出せ、良い思い出はかけがえのない成功体験として脳裏に刻み込めるのがブログ執筆の素晴らしい所である。
国語への苦手意識を払拭したかったから



次に、ブログを丸2年やってきた今でこそ苦手意識は薄れてきたが、ブロガーになる以前の私は文章を作ったり話したりすることが本当に苦手だった。
小さい頃から口数が少なかったし、いじめられ経験も相まって、脳にポッと浮かんできた考えを言語化できない子供だったのだ。(中学生当時の私なら”言語化できない”という事実すら言葉にできなかっただろう)
国語の成績は常に平均点以下だったし、圧倒的に低い国語力は大学受験でも私の足を引っ張りに引っ張った。
ブログなら文章を作り続けなきゃいけないわけだから、少しは国語への苦手意識が払拭されるんじゃないかと考えたのである。
これは何も、国語のテストの成績を上げるための方策である訳ではない。(もう大学生だから国語のテストを受けることもないだろうし)
そうではなく、基礎的な日本語処理能力、もっと言うと、自己表現能力を高めるためにブログを手段として選択したのだ。
言いたいことを機会を逃さずその場で表現するため、自分の考え・感覚・感情をきちんと具現化できるように、ブログ執筆を思考訓練道場としてチョイスした。
思考訓練としてのブログ執筆…この記事を作っている間も、私の前頭葉はフル回転して言葉を紡ぎ出している。
ブログを2年やっていると、自分の感情を記事の中でクリアに表せるようになってきた。
微妙な心の揺れ動きやニュアンスの違いをごまかすことなく文章にできるようになったし、2年前と比べても語彙力や表現力が格段に進歩したように考えられる。
その成果がリアルの場でも発現し、あれほど苦手だった他人とのコミュニケーションが(自分の中では)随分と上手く行っているように感じられるのだ。
いま大学入試の国語のテストを受けたら現役時代よりは良い点を取れるんじゃないか…?私がそんな淡い希望を持てるようになったのは、試しにブログ執筆をやってみたおかげである。
高校で合格体験記を書かせてもらえなかったから



これが最も大きな理由である。
私がブログ執筆を始めた最後にして最大の理由は、大学受験に合格した際、高校が毎年発行している合格体験記に自身の体験を書かせてもらえなかったためである。
私は現役時代、京大農学部を受験し不合格となった。
そして、一年の浪人生活における苦闘の末、どうにか北海道大学に合格できた。
広島東照宮の境内で合格を確認したその足で私は高校へと向かい、高3当時の担任へ「合格しました!!」という報告をした。
担任からは「おめでとう^^」と言われたが、別れ際に「お前は合格体験記を書かなくて良いから」と言われ、思わず崩れ落ちそうになった。
別に私は合格体験記を書きたいがために受験を頑張ったのではない。
大卒資格を得て将来の選択肢を広げるために受験に挑もうと自分の意志で決断したし、(少しでも良い未来を描けるなら)と考え、地元の広島大学ではなく全国区の難関大学へ進学しようと決意したのだ。
しかし、私の高校では例年、旧帝大の合格者はほぼ全員が合格体験記を執筆させてもらっていたため、北大に合格した私も(後輩が私のような過ちを犯さないためのアドバイスを残してあげられるかな)と思って体験記を書く気満々でいたのである。
そんな矢先にこの宣告。先生、あまりにもむごいのではないでしょうか…?
確かに、私の授業態度はかなり悪かった。
- あまりにも授業がつまらなかったから大半の授業で内職していたし
- 高3では学校をサボって家で勉強していたこともあったし
模範的生徒とは程遠い有様であった。
しかし、自分で言うのもアレだが、国体馬術競技で4年連続優勝・入賞して学校の名を全国に轟かせて広報の役割を担っていたのも事実だし、真面目に一生懸命勉強して合格しました系の合格体験記よりはずっと面白い文章を書ける自信があった。
なのに私の苦闘経験は私の高校の後輩に伝わらずじまい…だからせめてネット上で私の経験をシェアできればと思い、ブログ執筆を始めたのである。
授業態度が悪かった生徒に体験記を書かせるわけにはいかない高校側の気持ちは分からなくもない。
”授業中に教室の最前列で堂々とおにぎりを食べ、コツコツ内職しながら定期テストで校内4位をとりました!”なんて書いたら、バカらしくて誰も真面目に授業を受けていられなくなってしまうだろうからさ笑。
合格体験記を書かせてもらえないのならばと、誰にも文句を言われないブログという場で学校の雑誌に載せられないほどアレな内容を表現することにした。
校内雑誌とは違い、ブログなら日本語を読める全人類がアクセスできるわけだから、私の失敗談を世の中に届けるという意味ではむしろブログの方が適しているとさえ言えるだろう。
先生、あの時、合格体験記を書かせてくれなくてありがとうございました。
おかげで今、高校の合格体験記に寄稿していた場合より何千倍も自由に情報を公開出来ております。
もしあの時、体験記を書いていたら、今ごろ私の体験は進路資料室でホコリをかぶって埋もれていた事でしょう。
そんなのあまりに悲しいですから、私は合格体験記を書かなくて正解でした。
…とまぁ強がってみたが、書かせてもらえなかったのは非常に悔しかった。
だから、私に合格体験記を書かせなかったのを学校側が後悔するほど有益な情報を全受験生へ提供したいと思ったのだ。
(こんなに面白いヤツだったのなら書かせておいてやればよかった…)と学校側を後悔させられるように、私はブログ執筆の腕を日々鍛え続けている。
いつか研究面で有名人になって、学校に講演を頼まれるその日まで、私は復讐心を燃やし続けてブログ執筆を止めないでいる予定である。
私がブログ執筆を始めた理由は以上である。
自分の原点を振り返ることができて本当にスッキリした。
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