この記事では、サブスリーしたことで自分が変わった5つの点について書き記していく。
サブスリー達成前後での5つの変化
①体の感覚がより鋭くなった
②4’15”/kmが怖くなくなった
③ランナーでない人からも一目置かれるようになった
④マラソンの奥深さに気がついた
⑤ちょっと優しくなった間違いなく言えるのは「サブスリーは達成する価値のある物だ」という事。
— かめ@6/14いわて銀河100km (@hokudaineguse) January 20, 2020
Contents
体の感覚がより鋭くなった
サブスリーを達成する前は筋肉の動作にさほど敏感ではなかった。だがサブスリーしてからは体の微妙な左右差に敏感になったと感じている。私の場合は左半身の動きが硬く右半身の動きが柔らかいのだが、以前よりはるかに動きの柔軟性がの差を感じるようになったと思う。
それはバランスが悪くなったからではない。そうではなく、より速いペースで練習するようになったからだと私は考えている。より速く走ろうとすればするほど繊細な感覚がさらに研ぎ澄まされていく。そして体のビミョーなゆがみに気が付くようになっていったのではないか?と私は考えている。
繊細じゃないとよいフォームで走り続けることなんてできないはず。体が速い動きに適応していく過程で感覚が繊細になったのだろう。100mの選手はこの感覚が私よりはるかに鋭いんじゃないかな?
4’15″/kmが怖くなくなった
サブスリー達成以前は、4’15″/kmで走るとき







と思っていた。
サブスリーペースはおろか、4’20″/kmで走るのも若干辛かったほどである。肉体的・心肺的にはにはもちろん、精神的にもかなり追い込まれながら4’15″/kmというスピードを出していたのである。
だが、サブスリーしてからはサブスリーペースで余裕に走れるようになった。12月のオフシーズンのジョグ練習では楽に4’15″/kmで走れたし、1月の舗装路周回練習では快適に4’12″/kmで15km走ることができたのである。
劇的に肉体的な成長を遂げたわけではないし、外的には何ら変化は見られない。じゃあ何が変わったのだろうか?
メンタル面だ、と断言できる。
42.195kmを4’15″/kmで走り切れたことにより非常に大きな自信が得られた。今までは少し頑張らないと到達できなかったサブスリーペースが、自信のおかげで(4’15″/kmなんて余裕っしょ!!)と思えるようになったのである。ただの自己洗脳かもしれないが、本当に大きな進歩を遂げたと思う。
4’15”/kmが怖くなくなったことで2時間50分切りを目指せるキロ4分ペースがすぐそこに感じられるようになった。練習の工夫次第ですぐにサブエガもできるのではないかと考えている。
ランナーではない人からも一目置かれるようになった
ランナーは言わずもがな、ランナーではない人にとってもフルマラソン3時間切りをするというのはなかなか大変なことだと分かるらしい。
昨年の学生実験中の出来事。
不意に助教授から






と聞かれた。
そこで私は







と申し上げた。
すると助教の顔色がサッと変わり






とサンシャイン池崎も飛び上がるようなボリュームでお叫びになったのである。
あまりにも驚いたご様子だったので







と申し上げた。すると






と、今度はYouTubeの倍速再生機能も顔負けな圧倒的高音質での早口言葉で私を大いにほめたたえてくださった。
陸上競技とは最もかけ離れていそうな大学教授でさえサブスリーの難易度を分かっていらっしゃるのである。いわんや一般人をや。
感涙を流す寸前だったのを必死にこらえ、助教に







と申し上げた。すると






と圧倒的キレでもって切り返されてしまった。
調子に乗ってあんなことを言わなけりゃよかったと後悔している現在である。
”楽をしては成長を見込めない”
助教は厳しさでもって大事なことを教えて下さった。
マラソンの奥深さに気が付いた
大学入学当初より目標としていたサブスリーを達成し、一時は速さを追求するのに一区切りつけようと思っていた。今後はウルトラだけに出場し、全国各地の風光明媚な風景を見ながらまったりとジャーニーランを楽しもうかと思っていた。
だが、そうはならなかった。サブスリーした私はサブスリーしてからしか見えない世界に引きずり込まれてしまったのである。
サブスリーの世界には、マラソンを2時間50分で走れる人が大勢いらっしゃる。2時間40分を切れる方もいるし、市民ランナーなのにも関わらず2時間30分を切ってしまう化け物も存在するのである。サブスリーするまではそんなことは知らなかった。サブスリーして落ち着いてみて初めて知ったのである。
”サブスリー”とは全マラソンランナーの上位4%程度の狭い世界だ。だが、そんな狭い世界でも上には上がいるし、そのまた上も存在するのである。2時間5分50秒で走る大迫選手を頂点とするドデカい走力ピラミッドが私の上にあるのだ。
初めて知ったのは記録面だけではない。
これ以上は追求不可能だと思っていたフォーム面にも改良の余地がまだまだ残されていることが分かったし、シューズの使い方次第でまだまだ記録が上がるかもしれないという事も分かった。もっとうまく自己洗脳すれば現状から大きく飛躍できるかもしれないし、他にもまだまだ改善の余地がある分野があるかもしれないのである。
ただ走るだけなのに。
ただ腕を振って足を前に出し続けるだけなのに。
たったそれだけのコトなのに、こんなにも奥が深いのである。こんなにも奥が深いなんてサブスリーして見なきゃ気が付かなかったし、こんな面白い世界が広がっている事に気が付けた自分は大変幸運な人間だなと思った。
ちょっと優しくなった
最近






と言われることが多くなった。
サブスリーしたのを契機に今までのストイック生活に別れを告げることにした。すると私の性格が徐々に軟化していったらしいのである。自分ではその変化を感じることはないが、人から自身の変化について言及されることが多くなったようである。
模範的大学生である私は、サブスリーを達成するまで一日10時間をマラソン関連の事柄に費やしていた。飲み会にはほぼ行かなかったし、遊びにも行かなかった。毎日10時間、それを2年半以上、ランニングやランニング関連の情報収集に捧げていたのである。
これだけ修業のような生活を送っていれば自然と人当たりは悪くなる。常にピリピリしていたし、その事で大分彼女に迷惑をかけてしまっていた。彼女の歩行スピードが少しでも遅いと「もうちょっと速く歩いてよ」とピンプンしていたし、彼女が「かめちゃん、おんぶ!」と言ってきても「体のバランスが崩れるからイヤだ」と返事していたのだ。
申し訳ないとは思っていた。だが、それぐらいピリピリしていないと練習のモチベーションを保ち続けられなかったのである。迷惑をかけてしまった人間全員には申し訳ないと思っている。人に迷惑をかけて趣味をするなど、模範的大学生失格である…
だが、ストイック生活をやめた途端に私のピリピリ感が薄れていった。そして私は少しずつ人間味を帯びてきたようだ。徐々にではあるが大学の同級生とも打ち解け始め、少しずつ大学生活を楽しめるようになってきたのである。
この調子で行けば4年生の間にも華の大学生活を送ることができるようになるかもしれない。いい傾向だ。
最後に…
サブスリーするのとしないのとではみえる世界が全く違う。体の感覚がより敏感になるし、ランナーではない人からも一目置かれるようになる。上を見ればキリがない、本当に奥深い世界である。
だが、この世界に入るには生活をランニング中心にする必要がある。簡単には達成できない。平均ペース4’15″/km以内で42.195km走るという難関を越えなければならないのである。
サブスリーを達成するためには
・今まで交通機関で移動していたのを自分の足で移動してみる
・ダラダラしている時間を情報収集タイムにあてる
・休日朝は寝るのではなくロング走を行う
こういった生活の変化が必要である。
だが、社会人である皆さまにはお仕事がある。なので私のように一日中ランニングの事ばかり考えるのは不可能だろう。大切な家族がいらっしゃる場合は家族の事を優先した方がいいと思うし、ランニングは趣味なのだから仕事に支障をきたさない範囲内で行わなければならない。
仕事タイムと家族タイムとランニングタイム。これらの兼ね合いを上手くつけ、是非ともサブスリーという高みを目指して頂きたいと思っている。
以上である。






