華のサブスリーを達成したマラソンバカ3年生




 3月 出場レースの決定

札幌はこの時期になるとようやく雪がとけてくるのだが、路面凍結が怖く、まともに走ることができない。したがって、外で練習するのではなく家の中に引きこもってレーススケジュールをじっくりと練ることにした。

自分で作成したレース計画と目標は以下の通りである。

5/5 豊平川マラソン(ハーフ)90分切り目標

6/2 千歳JAL国際マラソン(フル)3時間5分切り目標

7/7 函館マラソン(ハーフ)87分切り目標

9/8 白山白川郷ウルトラマラソン(100km&準本命)

 10時間切り目標

11/10 さっぽろさよならマラソン(ハーフ)

 84分切り目標

11/24 富士山マラソン(フル&大本命)

 サブスリー目標

4月に走力の土台を作り、5月にサブスリーペースでハーフまで行く経験をしておく。

6月のフルでサブスリーまであとちょっとの所まで到達し、7月のハーフでサブスリーに対する余裕度を上げる。

8月は暑い中ジョグと坂道走と50km走で最大酸素摂取量をグイグイ引き上げ、9月のウルトラで念願のサブ10達成。

涼しくなってきた10月にスピード練習をガンガン行いスピードを付け、11月のハーフで総合力をアップさせ、富士山マラソン本番になだれ込む。

こうすれば確実にサブスリーできるだろうと考え、今年はこの計画で行く決心をした。

また、ランニングを最優先したかったので、マラソン大会に出るための軍資金を稼ぐバイトをやめることにした。バイトでストレスや疲労をためて翌日の練習に悪影響を生じさせないためであり、貯金してきたことにより大学4年生までの軍資金を十分に賄える見込みが立ったためである。

 4月:走力の基盤作り

4月はひたすらジョグに励んだ。本格的なスピード練習に備えて筋肉を強化したり、サブスリーペースで走っても心拍数が上がり過ぎないようにするためである。

ペース的にはキロ5分20秒~30秒ぐらい。シーズン序盤は体ができていないので負荷もこれぐらいがちょうどよい。シーズン終盤にかけてジョグのペースは自然と上がってくるはずなので、焦れずにこのペース帯でひたすら距離を踏んだ。

ケガが怖かったので、ジョグは毎回ウッドチップコースを走った。不整地ランニングのおかげで体の真下で着地できて地面からの反力を上手く利用できるようになったし、着地衝撃が少ないため故障もかなり抑えられた。なので、ウッドチップコースを走ってよかったと思っている。

ジョグだけでは5月に入ってすぐのハーフをまともに走れないだろうと考え、毎回の練習でジョグのラスト1kmをダッシュして練習を終えるようにしていた。こうすることでフォームが洗練され、かつ心肺機能もパワーアップし、さらには気持ちよく練習を終えられていた。

 5月:スピード強化

5月5日、10連休の終盤、ハーフマラソンに出場した。

大失敗であった。

目標ペースとしていたキロ4分15秒でわずか7kmしか走れず、残りの14kmをジョグで息絶え絶えに完走した。ラスト5kmはキロ5分すらオーバーした。タイムは1時間39分50秒。昨年の同時期(1:38:37)よりタイムが悪くなっていた。

 

失速の原因を”スピード練習不足”と断定し、気持ちを切り替えて6月のフルマラソンに向けて再出発した。

スピード不足を解消するため400mインターバル走に取り組んだ。だが、力いっぱい走り過ぎたせいでふくらはぎをケガした。

ジョグペースなら痛みが出なかったので、ジョグペースで距離を踏んでスタミナをつけることにした。最長で25km、キロ5分30秒ぐらいで走っていた。

そうして不安でいっぱいの中6月2日の千歳JALマラソンに挑むことになる。

 6月:再び走力の基盤作り

2日、フルマラソンに出場した。

実は当日まで出場するかどうかを迷っていた。それはふくらはぎの痛みが治らなかったためである。だが、コースの大半が脚に優しい不整地であることが後押しとなり、当日朝出場を決意した。

シーズン序盤に立てた目標は3時間5分切りだった。だが、このような足では3時間5分を切ることは到底できない。なので目標を3時間15分に下げ、確実に目標をクリアする走りをしようと決めた。時には下方修正も必要だし、目標を下げる勇気を養う絶好の機会だとポジティブに考えることにした。

しかし、目標は達成できなかった。

ハーフ通過までは順調だった。だが、25km過ぎでパタッと足が止まってしまい、30km以降は地獄を見た。ゴールタイムは3時間19分7秒。初マラソン(3時間10分46秒)より8分以上遅い、自己ワーストタイムであった。

 

かなり落ち込んだ。

2週間ぐらいランニングから離れ、現実逃避した。落ち込むだけ落ち込み、悲壮感に包まれつつも次の函館マラソンに備えることにした。この2週間のうちにふくらはぎが完治したので、結果的に休んで正解だったともいえる。

今までと同じことをしていてはまた同じ失敗をしてしまうと思い、キロ4分15秒でのペースランに挑戦した。

最初は全くできなかった。キロ4分15秒で2kmしか心肺機能が持たず、全くペースランができなかった。本当にオレはサブスリーできるのか?疑心暗鬼におちいった。自分の味方は自分しかいないのに、その味方すら敵となり毎日泣きそうであった。

だが、しつこく続けていくうちにキロ4分15秒ペースに慣れていき、6月末にはこのペースで10km走れるようになっていた。

自信を取り戻し、7月の函館ハーフへと向かった。

 7月:月間走行距離374km

七夕のハーフの5日ほど前、気合いを入れて練習を行いキロ4分10秒ペースで8km走れるようになった。6月に失った自信を完全に取り戻した。

そしてその勢いでハーフを走り1時間26分31秒(PB)で完走した。ようやく自己ベストを更新でき、ホッとした。

サブスリーペースで21kmを走れたことは大きな自信となり、また残りの4ヵ月であと21kmサブスリーペースで走れるようになれば栄光を掴めると分かり、練習意欲がさらに上がった。

次のレースは9月の白山白川郷ウルトラマラソン(100km)。激坂&猛暑の超過酷レースなので、とにかく距離を踏むことで難関をクリアすることにした。

7月末には2部練で50kmを走り、それから1週間後(8月第一週)には一気に50kmを走り切った。また、家の近くに坂道がないので坂のある場所まで自転車で移動し、15~20kmの坂道トレーニングもこなした。獲得標高は400mぐらいだったと思う。白山白川郷ウルトラマラソンは最初の20kmで1000m上らねばならないレースなので、最初でくたばらないよう入念な坂道対策を行った。

月間走行距離は374km。自己最長を30km以上更新した。

月間走行距離を追い求めていたわけではない。だが、必要な練習をこなしていったらこれだけの走行距離になっていたのである。

 8月:坂!坂!坂!

長距離トレーニングばかりしていたので、函館ハーフで身につけたスピードがかなり落ちていた。なので8月はジョグの最後のダッシュを長めに行い、スピードを取り戻す作戦を決行した。

ウルトラではスピードは必要ないが、出せる限界スピードが速ければ速いほどウルトラの走行ペースに余裕が生まれる。ウルトラでサブ10を達成するために、そして富士山マラソンでサブスリーするためにも、スピードは重要な要素なのだと考えていた。

8月下旬。札幌から広島に帰省し、白山白川郷本番並みの暑さと湿気を経験することで暑熱順化しておいた。札幌と本州では暑さの質がまるで違うので、こうして本番に近い環境で一定期間過ごすことによりレース本番札幌並みのハイパフォーマンスを発揮できると考えた。

湿気の多い環境での坂道走はかなりきつかった。汗は絶え間なく出るし、体の動きはめちゃくちゃ悪いし、札幌とはまるで勝手が違っていた。だが、どうしてもサブ10を達成したかったので歯を食いしばって練習に勤しんだ。

8月の走行距離は350kmぐらい。距離を踏み、自信をもって白山白川郷本番へと向かった。

 9月:ダニエルズの方法論で覚醒

9月8日。100kmマラソン10時間切りを目指し岐阜県の白川郷を出発した。

当日の石川県側最高気温は35度オーバー。台風接近によるフェーン現象により超高温となったのである。高温だけならまだマシだったのだが、湿度もべらぼうに高く、そのため汗が全く乾かないピンチに襲われた。

40km過ぎまでは比較的余裕を保っていた。だが、50kmを過ぎてすぐに内臓疲労がひどくなってきて、60km過ぎには足が限界だった。なので泣く泣く60km地点で棄権し、レースを終える決断をした。

60km通過、5時間28分17秒。マラソンでDNFなど初めての経験だった。

壮大な夏の旅。白山白川郷ウルトラマラソン2019体験記

2019-09-09

60kmフィニッシュの人の中で私は2位だった。なので白山白川郷から1か月後に表彰状が送られてきた。

こんなに悔しい表彰はない。来年は絶対100km完走し、フィニッシュ地点で表彰状をもらってやる。そう決意した。

 

ウルトラのダメージを1週間で回復させ、本命レースの富士山マラソンに向け本格的に練習を開始した。ちょうど練習を始めたのと同時期に本屋さんで以下の本に出会い、私は一気に覚醒した。

この本には陸上競技で記録を向上させるための”科学的に立証されている”アプローチがすごく詳しく書いてある。

もちろんフルマラソンのことも書いてある。サブスリーを目指すにはこの練習をこのペースでこの距離だけすればいいということまで書いてある。なので(この通りにすればサブスリーできるのか…!!)と思い、この本に書いてある通りに練習を行ってみた。

すると面白いように走力が上がってきた。9月末にはキロ4分25秒で25km走ができるようになっていた。これは今までの自分からすれば考えられない速さである。

これまでの積み重ねがあったからこその走力向上だとは思う。だが、この方法論に出会わなかったら私のサブスリーはまずありえなかったであろうという事だけは断言できる。本屋さんでダニエルズと出会った奇跡に感謝せねばなるまい。

 10月:ダニエルズ信者となって練習に没頭

ダニエルズさんの本の通りにトレーニングを積んでいった。さすがに毎日練習するのは回復が追いつかないので一日おきに練習したが、その分一つの練習におけるボリュームを大きくした。

ジョグ:キロ4分50秒~5分で15~20km

レペティション:1kmを3分30秒以内で走る

インターバル:400mを84秒で10本疾走する

ロングラン:ジョグペースで長い距離を一度に走ることにより、長く走れるスタミナをつける

LT走:20分間走るのが限界のスピードで20分走り、乳酸閾値を向上させる

激坂トレーニング:足の耐久力と心肺機能を総合的に爆上げする

これらをうまい具合にMIXさせて走力を向上させていった。

すると10月末にはキロ4分15秒で35km走ができるようになっていた。

あと7kmをキロ4分15秒で走れたらサブスリー達成。ワクワクが止まらなかった。

だが、この35km走では30km以降キロ10秒ほど失速していた。だから、この練習以降もスタミナをつける練習を怠らず続けていった。

いよいよ11月、本番の足音が聞こえてきた。

 11月:本番への準備

初旬。右足小指をケガして走れなくなり、治ったかと思うと今度は左ハムストリングをケガした。それにより残念ながらさっぽろさよならマラソン(ハーフ)をDNSした。

ケガの原因は今までの練習の負荷が大きすぎたことだろうと思った。そこで思い切って1週間ぐらい休むことにした。すると1週間後に練習を再開した時には今までよりも速く走れるようになっており、特にジョグペースでの余裕度が以前と段違いに向上していた。

心肺機能やスピード的にはもう十分。後はマラソンを最後まで走り切れるよう足の耐久力を上げるだけだ!激坂練習一発かましてやるぜ!

そう思って坂道練習の日を迎え、部屋のカーテンを開けると、外一面に雪が積もっていた。

路面が凍結した状態で坂道練習をするのは危険すぎたので、泣く泣く坂練を諦めて25km雪道ロング走(キロ4分58秒)を行った。坂練の代替練習になったかどうかは定かではないが、少なくともスタミナが向上しサブスリーへの後押しとなったのは間違いない。

その後も凍結した路面に苦しめられた。ツルツル路面での8kmペース走(3’55″/km)を恐怖の中行ったり雪道走を行ったりして、大本命の富士山マラソンへと向かった。

今年の大一番

序盤は快調で、ハーフを1時間29分で通過した。このまま余裕でサブスリーできるんじゃないかと思った。しかし、21km過ぎからの激坂で頑張りすぎたせいで25km以降ふくらはぎが痙攣の嵐となり、いつ止まってもおかしくない状態だった。

今までの努力を結実させるため、歯を食いしばり粘りに粘った。止まったら最後、サブスリー達成はできなくなる。なので絶対に止まらず、かつスピードを落とさないよう腕を振りまくった。

ゴールタイムは2時間59分23秒。ギリギリではあるが、サブスリー達成。心が震える瞬間であった。

【サブスリー達成】富士山マラソン2019 体験記

2019-11-26

サブスリーを達成した翌日と翌々日の大学の期末試験も無事に乗り越え、今年の最大の山場を乗り越えることに成功した。

おそらく授業の単位は取れていると思う。マラソン前に1日3時間の勉強を5日間続けたおかげで知識を自在に使えるようになっていた。それゆえ、テストの結果には若干の自信がある。まさに、大学生の鑑

最後に

今年一年、すべての力を富士山マラソン2019に結集した。一回一回の練習を頑張ったのはもちろんのこと、筋トレや食事管理を徹底し、その他ランニングの妨げとなるものすべてを断ち切った。

誘惑に駆られ、ストイック生活をやめたくなったことが頻繁にあった。めちゃくちゃ苦しかった。だが、サブスリーという結果を得た今、すべてが報われたような気持に包まれ、なおかつ圧倒的達成感に浸っている。

 

サブスリーを達成してしまえばおしまいではない。上には上が存在するのである。

世の中にはフルマラソンを2時間50分で走る人も山ほどいるし、2時間40分、30分で走る市民ランナーも数多くいる。トッププロだと2時間10分を切るタイムでフルマラソンを走るし、世界記録は2時間1分台。非公認ながら1時間59分で走ったランナーもいる。

さすがに私の能力では日本記録・世界記録は出せない。2時間20分も恐らく切れないだろう。アフリカ人や日本のトッププロたちとは体の構造からして違うし、1kmだってそんなに速いスピードで走ることはできない。私も身の程というものは心得ているつもりだ。

だが、21歳という若い年齢にしてサブスリーを達成した今、私はさらなる高みに挑戦せねばならないという使命感に燃えている。まずは来年2時間50分を切り、45分、40分と記録を伸ばしていき、やがては35分を切って夢の”福岡国際マラソン”に出場し、帰宅部ランナーの星とならねばならないと考えている。

マラソンバカ、ここにあり。その名は”かめ”

大学4年生となる来シーズンがどのようなものとなるか、ものすごく楽しみである。

~4年生編に続く~



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馬術競技からマラソンに転向した北大工学院のM1|国体馬術競技優勝&8回入賞|10000m36’33”|マラソン2°47’50”|100kmレース10°19’17”|英検準一級|TOEIC785点|ラン歴5年|乗馬歴10年|英語の学術論文2報(電気化学)|月間2万PVのブログ運営中|コメントやご相談はTwitterのDMまでお願いします。