Contents
私は希望に満ち溢れていた(3月)









私の北大との付き合いは、合格発表で自分の番号を見つけたこの瞬間から始まることとなる。
一年間の浪人を経て合格した大学入試。合格した時はそれはもう最高だった。天にも昇るような気持ちといった表現がふさわしいと思う。
私が合格した北海道大学は北海道最高の大学であり日本の基幹大学。だから学び舎ではいろいろ刺激的な出会いが僕を待っていると信じて疑わなかった。
最先端の研究をしている大学教授。
優秀で心優しい仲間たち。
いずれできるであろう後輩たち。
そんなオモロイ人たちと共に4年間を過ごせると思うと、嬉しくて飛び上がりたくなる気分であった。
また、調べてみると北大には国立有数の馬術部があるらしいという事が分かった。
私は小学4年から高校3年まで馬術に勤しんでいた乗馬少年である。自慢ではないが国体優勝したことがある。馬術部入部を期に受験を境に辞めていた乗馬を再開できると思うと、新天地札幌に移住する前から私は黙って座っていられないほど落ち着かなかった。
早く広島を飛び出し札幌へ行きたい
合格が決まってから広島にいたときはずっとそんな気持であった。
私は大学に入学し絶望した(4月)
初回授業で絶望した
しかし、少年の淡い希望は大学の初回授業で早くも打ち砕かれることとなる。
今でも忘れやしない生活と化学という名の初回授業。確か必修科目ではなく選択科目であったのでクラスの半分ほどしか履修していなかったと思うが、とにかくその授業がクソつまらなかったのである。
先生はずっと教科書を音読しているし、音読をやめたかと思うと黒板にブツブツ言いながら板書しているし、いきなり指名されてよく分からない問いを吹っ掛けられるし…
もう、大学を辞めてしまおうかと思った。
先生だけに違和感を感じただけであれば私はそんなこと思わない。私の周りに座っていた学友たちにも違和感を持ったのである。
授業中平気でベチャクチャしゃべって遊んでいる連中。
初回授業であるにも関わらずさっそく居眠りしている連中。
しまいには途中から来たクセに友人の所へ集まって大騒ぎして遊びだす宇宙人まで現れた。
もう、なんなんだこのカオス空間は?
本当にここは日本有数の国立大学なのか?
私はこいつらと同レベルなのか?
初回授業にして私は絶望感に打ちひしがれることとなった。
馬術部に絶望した
気を取り直して参加した初回授業当日の夕方に行われた馬術部の新歓。
北大を出てすぐの時館(じかん)というレストランに連れて行ってもらい、馬術部の先輩とたくさん会話した。馬術部の活動内容、学校生活との両立は可能かどうか、馬術部に入るとして最初はどのような役割を担う事になるのかなど、包み隠さず本音を語って頂いた。






その時はそう思っていた。
だが、その翌朝部活の見学に行った時入部を撤回することにした。
行われていた練習のレベルに絶望したのではない。練習のレベル云々ではないのである。
部室の衛生レベルがレベル7だったのである。
馬術部部室のあまりの汚さに愕然として入部を撤回することにした。というのも、部室に入れてもらった瞬間から鼻がむずむずしてアレルギー反応が出たのである。これは続けられないわと本能が叫んでいたのである。
こうして入学前の希望はすべて打ち砕かれ、新歓期間を終えどこの集団にも属すことのできなかった私は途方に暮れることとなる。
体育学Aの抽選に外れ、絶望した
この私にさらなる追い打ちをかける出来事が起こった。
なんと、私が履修しようと思っていた体育学Aの抽選に外れ、体育学を履修できなくなってしまったのである。高校時代唯一楽しんでいた体育という科目の履修権利を私は神から奪われてしまったのである。
私はスポーツが得意という訳ではないが、唯一キャッチボールだけは得意だった。そのためソフトボールができる体育学を履修しようと思っていた。
だが、できなかった。
履修希望者は60人、それに対して履修できる人は45人。勝率75%のくじ引きである。
こりゃもらった!
そう思った。
だが、抽選に外れた。
こうして私は入学前より持っていた希望を入学してから1か月以内にすべて打ち砕かれ、しばらく無気力状態に突入することとなる。2017年5月の記憶が私には一切残っていない。
逆転の発想(6月)
華の大学生活などただの幻想だ
そう確信した私は、大学の授業を終えたら家に直帰し勉強に精を出すこととなる。
英語・数学・物理に化学。やれることは何でもやった。そのお陰で後ほど発表された成績はかなり良いものであった(3.7/4.3満点)。翌年受験した英検準一級もストレート合格した。
だが、つまらなかった。
全く面白くなかった。
どうもハリが出ない。
一体何のために勉強しているのか、自分の行く末が全く見えなくなった。
それもこれも、すべて体育を履修出来なかったせいである。体育さえ履修できれば私の人生はもっと楽しいものとなるのに…
体育さえできれば。
体育さえ。
体育さえ…












そう発想し、私は天から降ってきたライトレーサーTS3を履いて外で走ることにした。
これが現物である⇓



シューズを履き、家を飛び出して3kmほど全力疾走した。
準備運動もろくにせず走り出したのですぐに足が痛くなった。足だけではない。背中も、お腹も、肩も痛くなった。
呼吸が苦しかった。心臓の激しい鼓動で胸が破裂しそうであった。
しかし、私は走るのをやめなかった。ここでやめたら人生まで終わってしまうような気がしたからである。
ランニング後は非常に爽快だった。久々に運動して汗をかいた。
今までのうっ憤がすべて汗で流れ落ち、私はすごく愉快な気持ちになることができた。と同時に、ランニングを続けるにあたり最も重要な気持ちになることができた。
(また、走りたいな。)
ランニングバカの誕生である。
こののちフルマラソン3時間切りを達成する事になるとは、この時の私は一切知らなかった。
ランニングの習慣化(7月~8月)
その日以来、週に3日ほど5km走るようになった。ペースでいえばキロ7分ぐらいだったはず。
当時はGPS付き時計など持っていなかった。なのであらかじめアプリで距離計測した道を走り、普通の腕時計で走行時間を測り、毎回の練習後に計算して平均ペースを割り出していたのである。
ランニングを習慣化させてからはケガの連続。シンスプリント、足首の痛み、捻挫、こけた時の打撲、さらには軽い肉離れまでした。
それでも私は”体育”をやめはしなかった。この時にはもう、”体育”が私の生きがいになっていたからである。面白き事もなきこの世を面白くするのはランニングしかなかったのであるから。
走り続けていると少しずつ走力が上がってきた。いつもの5kmが短く感じられ、ケガすることも徐々に少なくなっていった。そうなると走るのが俄然面白くなってきた。走る距離を7km8kmと伸ばしていき、やがては10kmに到達した。
努力すればするだけできるようになっていくことが、すごく楽しかった。
さらに走れるようになりたかったので、私は東京の赤羽で行われるハーフマラソンに申し込んだ。なぜ東京か?それは東京で走ってみたかったからである。当時の私は東京への憧れをもっていた。
東京に行く航空券代・宿泊費を稼ぐため、私は札幌競馬場で短期の清掃作業バイトをした。
時給900円。競馬場開催日のみ勤務。朝から夜まで一日8時間、長くて10時間、私はごみを拾い続けた。
競馬場は言うまでもないが、すごく汚い。
はずれ馬券がそこら中にビリビリになって散乱しているし、唐揚げがなぜか通路に鎮座している。ターフの上に鉛筆を差してこちらを困らせる迷惑客もかなりの数いた。中にはゴミが積もりすぎて通れない通路もあった。誇張でもなくすべて本当の話である。
それらのゴミをすべて片付け建物をピカピカにし、なおかつお客さんを満足させるのが私たちの仕事だった。
臭かった。腰を痛めた。処理した食べ物の残骸を思い出し、食事がのどを通らないことも多々あった。なんでこんなことをやらねばならないのかと思った。
だが私はバイトを辞めなかった。どうしても東京に行き、ハーフを走りたかったから。どうしても、走るのをやめたくなかったから。
ランニングへの愛の力で無事五体満足で短期のアルバイトを終え、12万円ぐらい稼ぐことができた。そのお金ですぐに航空券と宿泊費を賄い、短期バイトから1週間後無事東京に行くことができた。
東京都北区赤羽ハーフマラソン(9月)
私が初めて出場した大会である。
夏休みにアルバイトをしてまでして出たかった大会。大会当日は30℃もあり絶好のランニング日和(笑)であった。
大会など初めてであったので、ペース配分など一切考えず最初から突っ込むことにした。周囲で自分と走力が似通っている人を見つけ、その人をひたすら追いかけていく戦法を取ることにした。
案の定、10km過ぎから足が限界を迎えた。赤羽マラソンはコースの大半がフラットであるのだが、コースの一部に激坂があるのである。それを乗り越えるたび足を使ってしまう。そしてとうとう私はハムストリングスや太ももで地面をまともにとらえることができなくなってしまった。
とはいってもせっかくバイトしてまでして参加しているので完走しないわけにはいかない。目の前がぼやけ、ふらふらになるまで追い込み完走した。
タイムは、、
1時間44分54秒であった。



初ハーフにしては上出来ではないだろうか。
ランを始めてから4か月目にしてハーフを完走できたことは、自分の中では空前絶後の大偉業であった。はじめは5kmも走れなかったのに、今では21kmも走れるようになった。自分がいかに成長したかと思うとニヤニヤが止まらなかった。
(次はマラソンだな)
そう思って東京を去った。
~2年目に続く~